2008年 09月 18日
11月選挙をまえに |
ながいブランクすみませんでした。久しぶりの投稿です。これからもう少しまめに更新をと思っています。ときどき覗いてみてください。
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自治は幻想にすぎない?
はるきよしあき
北杜市が7町村の合併によって誕生して4年(小淵沢町と合併から2年)が経とうとしています。2度目の市長選と市議選を11月に控えて、いったいこの新しいわが町、わが自治体はよい方向に向かっているのかどうか、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
合併ってなんだった?
まず前提となる「北杜市の合併」がどんなものであったかを客観的に評価をしてみましょう。評価の基準は大きくわけて二つです。
1、 合併の過程の透明性が高いこと。情報が住民に充分に提供され、住民の意見が反映された、納得の合併であったか。
2、 2、合併の必然性や目的がはっきりしていたか。行政の効率を図るだけでなく、住民の生活の向上をめざした合併であったかどうか。
自治って何?
この地方分権の時代といわれる背景にあるものに、国の財政の危機的状態から求められる行政の効率化やグローバリズムに対応した統治機構の近代化や再編があります。しかし私たち住民市民の側から追究するものは「自治」でなくてはなりません。地方自治の「自治」とは何か?自らが自らを治めること。とすれば地方自治とは自らの地域を自らが治め担うこと。
現実を眺めればこれはまさしく幻想に過ぎないかも知れません。住民からの委任を受けた議員と首長と行政官僚のトライアングルに閉じこもったエリート政治(?)が理想の地方自治だとすれば、地域にも自治にも未来は来ないでしょう。例えば地方自治が抱える財政問題にしてもそうした「おまかせ自治」を土壌として生まれたものです。国の都合で行う「地方自治」という名前の統治のシステムが破綻したものだといえます。
自治への流れは止められない
まさしくピンチはチャンス。今はタテマエとしての「自治」ではなく額面通りの自治に向かって歩み始める時。たとえそんな自治などは理想に過ぎないといわれようと、めざすところは本物の自治しかありません。
なぜかといえば、行き詰まったように見える我が国の民主主義が、一度も手にしたことのないものが「自治」だから。自治のない民主主義なんて…、絵に描いた餅のようなもの。地方「自治」のトレーニングを経てわたしたちは、やっと民主主義のなんたるかを学び、体得するのかもしれない。地方自治は民主主義の学校といわれる言葉通り。
自治や民主主義への流れは止めることはできない。人間社会の近代化へのエネルギーが人間の手でとめることはできないように。
政治への無関心を呼ぶもの
わたしたちは、(A)地域で日常的な生活を営む個人という立場と、(B)自治体の政治に参加し、行政を公正で民主的なものにしていく活動を行う立場と二つの面を可能性として持っていています。そして各人はそれぞれのバランスで社会生活を営んでいます。ところがそのバランスが今は極端に(A)に偏って来ています。私たちは地方政治への関心を失い、AからBへの通路がほとんど消えかかっているように見えます。それは前に述べた議会・首長・官僚のトライアングルが通路を塞いでしまったためではないでしょうか。まずこのトライアングルを壊し新しい地方自治のサイクルを住民自治の視点から見直す作業にできるだけ早く着手すべきではないでしょうか。
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自治は幻想にすぎない?
はるきよしあき
北杜市が7町村の合併によって誕生して4年(小淵沢町と合併から2年)が経とうとしています。2度目の市長選と市議選を11月に控えて、いったいこの新しいわが町、わが自治体はよい方向に向かっているのかどうか、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
合併ってなんだった?
まず前提となる「北杜市の合併」がどんなものであったかを客観的に評価をしてみましょう。評価の基準は大きくわけて二つです。
1、 合併の過程の透明性が高いこと。情報が住民に充分に提供され、住民の意見が反映された、納得の合併であったか。
2、 2、合併の必然性や目的がはっきりしていたか。行政の効率を図るだけでなく、住民の生活の向上をめざした合併であったかどうか。
自治って何?
この地方分権の時代といわれる背景にあるものに、国の財政の危機的状態から求められる行政の効率化やグローバリズムに対応した統治機構の近代化や再編があります。しかし私たち住民市民の側から追究するものは「自治」でなくてはなりません。地方自治の「自治」とは何か?自らが自らを治めること。とすれば地方自治とは自らの地域を自らが治め担うこと。
現実を眺めればこれはまさしく幻想に過ぎないかも知れません。住民からの委任を受けた議員と首長と行政官僚のトライアングルに閉じこもったエリート政治(?)が理想の地方自治だとすれば、地域にも自治にも未来は来ないでしょう。例えば地方自治が抱える財政問題にしてもそうした「おまかせ自治」を土壌として生まれたものです。国の都合で行う「地方自治」という名前の統治のシステムが破綻したものだといえます。
自治への流れは止められない
まさしくピンチはチャンス。今はタテマエとしての「自治」ではなく額面通りの自治に向かって歩み始める時。たとえそんな自治などは理想に過ぎないといわれようと、めざすところは本物の自治しかありません。
なぜかといえば、行き詰まったように見える我が国の民主主義が、一度も手にしたことのないものが「自治」だから。自治のない民主主義なんて…、絵に描いた餅のようなもの。地方「自治」のトレーニングを経てわたしたちは、やっと民主主義のなんたるかを学び、体得するのかもしれない。地方自治は民主主義の学校といわれる言葉通り。
自治や民主主義への流れは止めることはできない。人間社会の近代化へのエネルギーが人間の手でとめることはできないように。
政治への無関心を呼ぶもの
わたしたちは、(A)地域で日常的な生活を営む個人という立場と、(B)自治体の政治に参加し、行政を公正で民主的なものにしていく活動を行う立場と二つの面を可能性として持っていています。そして各人はそれぞれのバランスで社会生活を営んでいます。ところがそのバランスが今は極端に(A)に偏って来ています。私たちは地方政治への関心を失い、AからBへの通路がほとんど消えかかっているように見えます。それは前に述べた議会・首長・官僚のトライアングルが通路を塞いでしまったためではないでしょうか。まずこのトライアングルを壊し新しい地方自治のサイクルを住民自治の視点から見直す作業にできるだけ早く着手すべきではないでしょうか。
by halunet
| 2008-09-18 07:41
| 地方自治
























