2007年 02月 07日
明野から日の出を観る |
久松重光
先日、日の出町の処分場周辺の環境調査をされている方々の報告を須玉のふれあい会館で聞いてきました。今日は、当日参加されなかった人のために、僕が聞き取った限りでその報告会の概要を纏めてみました。参加された方で、僕の報告に誤りや遺漏があれば、訂正・加筆よろしくお願いします。
はじめに周辺環境の汚染状況について、安藤さんという方からの報告がありました。
日の出町最終処分場は、二ヶ沢と谷戸沢の二箇所があり、山の 高いところに位置している点では、明野の処分場の状況は似ているように思いました。
250万立法メートルの容量で、3多摩各市(人口350万人)から運び込まれるゴミで、日本の全人口比で言えば、全国で廃棄されるゴミの容量の30分の1に当たるそうです。周辺地域では、塩化物イオン濃度の値は、支流では高く、日の出町ではナトリウム・イオンの濃度は、他所に比べ、圧倒的に高い問うことです。
また谷戸沢処分場の風下では、癌死亡率が、1985年以来上がっていることをグラフで図示されました。また環境ホルモンの影響なのか男子出生率が下がっているとのこと。また廃棄物に含まれる有害物質の処分量については、鉛、水銀、カドミニウム、等々、鉛は、10年間で2228トン、水銀は23トンと具体的な数値を上げて説明されました。
また微細な浮遊焼却灰との関連で、局地風のことも話されました。当初風がどこからどこへ吹いているかについては、あまり考えなかったそうですが、これが結構大きな問題のようです。
微細な焼却灰の粒子は、空中に漂い地上にすぐには落ちてこないため、広域循環流の乗って広範囲な地域に広がり、有害物質を口から吸い込む可能性があるということ。また山風による周辺河川の汚染とも密接に関係していることも、さまざまな観測データから明らかにされました。
ダイオキシンは、水に溶けず、浮遊している微細な粒子は、雨などと一緒にいろいろな物質に付着し、地上の河川などに落ち、河川を汚染しているとのこと。空気中のダイオキシンなどの有害物質の数値は、時々刻々と変化するため、持続的な有害物質が蓄積を観測するためには、松葉のダイオキシン量を調べることが有効とのことでした。
これは、焼却灰飛散の抑止効果にもなったとのことです。具体的なデータを行政に明示したため、行政はその因果関係を認めないながらも、焼却灰を持ち込む際に、業者に捨てるときには水をまいて灰の飛散を防止するように義務付けたため、1998年にはA地域では、61,07ピコグラムあったものが、2002年には、0.7にB地域では、13,3ピコグラムが1,4と減少しました。
また接地逆転層?による周辺の汚染についても、明野などでも起こりうるものではないか、と思いました。高いところにある処理場からの空気が、上流に漂い、谷間の溜まった空気の上を 覆い、いわば蓋を閉めるようにしてしまい、長時間にわたって谷間の地域に有害物質が逗留してしまうということです。
安藤さんは、広報活動によって地域住民の危機意識の向上に努めることが大事だといって報告を終えました。
地下水の汚染については、中西さんという方が報告されました。調整池からは悪い水が出て、地下水の汚染が進んでいることは確実であるといわれました。
ゴムシートは、接合部が剥がれやすく、紫外線が当たればシート劣化は早まる。何本も張り巡らされている集廃管周辺からの漏れも心配される。
また柔らかい盛り土の上にシートを張ってもそんな盛り土がすぐになくなり、シャープな岩や竹の子の芽がシートを破損する危険がある等々の指摘をされました。また二ヶ沢と谷戸沢処分場周辺の水質データの推移を地下水の電気伝導度を測るという形で示されました。
自然界では通常100以下のところ、工事後6年たっても、電気伝導度の値は下がらず、恒常的に汚染が進んでおり、周辺の井戸水も汚染されているとのこと。
結論としては、処分場があれば、必ず地下水は飲めなくなる。地層の性質は、汚染のスピードと関係しており、電気伝導度と塩化物イオンの値には、相関関係があるとのこと。
明野においても今後の汚染の実態をはっきりさせるためにも植物の調査、植物の荒れと風やガスの流れを観測すること、工事の段階で工事の過程を記録しておくこと、鳥類、水生昆虫、コケなどの変化を記録しておくことの重要性を指摘されました。
また行政や司法に対して情報の開示を要求してゆくことは重要であるが、行政も司法も国の機関であり、行政裁判で住民が勝つことはまずないし、行政の溶出試験ははじめから、悪いデータが出ないように仕組んでいるから、住民側が自主的に観測を行い、正確なデータを突きつけてゆくことしかない、と言われていたように思いました。そして司法は、処分場は公共性の問題だから我慢せよという判決を下すのが通例であると指摘されました。
また集会の最後には、この前の市長と住民の対話集会で、「住民は処分場建設の反対の決議をしているので是非住民のところに来て説明していただきたい」と発言されていた浅尾地区の区長をされていた方が、(津田博幸さん)が、まったく私人として区長を務めたにすぎなく、そのこととはなんの関係もないのに、突然の配置転換を命じられました。この人事を不可解で承服しがたいと(県当局からの圧力?)、不本意ながら勤務するご自分の会社を訴える旨を次のようにアピールされました。
『私は、これまで中立公正を期そうと、反対運動の集会にも出たことはなく、会社とは関係なく浅尾区にすむ一住民として、区長を引き受けてきた。会社の社長ともこれまでうまくいっており、会社も私の仕事を評価してくれて、会社の経営陣の一人として仕事に従事してきた。こうした形で、私のサラリーマン人生を終えるのは残念でならない。私に降りかかった問題は、私個人だけの問題ではない、明日は別な人が私のような目に会うかもしれないと思い、提訴することにした』
最後に僕の感想です。今回の日の出町の住民の方々から裁判や行政の対応を聞き、これは、具体的には産業廃棄物処分場の問題ですが、そこに横たわっている問題の根は、ひとつのものだという感じを受けました。環境問題は、いまや戦争の問題とも直結しているように思いました。
この長らくわれわれが慣れ親しんできた経済成長神話と末期資本主義の問題は、一方でゴミの問題を生み出し、もう一方で世界戦争にもなりかねないエネルギー争奪戦を生み出しています。
行政も司法も、また多くの無関心な住民も、この生活形態を維持するためだから、ゴミ処分場の問題を抱えた地区の住民は我慢すべきと思っています。司法の言葉で言えば、公共性の問題であるということになります。まさに行政や司法は、その『公共性』の無さを『公共性』という言葉で言いくるめています。このような『公共性』という言葉の語法は、いまや完全に寝言です。
この論法でゆくならば、じきにこの消費資本主義を維持するためには、戦争も公共性の問題だから我慢しろ、と言うことになり、全体主義の再来を許すことになるでしょう。やはり公共性という言葉を、もう一度市民みずからが問いただし、市民の下からの「公共性」を作ってゆく時期に来ている、と思いました。
多くの人が、この処分場問題を公共性の再構築とリンクさせて考えることにより、まさに世界を関連でとらえるグローカルな思考の萌芽になるのではないか、と思いました。そして市民が、心ある行政官を説得しながら、地方自治と憲法を再構築できたらと思いました 。
先日、日の出町の処分場周辺の環境調査をされている方々の報告を須玉のふれあい会館で聞いてきました。今日は、当日参加されなかった人のために、僕が聞き取った限りでその報告会の概要を纏めてみました。参加された方で、僕の報告に誤りや遺漏があれば、訂正・加筆よろしくお願いします。
はじめに周辺環境の汚染状況について、安藤さんという方からの報告がありました。
日の出町最終処分場は、二ヶ沢と谷戸沢の二箇所があり、山の 高いところに位置している点では、明野の処分場の状況は似ているように思いました。
250万立法メートルの容量で、3多摩各市(人口350万人)から運び込まれるゴミで、日本の全人口比で言えば、全国で廃棄されるゴミの容量の30分の1に当たるそうです。周辺地域では、塩化物イオン濃度の値は、支流では高く、日の出町ではナトリウム・イオンの濃度は、他所に比べ、圧倒的に高い問うことです。
また谷戸沢処分場の風下では、癌死亡率が、1985年以来上がっていることをグラフで図示されました。また環境ホルモンの影響なのか男子出生率が下がっているとのこと。また廃棄物に含まれる有害物質の処分量については、鉛、水銀、カドミニウム、等々、鉛は、10年間で2228トン、水銀は23トンと具体的な数値を上げて説明されました。
また微細な浮遊焼却灰との関連で、局地風のことも話されました。当初風がどこからどこへ吹いているかについては、あまり考えなかったそうですが、これが結構大きな問題のようです。
微細な焼却灰の粒子は、空中に漂い地上にすぐには落ちてこないため、広域循環流の乗って広範囲な地域に広がり、有害物質を口から吸い込む可能性があるということ。また山風による周辺河川の汚染とも密接に関係していることも、さまざまな観測データから明らかにされました。
ダイオキシンは、水に溶けず、浮遊している微細な粒子は、雨などと一緒にいろいろな物質に付着し、地上の河川などに落ち、河川を汚染しているとのこと。空気中のダイオキシンなどの有害物質の数値は、時々刻々と変化するため、持続的な有害物質が蓄積を観測するためには、松葉のダイオキシン量を調べることが有効とのことでした。
これは、焼却灰飛散の抑止効果にもなったとのことです。具体的なデータを行政に明示したため、行政はその因果関係を認めないながらも、焼却灰を持ち込む際に、業者に捨てるときには水をまいて灰の飛散を防止するように義務付けたため、1998年にはA地域では、61,07ピコグラムあったものが、2002年には、0.7にB地域では、13,3ピコグラムが1,4と減少しました。
また接地逆転層?による周辺の汚染についても、明野などでも起こりうるものではないか、と思いました。高いところにある処理場からの空気が、上流に漂い、谷間の溜まった空気の上を 覆い、いわば蓋を閉めるようにしてしまい、長時間にわたって谷間の地域に有害物質が逗留してしまうということです。
安藤さんは、広報活動によって地域住民の危機意識の向上に努めることが大事だといって報告を終えました。
地下水の汚染については、中西さんという方が報告されました。調整池からは悪い水が出て、地下水の汚染が進んでいることは確実であるといわれました。
ゴムシートは、接合部が剥がれやすく、紫外線が当たればシート劣化は早まる。何本も張り巡らされている集廃管周辺からの漏れも心配される。
また柔らかい盛り土の上にシートを張ってもそんな盛り土がすぐになくなり、シャープな岩や竹の子の芽がシートを破損する危険がある等々の指摘をされました。また二ヶ沢と谷戸沢処分場周辺の水質データの推移を地下水の電気伝導度を測るという形で示されました。
自然界では通常100以下のところ、工事後6年たっても、電気伝導度の値は下がらず、恒常的に汚染が進んでおり、周辺の井戸水も汚染されているとのこと。
結論としては、処分場があれば、必ず地下水は飲めなくなる。地層の性質は、汚染のスピードと関係しており、電気伝導度と塩化物イオンの値には、相関関係があるとのこと。
明野においても今後の汚染の実態をはっきりさせるためにも植物の調査、植物の荒れと風やガスの流れを観測すること、工事の段階で工事の過程を記録しておくこと、鳥類、水生昆虫、コケなどの変化を記録しておくことの重要性を指摘されました。
また行政や司法に対して情報の開示を要求してゆくことは重要であるが、行政も司法も国の機関であり、行政裁判で住民が勝つことはまずないし、行政の溶出試験ははじめから、悪いデータが出ないように仕組んでいるから、住民側が自主的に観測を行い、正確なデータを突きつけてゆくことしかない、と言われていたように思いました。そして司法は、処分場は公共性の問題だから我慢せよという判決を下すのが通例であると指摘されました。
また集会の最後には、この前の市長と住民の対話集会で、「住民は処分場建設の反対の決議をしているので是非住民のところに来て説明していただきたい」と発言されていた浅尾地区の区長をされていた方が、(津田博幸さん)が、まったく私人として区長を務めたにすぎなく、そのこととはなんの関係もないのに、突然の配置転換を命じられました。この人事を不可解で承服しがたいと(県当局からの圧力?)、不本意ながら勤務するご自分の会社を訴える旨を次のようにアピールされました。
『私は、これまで中立公正を期そうと、反対運動の集会にも出たことはなく、会社とは関係なく浅尾区にすむ一住民として、区長を引き受けてきた。会社の社長ともこれまでうまくいっており、会社も私の仕事を評価してくれて、会社の経営陣の一人として仕事に従事してきた。こうした形で、私のサラリーマン人生を終えるのは残念でならない。私に降りかかった問題は、私個人だけの問題ではない、明日は別な人が私のような目に会うかもしれないと思い、提訴することにした』
最後に僕の感想です。今回の日の出町の住民の方々から裁判や行政の対応を聞き、これは、具体的には産業廃棄物処分場の問題ですが、そこに横たわっている問題の根は、ひとつのものだという感じを受けました。環境問題は、いまや戦争の問題とも直結しているように思いました。
この長らくわれわれが慣れ親しんできた経済成長神話と末期資本主義の問題は、一方でゴミの問題を生み出し、もう一方で世界戦争にもなりかねないエネルギー争奪戦を生み出しています。
行政も司法も、また多くの無関心な住民も、この生活形態を維持するためだから、ゴミ処分場の問題を抱えた地区の住民は我慢すべきと思っています。司法の言葉で言えば、公共性の問題であるということになります。まさに行政や司法は、その『公共性』の無さを『公共性』という言葉で言いくるめています。このような『公共性』という言葉の語法は、いまや完全に寝言です。
この論法でゆくならば、じきにこの消費資本主義を維持するためには、戦争も公共性の問題だから我慢しろ、と言うことになり、全体主義の再来を許すことになるでしょう。やはり公共性という言葉を、もう一度市民みずからが問いただし、市民の下からの「公共性」を作ってゆく時期に来ている、と思いました。
多くの人が、この処分場問題を公共性の再構築とリンクさせて考えることにより、まさに世界を関連でとらえるグローカルな思考の萌芽になるのではないか、と思いました。そして市民が、心ある行政官を説得しながら、地方自治と憲法を再構築できたらと思いました 。
by halunet
| 2007-02-07 16:09
| 廃棄物処分場問題
























