2008年 02月 19日
誰も分け隔てない |
桑原浜子さんを偲ぶ会
昨日、笛吹市の境川で、卵殻モザイクの大家であり
山梨の平和運動の象徴的存在だった「桑原浜子さんを偲ぶ会」がひらかれました。
浜子さんは今年の1/3日、95年の生涯をとじられました。
個人的には、イラク開戦前の甲府での初めてのPeace Walkで
先頭に車いすのおばあさんがいてスゴい人がいるなと思ったのが
初めてお目にかかった時でした。
その後、そうした集まりにはいつも参加をされているのを目撃していましたが、
シャイなボクとしてははお話しする機会はありませんでした。
でも桑原浜子の境川のアトリエを一度見せていただいています。
その時は残念ながらお留守でしたが
そのモザイク画の中の風景が窓に広がる素晴らしい場所だったことを憶えています。
桑原さんは世間的なアーティイスとしての名声や
平和活動家としてのキャリアだけでなく
戦中戦後を波乱のうちに生きた女性であったこと。
また、いかに多くの人に生きる喜びと力をあたえる存在であったか。
そんなことをホールにつめかけた、あふれるばかりの人々の言葉の中から
ようやく知る事ができました。
その中から桑原さんのバックボーンの一端を。
人間を分け隔てることができない、
人種的な民族的な差別を受け入れることができない人。
戦争は人間の排他的な差別的なマイナス心情を
最大限助長するものだから
決して許す事の出来ないものだったのではないでしょうか。
ボクの解釈も入っていいますが。
桑原さんの反戦は肩肘張ったものではなく
豊かな人間性から自然に出てくる生き方なのですね。
その展覧会や会の様子を「甲斐駒日和」にアップしました。
リンク欄からもどうぞ。
http://web.mac.com/halunet/iWeb/Site
昨日、笛吹市の境川で、卵殻モザイクの大家であり
山梨の平和運動の象徴的存在だった「桑原浜子さんを偲ぶ会」がひらかれました。
浜子さんは今年の1/3日、95年の生涯をとじられました。
個人的には、イラク開戦前の甲府での初めてのPeace Walkで
先頭に車いすのおばあさんがいてスゴい人がいるなと思ったのが
初めてお目にかかった時でした。
その後、そうした集まりにはいつも参加をされているのを目撃していましたが、
シャイなボクとしてははお話しする機会はありませんでした。
でも桑原浜子の境川のアトリエを一度見せていただいています。
その時は残念ながらお留守でしたが
そのモザイク画の中の風景が窓に広がる素晴らしい場所だったことを憶えています。
桑原さんは世間的なアーティイスとしての名声や
平和活動家としてのキャリアだけでなく
戦中戦後を波乱のうちに生きた女性であったこと。
また、いかに多くの人に生きる喜びと力をあたえる存在であったか。
そんなことをホールにつめかけた、あふれるばかりの人々の言葉の中から
ようやく知る事ができました。
その中から桑原さんのバックボーンの一端を。
人間を分け隔てることができない、
人種的な民族的な差別を受け入れることができない人。
戦争は人間の排他的な差別的なマイナス心情を
最大限助長するものだから
決して許す事の出来ないものだったのではないでしょうか。
ボクの解釈も入っていいますが。
桑原さんの反戦は肩肘張ったものではなく
豊かな人間性から自然に出てくる生き方なのですね。
その展覧会や会の様子を「甲斐駒日和」にアップしました。
リンク欄からもどうぞ。
http://web.mac.com/halunet/iWeb/Site
by halunet
| 2008-02-19 07:35
| スピリチュアリティと平和