2007年 08月 20日
NHK9条討論番組に出演して 久松重光 |
<8月15日のNHKの討論生番組出演体験記をPublicPeaceMLより転載>
期待してくれた人が多いのに、どうも冴えなくて、ごめんなさい。東京には、大分早く着いたのですが、ものすごい暑さで、原宿からNHKまで歩いただけで、もうぐったりしてしまいました。
いろいろ、ワシントン・コンセンサスの内容や1994年のアメリカの軍需産業の会長、ウイリアム・ペリーの北朝鮮の核疑惑を煽っての日米新ガイドラインの工作の資料などもっていったのですが、資料を上げての議論は、しないでくれ、個人名はあげないでくれと言われ、メモも筆記用具も持ち込み不可でした。もっと鋭く色々指摘しようと思ったのですが、改憲派の人たちの議論を聞いているうちに、少し疲れていたこともあったせいか、改憲派も凄い女性もいるもんだ、と唖然として、反論する気も失せてしまいました。
僕の隣に座っていた韓国のチャンさんと少し話したのですが、は、どうして日本は 、平和主義を放棄したいのか分からないのと、ちょっと怖いなと思った、と言っていました。
色々な重要なことも言うつもりだったのですが、まったく精彩がなく、皆さんも、まったく物足りなかったと思います。ゴメンナサイ。それでも渡辺さんや、斉藤さんが、理路を尽くして言ってくれたので、もう僕が、言わなくていいか、などと思って任せてしまいました。
あまり人とも話さなかったので、休憩中にNHKの女性のディレクターの人が、やって来て、久松さんはちょっと内向しているから、もう少し元気よく反論してくれませんか、と言われたのですが…。あまりあがっていなかったのですが、全然ボルテージも上がりませんでした。やはりテレビってものは、いやなものものだな、というのが感想でした。
番組が終わってから、これではちゃんとした話もできない、と護憲派の年配の人が怒って、三宅アナウンサーに抗議していました。番組が終わって米田さんと沖縄の方と話しながら、ホテ
ルに帰ってきました。沖縄の人は、体験は言葉では、伝わらないんだよ、と嘆いていました。女性史の研究者の米田さんは、私はいつも9条というものを未来の視点からみようしているの
よ、と言っていました。お二人のお話を同感しながら、聞いていました。あまりしゃべらなかったのに、何か矢鱈に疲れた一日でした。
翌日は、日本山の加藤上人と一緒に、高田馬場のピースボートに行って、来年の世界9条会議の事務局会議に出てきました。そしたら、NHKでお会いした笹本弁護士とまた会ってしまい
ました。また一ツ橋大学の足羽教授や浅見教授とお会いして、「改憲派」は酷かったですね。護憲派のほうは節度があって、あれでよかったのではないですか、などと言ってくれましたが、僕としては、もっと言わなければならないことがあったのにとちょっと後悔しています。
それに、カードをあげたとき、相沢さんや沖縄の人が、自衛隊はなくすべきだ、というカードをあげていたのに、僕は、2番の自衛隊はそのままでよい、というカードをあげました。そのことにについて、ちょっと弁明しておきます。
僕の判断では、確かに軍隊は、民衆を守ってくれない、という沖縄の人や相沢さんが言っていたことは本当だと思いますが、もし自衛隊をなくすべきと主張したら、まったく心の準備がで
きていない人が多い現時点では、返って反動を呼ぶのではないか、と思いました。
それに自衛隊=軍隊と簡単に同定するのは、よくないように思いました。軍備ややってることはまさに軍隊には違いないのですが、自衛隊には、軍隊としての法的整備がなく、戦闘で人を
殺しても刑法で裁かれ、また勲章や軍法会議もなく、敵前逃亡しても軍法会議に裁かれることはありません。その意味では、いかに重装備にあろうとも、その武器を使用すことができない状態にあり、僕にはこれはとても重要なことで、自衛隊は、非常に特殊な軍隊であり、装備はれっきとした軍 隊で認容しがたいのですが、法的には自衛権の範囲にあるように思えました。 勿論こんなものは、長期的に見れば、なくした方がいいに決まっているのですが、ロシアや中国が「核」を持つ中で、日本人全員が脱俗の人で、軍隊は民衆を守らないという認識に達しているならば可能かもしれませんが、日本だけ無防備でいる不安に大抵の人は、耐えることができないだろう、と思えたので、2番のカードを挙げました。2番のカードを挙げながら、そんなことを考えていました。
単純馬鹿な「改憲派」はさておき、小林よしのりや小林節などは、今「改憲」することに危惧を抱いているようです。ところで小林よしのりの論法ですが、僕は、ほかの改憲派の自己保存の論理とは違っていて、それだけに「誤った無私」への傾きを感じて、ちょっと危険な誘惑的なものを感じました。
特に彼は、「いのちより重いものがある」と言って、軍隊とガンジーのサッティア・グラーハ運動を一緒くたにしています。彼には、「信念」の質はどうでもいいようです。彼もまた「生きていることの不思議」を感じられなくなっていて、「生」に価値を見出せていないのだな、と思いました。彼もまた、物事の量的な側面ばかりが強調される近代のニヒリズムの落とし子だと思いました。
「いのち」感の広がりの中で、結果的にはガンジーのような運動になることもあるかと思いますが、それは決して「いのちより重いものがある」というものではないと思います。彼の論法で行けば、生きることを熱望し、しかしどうしても生きていけない状況で、自爆テロをせざるえないパレスチナの老女の死も皇国思想にかぶれて侵略戦争をして戦場で死んでいった兵士の死も区別がつかないでしょう。勿論どちらの死も悲しいものには違いありませんが、何か根本的に違うものも感じています。
生に対して順行に考えているか、逆行に考えているかは、僕にはものすごく大きな問題ですが、競争社会の現代では「生」に対して倒錯した意見のほうが、説得的に思えてしまうみたいです。いろいろな宗教で説いている「無私」は、いつだって「いのち」と結びついていたと思います。でもこれは、とても微妙な問題をはらんでいると思います。とてもテレビショ
ーなどのディベート向きなテーマではないように思えます。
昔、鎌倉に住んでいたとき、ある禅寺の住職は、毎週自衛隊員に禅を教えに行っていました。僕は、それを知って嫌な感じを持ちました。仏教の八正道は、どこに行ってしまったのだろう、
とも思いました。「国家」が、代用宗教の働きをするときには、「いのち」は「国家」に仕えるものになってしまうことだって、十分ありえます。9条は、それを禁じているのだ、と僕は思っています。
小林よしのりは、僕より若いけれど、ものすごくアナクロな国家観も持っているように思いました。やはりぼくは、生よりも死を重く見る思想は、よくないと思っています。でも生きがたい現代で自殺してしまう人にかなり同情的ではありますが・・・。帰りの電車で、飛び込み事故がありました。とても悲しいことと思います。
ともあれ、初めてテレビに出てみて、番組の組み立ての中で、すでに出るべき意見というものが、条件つけられしまって、うまく意見いえなかったのが、残念でした。
by halunet
| 2007-08-20 10:21
| 憲法
























