2007年 06月 05日
自然性としてのスピリチュアリティ おおえまさのり |
「アメリカの平和運動と海外から見た日本国憲法9条」(07-5-30)という催しを開いた。アメリカの平和運動家、ジョン&キャリー・シューシャード夫妻に、ネイティブ・アメリカン(ワンパノグ族)のメディスンマンの家庭に生まれ育ったアーティストのラモナ・ピーターさん、そしてアメリカで活動する4人の日本山妙本寺の僧侶(そのうち3人はアメリカ人)が来日して、八ヶ岳にも足を運んでくれることになった。彼らは平和行進の中で交流が深まり、今回の来日となった。
「アメリカの平和運動と海外から見た日本国憲法9条」(07-5-30)という催しを開いた。アメリカの平和運動家、ジョン&キャリー・シューシャード夫妻に、ネイティブ・アメリカン(ワンパノグ族)のメディスンマンの家庭に生まれ育ったアーティストのラモナ・ピーターさん、そしてアメリカで活動する4人の日本山妙本寺の僧侶(そのうち3人はアメリカ人)が来日して、八ヶ岳にも足を運んでくれることになった。彼らは平和行進の中で交流が深まり、今回の来日となった。
ジョン(1939年生)&キャリー・シューシャード夫妻は、1990年に、世界各地に於ける戦争、紛争によって心身の被害に遭った人々や障害を抱える人々の憩いの家「ハウス・オブ・ピース」を始め、15年間に30カ国、400名を超える人々を援助してきている。ジョンさんは、ジェネラル・エレクトリック社の核施設にハンマーを持って入り、核兵器を破壊して「平和の祈り」を捧げた非暴力運動「プラウシャー8」の一人である。またキャリーさんはシュタイナー教育にも関わってきている。
ラモナさんは、北米ワンパノグ族のメディスンマンの娘で、ワンパノグ族の伝統的壷や瓶を復活させているアーティスト。ワンパノグ族はメイフラワー号が最初にやってきたプリモス近辺に古くから暮らす北米インディアンの部族で、冬を越せないでいるメイフラワー号の人々に食料を提供したことで知られる。
宿泊と交流の場をお願いしたのは、隣町(長野県富士見町高森)にある、故押田成人神父(2003年没)がはじめられた高森草庵。森の中に茅葺の草庵が幾つか点在し、自給のための水田がその向こうに広がっている。
シューシャードさんと話してみると、何と彼は押田成人神父健在だった91年に、ここを訪れているとのこと。
雨の中を、みんなで押田神父の眠る墓地とその奥の林の中につづく第二次世界大戦での犠牲者を追悼する慰霊林に向かい、慰霊の祈りを捧げた後、夕刻5時には、小さな茅葺の、六畳ほどの板の間の質素な御堂でのミサ、ミサといっても、そこに十字架や祭壇があるわけでもなく、ただひたすら深々とした静かな黙想の時、を持った。長い黙想の後、シスターの静かな祈りと穏やかな南無妙法蓮華経の詠唱、そしてネイティブ・アメリカンの祈りがつづいた。
押田さんは、30年近く前、世界宗教者会議をここ高森草庵で主催し、ネイティブ・アメリカンのブラック・エルクも招かれている。
「あのとき血にまみれた泥の中で死に、雪嵐の中で葬られたものは、彼らだけではなかったのだと、今こうしてみると分かる。一つの民の夢が、あそこで死んだのだ。それは、美しい夢だった」(『ブラック・エルクは語る』より)
と、ブラック・エルクは、1890年、アメリカ第七騎兵隊によって女、子どもを含む無抵抗なラコタ(スー)族350人がウッデッド・ニーに追い詰められ、虐殺された当時の様子を語っている。夢やヴィジョンを奪われた民族は民族として生きてゆくことができなくなってしまう、と。
そして奪われた夢やヴィジョンを取り戻すために、ブラック・エルクはここでヴィジョン・クエストをするスウェット・ロッジも行っている。
だが、今やわたしたちもまた、夢やヴィジョンを奪われ、あるいは失って、さまよっているように思われる。
講演は小淵沢に会場を移して行われた。
キャリーさんは、彼女たちが2003年に発した、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下への謝罪メッセージを踏まえながら、「ヒロシマ、ナガサキ以上に人類を目覚めさせる場所は他になく、その場を人類で共有したい」と語った。
またジョンさんは「イラクはスピリチュアルな目覚めを起こしている。9条は世界の平和憲法のモデル」と。
加藤上人は「戦後60年、日本人にとって9条は空気のようなもの、空気がなくなったら窒息します」と。
トークの後は、海外から見た日本国憲法9条についての質疑が交わされたが、70名の参加者が、それぞれに9条とは自分にとって何かを問いかけているのが熱く感じられた。
質疑を受けて司会の久松重光さん「スピリチュアルということは、意思を強く持てば、パワーになるということ。非暴力の戦いは力がないのではなく、非暴力はパワフルだ」と。
それに加藤上人が「意思だけでなく、スピリチュアルなものがあるかどうかが力になる」と。
これにSさん「わたしたちの暮らす八ヶ岳は、いつも不動で確信に満ちていて、スピリチュアリティとは、聖なる自然との触れ合いの中から発してくるものではないか」と。
そして最後に久松さん「キリスト教の人、仏教の人、ネイティブ・アメリカン、アントロポゾフィー(人智学)の人などが一緒にトークできるということが、スピリチュアルということではないか」と結んで会は終わった。
「アメリカの平和運動と海外から見た日本国憲法9条」という内容だったが、はからずもスピリチュアリティを巡る視点へと凝縮していった。
ヴィデオの撮影を担当していた春木良昭さんはこう感想を記している。
「シューシャード夫妻や日本山妙法寺のお坊さん達との交流が、新しい平和運動のヴィジョンを示してくれました。平和運動は単なる政治的社会的運動ではない精神やスピリチュアルな局面も視野に入れた全人間的なルネサンスの運動となっていかなくてはだめなのだと」
トークを聞きながら、30年近く前に、世界宗教者会議を提唱した押田成人さんの心はどこにあったのだろうかという思いが湧き起こってきた。
押田さんは禅の研鑽に勤しむ中から、カトリックに目覚め、神父となった人である。カトリックの黙想の中に、禅の手法を取り入れて、多くの人々に感化を与えてきた。生前何度か高森草庵を訪ねて、お話を伺ったことがあるが、その語り口はとても禅的であった。
そしてその行動はとても活動的であった。厳冬の折にも火鉢一つの茅葺の質素な黙想堂で瞑想し、腹田のみならず田畑を耕し、幾多の東南アジアからの研修生を受け入れ、また水源地の上にできるゴルフ場建設には先頭切って反対のリードをとられた。
しかし一神教に帰依した神父が、アニミズムやシャーマニズムに基底を置くブラック・エルクなどの人々をなぜ招聘し得たのだろうか。論理的には、原理主義者でなくても、とても矛盾極まるものである。
その押田さんは、ネイティブ・アメリカン、チーフ・シアトルの、環境運動の原点として今日よく知られている、メッセージを翻訳している。
そこにはこうある。
「結局、私たちは、兄弟達かもしれません。あとでわかるでしょう。ただ一つのことを我々は知っています。白い人もいつの日にか発見するかもしれません。それは——我々のそれぞれの神は、同じ神だ——ということです。我々の土地を所有することを欲しているように、そんな風にあなた方の神を所有しているとあなた方は今考えているかもしれませんが、そんなことは出来ません。彼は人間(注:人類)の神です。
そして彼の憐みは赤い人に対しても白い人に対しても平等です。この大地は神にとってかけがえのないものです。この大地を害することは、その創造者への軽蔑を積み重ねることです」
押田さんはこうした地点を見ていたのだろう。そこには、一神教徒が、他の宗教の人々と出会いうる一つの糸口がある。
また仏教は、その本来性において、無神論である。とても不思議なことだが、無神論の宗教である。仏教の神は、その本来性において、実体を持たない。実体を持たないその本来の自然性を、神ならぬスピリチュアリティということができるのではなかろうか。仏教では真如といい、「在るがまま」と訳される。
英語における自然には、東洋の人々が感受しているような、霊性は含まれないが、自然に霊性が宿るのは、人との関係においてである。人との関係において、そこに霊性が立ち現れてあるものであるからには、その関係性の内にある自然性をスピリチュアリティといっていいのではなかろうか。
宗教的教義を超え出たところにある、人間本来が持つ、自然性の精神性こそスピリチュアリティの指し示すものであり、そうした無境界なスピリチュアリティの内においてはじめて宗教的な対話が成立すると思われる。
イスラーム教とユダヤ教とキリスト教との対話、他の幾多の多神教との対話、仏教との対話、そしてまた他の様々な教条、理念、世界観、国家観などなどとの対話が成立しうる自然性の、無境界な“場”を、わたしたちは今、現し出してゆく必要があるとの思いを深くした。
「アメリカの平和運動と海外から見た日本国憲法9条」(07-5-30)という催しを開いた。アメリカの平和運動家、ジョン&キャリー・シューシャード夫妻に、ネイティブ・アメリカン(ワンパノグ族)のメディスンマンの家庭に生まれ育ったアーティストのラモナ・ピーターさん、そしてアメリカで活動する4人の日本山妙本寺の僧侶(そのうち3人はアメリカ人)が来日して、八ヶ岳にも足を運んでくれることになった。彼らは平和行進の中で交流が深まり、今回の来日となった。
ジョン(1939年生)&キャリー・シューシャード夫妻は、1990年に、世界各地に於ける戦争、紛争によって心身の被害に遭った人々や障害を抱える人々の憩いの家「ハウス・オブ・ピース」を始め、15年間に30カ国、400名を超える人々を援助してきている。ジョンさんは、ジェネラル・エレクトリック社の核施設にハンマーを持って入り、核兵器を破壊して「平和の祈り」を捧げた非暴力運動「プラウシャー8」の一人である。またキャリーさんはシュタイナー教育にも関わってきている。
ラモナさんは、北米ワンパノグ族のメディスンマンの娘で、ワンパノグ族の伝統的壷や瓶を復活させているアーティスト。ワンパノグ族はメイフラワー号が最初にやってきたプリモス近辺に古くから暮らす北米インディアンの部族で、冬を越せないでいるメイフラワー号の人々に食料を提供したことで知られる。
宿泊と交流の場をお願いしたのは、隣町(長野県富士見町高森)にある、故押田成人神父(2003年没)がはじめられた高森草庵。森の中に茅葺の草庵が幾つか点在し、自給のための水田がその向こうに広がっている。
シューシャードさんと話してみると、何と彼は押田成人神父健在だった91年に、ここを訪れているとのこと。
雨の中を、みんなで押田神父の眠る墓地とその奥の林の中につづく第二次世界大戦での犠牲者を追悼する慰霊林に向かい、慰霊の祈りを捧げた後、夕刻5時には、小さな茅葺の、六畳ほどの板の間の質素な御堂でのミサ、ミサといっても、そこに十字架や祭壇があるわけでもなく、ただひたすら深々とした静かな黙想の時、を持った。長い黙想の後、シスターの静かな祈りと穏やかな南無妙法蓮華経の詠唱、そしてネイティブ・アメリカンの祈りがつづいた。
押田さんは、30年近く前、世界宗教者会議をここ高森草庵で主催し、ネイティブ・アメリカンのブラック・エルクも招かれている。
「あのとき血にまみれた泥の中で死に、雪嵐の中で葬られたものは、彼らだけではなかったのだと、今こうしてみると分かる。一つの民の夢が、あそこで死んだのだ。それは、美しい夢だった」(『ブラック・エルクは語る』より)
と、ブラック・エルクは、1890年、アメリカ第七騎兵隊によって女、子どもを含む無抵抗なラコタ(スー)族350人がウッデッド・ニーに追い詰められ、虐殺された当時の様子を語っている。夢やヴィジョンを奪われた民族は民族として生きてゆくことができなくなってしまう、と。
そして奪われた夢やヴィジョンを取り戻すために、ブラック・エルクはここでヴィジョン・クエストをするスウェット・ロッジも行っている。
だが、今やわたしたちもまた、夢やヴィジョンを奪われ、あるいは失って、さまよっているように思われる。
講演は小淵沢に会場を移して行われた。
キャリーさんは、彼女たちが2003年に発した、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下への謝罪メッセージを踏まえながら、「ヒロシマ、ナガサキ以上に人類を目覚めさせる場所は他になく、その場を人類で共有したい」と語った。
またジョンさんは「イラクはスピリチュアルな目覚めを起こしている。9条は世界の平和憲法のモデル」と。
加藤上人は「戦後60年、日本人にとって9条は空気のようなもの、空気がなくなったら窒息します」と。
トークの後は、海外から見た日本国憲法9条についての質疑が交わされたが、70名の参加者が、それぞれに9条とは自分にとって何かを問いかけているのが熱く感じられた。
質疑を受けて司会の久松重光さん「スピリチュアルということは、意思を強く持てば、パワーになるということ。非暴力の戦いは力がないのではなく、非暴力はパワフルだ」と。
それに加藤上人が「意思だけでなく、スピリチュアルなものがあるかどうかが力になる」と。
これにSさん「わたしたちの暮らす八ヶ岳は、いつも不動で確信に満ちていて、スピリチュアリティとは、聖なる自然との触れ合いの中から発してくるものではないか」と。
そして最後に久松さん「キリスト教の人、仏教の人、ネイティブ・アメリカン、アントロポゾフィー(人智学)の人などが一緒にトークできるということが、スピリチュアルということではないか」と結んで会は終わった。
「アメリカの平和運動と海外から見た日本国憲法9条」という内容だったが、はからずもスピリチュアリティを巡る視点へと凝縮していった。
ヴィデオの撮影を担当していた春木良昭さんはこう感想を記している。
「シューシャード夫妻や日本山妙法寺のお坊さん達との交流が、新しい平和運動のヴィジョンを示してくれました。平和運動は単なる政治的社会的運動ではない精神やスピリチュアルな局面も視野に入れた全人間的なルネサンスの運動となっていかなくてはだめなのだと」
トークを聞きながら、30年近く前に、世界宗教者会議を提唱した押田成人さんの心はどこにあったのだろうかという思いが湧き起こってきた。
押田さんは禅の研鑽に勤しむ中から、カトリックに目覚め、神父となった人である。カトリックの黙想の中に、禅の手法を取り入れて、多くの人々に感化を与えてきた。生前何度か高森草庵を訪ねて、お話を伺ったことがあるが、その語り口はとても禅的であった。
そしてその行動はとても活動的であった。厳冬の折にも火鉢一つの茅葺の質素な黙想堂で瞑想し、腹田のみならず田畑を耕し、幾多の東南アジアからの研修生を受け入れ、また水源地の上にできるゴルフ場建設には先頭切って反対のリードをとられた。
しかし一神教に帰依した神父が、アニミズムやシャーマニズムに基底を置くブラック・エルクなどの人々をなぜ招聘し得たのだろうか。論理的には、原理主義者でなくても、とても矛盾極まるものである。
その押田さんは、ネイティブ・アメリカン、チーフ・シアトルの、環境運動の原点として今日よく知られている、メッセージを翻訳している。
そこにはこうある。
「結局、私たちは、兄弟達かもしれません。あとでわかるでしょう。ただ一つのことを我々は知っています。白い人もいつの日にか発見するかもしれません。それは——我々のそれぞれの神は、同じ神だ——ということです。我々の土地を所有することを欲しているように、そんな風にあなた方の神を所有しているとあなた方は今考えているかもしれませんが、そんなことは出来ません。彼は人間(注:人類)の神です。
そして彼の憐みは赤い人に対しても白い人に対しても平等です。この大地は神にとってかけがえのないものです。この大地を害することは、その創造者への軽蔑を積み重ねることです」
押田さんはこうした地点を見ていたのだろう。そこには、一神教徒が、他の宗教の人々と出会いうる一つの糸口がある。
また仏教は、その本来性において、無神論である。とても不思議なことだが、無神論の宗教である。仏教の神は、その本来性において、実体を持たない。実体を持たないその本来の自然性を、神ならぬスピリチュアリティということができるのではなかろうか。仏教では真如といい、「在るがまま」と訳される。
英語における自然には、東洋の人々が感受しているような、霊性は含まれないが、自然に霊性が宿るのは、人との関係においてである。人との関係において、そこに霊性が立ち現れてあるものであるからには、その関係性の内にある自然性をスピリチュアリティといっていいのではなかろうか。
宗教的教義を超え出たところにある、人間本来が持つ、自然性の精神性こそスピリチュアリティの指し示すものであり、そうした無境界なスピリチュアリティの内においてはじめて宗教的な対話が成立すると思われる。
イスラーム教とユダヤ教とキリスト教との対話、他の幾多の多神教との対話、仏教との対話、そしてまた他の様々な教条、理念、世界観、国家観などなどとの対話が成立しうる自然性の、無境界な“場”を、わたしたちは今、現し出してゆく必要があるとの思いを深くした。
by halunet
| 2007-06-05 22:23
| スピリチュアリティと平和