2007年 04月 04日
カストロのキューバ |
キューバのカストロ・インタビューが4/2から始まっています、連日深夜のBS1は眠くて無理なんでHDに採って見ています。昨日は見逃してしまったんですが(ゲバラがテーマだってようです)
ボクの関心はどちらかといえば、国家的な事業として有機農業に取り組んだり、西洋医学に偏らない、代替医療に比重をかけた独自の医学で世界的な地位を築いたりとか、キューバという国の先見性がどこから生まれるのかにあります。
もちろん、こうした脱石油依存の社会にシフトを切ったのは、国際情勢の劇的な転換によって、その中で生き残るための止む終えない選択だったというのは事実です。とはいえ理想的な社会とは何か、というイデオロギー的な正統性から選んだ道ではなく、追いつっめられて、しかたなく掴んだ命綱が有機農法だった、そんなマイナーなやりかたで、よその国に頼らないでも最低限やっていける社会を作ろうとしているのがおもしろいではありませんか。
この前、3/25のシネマ&トークでの知見邦彦さんの話しでも、現状では、隠されていることもたぶん多いだろうという話しも、吉田太郎さんの本のようにバラ色のユートピアとはいえない、アメリカと対立している現実の厳しさの中で考えれば、納得できるものがあります。
しかしほかの社会主義国がことごとく、資本主義の軍門に下ってしまって、唯一それらしくやっている国は知っている限りはキューバしかないのが現実。これからさらにインタビューを見ていけば、何故キューバだけがやっていけているのかがわかるかなと期待しています。
一つ、番組を見ていて気になったことがあります。カストロのキューバで日本国憲法の9条のようなものを制定することは無理だろうな、ということです。武装蜂起による過酷な内乱を経て作られた国には9条的な発想は出てこないような気がします。やっぱりそこには「正義の暴力」の正当化は避けられないからです。脱生産主義(?)まではなんとかしても、脱軍事主義はどうでしょう?
暴力は不可避な場面があることは確かだけれど、それを正当化は決してできないという、カミュ的なある意味では中途半端なスタンスが、単純化が疫病のように進行する退廃から身を守るすべなのだという、内田樹さんの「ためらいの倫理学」のテーマが思い浮かびました。
ボクの関心はどちらかといえば、国家的な事業として有機農業に取り組んだり、西洋医学に偏らない、代替医療に比重をかけた独自の医学で世界的な地位を築いたりとか、キューバという国の先見性がどこから生まれるのかにあります。
もちろん、こうした脱石油依存の社会にシフトを切ったのは、国際情勢の劇的な転換によって、その中で生き残るための止む終えない選択だったというのは事実です。とはいえ理想的な社会とは何か、というイデオロギー的な正統性から選んだ道ではなく、追いつっめられて、しかたなく掴んだ命綱が有機農法だった、そんなマイナーなやりかたで、よその国に頼らないでも最低限やっていける社会を作ろうとしているのがおもしろいではありませんか。
この前、3/25のシネマ&トークでの知見邦彦さんの話しでも、現状では、隠されていることもたぶん多いだろうという話しも、吉田太郎さんの本のようにバラ色のユートピアとはいえない、アメリカと対立している現実の厳しさの中で考えれば、納得できるものがあります。
しかしほかの社会主義国がことごとく、資本主義の軍門に下ってしまって、唯一それらしくやっている国は知っている限りはキューバしかないのが現実。これからさらにインタビューを見ていけば、何故キューバだけがやっていけているのかがわかるかなと期待しています。
一つ、番組を見ていて気になったことがあります。カストロのキューバで日本国憲法の9条のようなものを制定することは無理だろうな、ということです。武装蜂起による過酷な内乱を経て作られた国には9条的な発想は出てこないような気がします。やっぱりそこには「正義の暴力」の正当化は避けられないからです。脱生産主義(?)まではなんとかしても、脱軍事主義はどうでしょう?
暴力は不可避な場面があることは確かだけれど、それを正当化は決してできないという、カミュ的なある意味では中途半端なスタンスが、単純化が疫病のように進行する退廃から身を守るすべなのだという、内田樹さんの「ためらいの倫理学」のテーマが思い浮かびました。
by halunet
| 2007-04-04 13:24