2006年 12月 12日
辺見庸さん講演会に行った |
久松重光
辺見 庸さんの講演会は、駿河台の明治大学の新しい校舎コモン・ホールで開かれました。当日は、とても盛況で1000人収容のホールは、ほぼ満席でした。
どんな講演であったかは、正確にはこの講演は本になるようですから、そちらをご覧ください。辺見さんは、半身不随ではあったけれども、思ったより元気で言葉にも力がありました。この日の講演のために、原稿まで用意されていたようで、ご自分の声を聴衆に伝えたいという意欲が、十分あるように拝察しました。以下ぼくが、聞き取った限りの講演の概要と当日の雰囲気です。聞き飛ばしたところや不正確なところや語りの順序の異動や記憶違いも多々あると思いますが、ぼくが、思い出す限りで書いてみます。
・・・・・・・・・
バッハのヴァイオリン・パルティータが流れる中、足をひきずりながら、辺見さんは現れました。開口一番、彼は、副題になっている「安部内閣と日本の将来について」は、医者から癌の治療には、免疫力が必要である、といわれていて安部首相に触れると、免疫力が下がるので触れませんと前置きして、倒れてからの心境を語り始めました。
彼が、闘病している間にも、親しい知り合いが、死んでいったことを語り、死の側から生きていることを語り、倒れて以来、「今」は、明日への経過ではなく、「今」は最終到達点であるといいます。永遠の「今」を最終到達点として刻々と「死」に向かう存在としての人間という境位から、以前よりも自分の内心の声に耳を澄まし、他者の内心の声に耳を澄まし、単独者として行動する。そして自分で承認できないことを静かに拒み、歌いたいことを好きなように歌い、これを犯してくる状況に、抗なう力が尽きたときには、彼の言葉では、入水する、といっていました。
そしてコイズミ政権以来、一番ダメージを受けているのは、言葉ではないか、と問いかけます。そして彼が敬愛するナチスの隆盛下で自殺に追い込まれたユダヤ人作家のヴァルター・ベンヤミンの「言葉と感動的な行為の間に魔法の火花が飛ぶ」、「また手段となった言葉は、雑草です」という言葉を引用し、言葉を手段として使うことをことに警鐘を鳴らし、「内奥の沈黙
の核へと言葉を集中的に向けてゆくとき、真の言葉の力がある」というベンヤミンの言葉を引きます。表層的な言葉の使用とともに、日本は、60数年かけて主体性を崩壊させた、と言い
ます。
1989年に「天皇制は、政治の彼方の虹であるべきだ」とあるエッセイストが言った言葉を批判的引用して、いまはそうなっているではないか、と問いかけます。
そして言葉を、身体をかけて紡いでいる人として、1974年8月14日に荒川鉄橋爆破計画で天皇暗殺未遂の廉で死刑宣告を受けた大道寺将司さんの俳句を披露します。
辺見さんは、その当時新聞記者だったそうですが、自分だったら決してやらないであろうし、またその行為に組することもなかったであろうと留保をつけつつ、9.11事件を称して「それを実行したのは彼らだが、望んだのは私たちのほうだ」というボードリアールの言葉を引き、一線を越えてしまい、今は獄中にある大道寺さんの心境に思いを馳せます。
まなうらの虹くずるるや鳥曇
あかときの悔恨深く冴え
母の日やもの言わで行く坂の町
秋の日を映して暗き鴉の目
特にこの最後の句を絶賛して、どうしたらこんな深い句を書けるだろうか、自分には絶対書けない、といいます。
また最近、第二次大戦のとき、自分はナチスのSSだったと告白した78歳の文豪ギュンター・グラスに触れます。グラスは、「ブリキの太鼓」などの名作を書いた作家でドイツの良心と
までいわれた人でしたが、最近自伝「たまねぎを剥きながら」で、自分は、17歳のときナチスのSSであったと告白して、ジャーナリズムで大問題になりました。
グラスは、自分の行為をドイツ語で、Schandeと呼んだことに辺見さんは、重大な意味を見ていました。ドイツ語には、日本語の恥に当たる言葉が、Shande と Shamの二つありますが、グラスは、自分の行為を「岩のように重く暗闇のように深い」恥辱を意味するShandeという言葉を使いました。
辺見さんは、日本では戦時中の自分の行為を「恥辱」と思っている作家は、どれだけいるだろうか、と問いかけます。また日本でグラスのように、戦時中の体験を告白したとしても、決し
て大きな反響や反発を呼ぶことはないだろう、といいます。多くの作家は、速やかに転向してしまったではないか、そしてそれに「恥辱」と感じてなどいないではないかと問い詰めます。
こうして日本人が、速やかに過去を忘れた淵源を辿って、戦後30年に「広島、長崎は、戦争なんだから仕方ない」という天皇の発言に触れ、それに怒らなかった日本人を見つめ、天皇制
は、神経細胞にまで体内化された不可視な監視装置と呼びます。
そして、仲代達也、加藤剛、吉永小百合、といった芸能人の人の名前をあげ、平和を唱えながら、勲章を貰うという行為に矛盾を感じない日本人の二重構造と批判し、尊敬する作家として石牟礼美智子さんの言葉を紹介しています。辺見さんは、石牟礼さんに電話で、「あなたぐらいになれば、勲章の話もあるでしょう。」と水を向けますと、石牟礼さんは、「こんなことがあったのよ」と言って話してくれたという内容を、石牟礼さんは嫌がるかもしれないけれどと前おきをしながら、紹介されました。
彼女は、皇后からご進講を頼まれたとき、彼女は、皇后に何の恨みもないし、いな皇后にはその人柄に好意さえ持っていたが、それはできないとお断りした、という石牟礼さんの言葉をひき、その潔癖を賞賛します。また、入院中に若い看護婦さんからの口から聞いた、「セーキは自分で洗いますか」という言葉を挙げて、媚びるでもなく強いるでもなくふざけるのでもない若い看護婦さんの真面目な問いに、彼は「恍惚」とした至福を感じたといいます。
辺見さんは、現在の状況に抗なうためには、永遠に単独者であれと言います。その意味は、なんらかの自分の属する団体から離れろ、と言っているわけではなく、行為において単独者とい
う主体者であれ、と言ってあれと言う意味だ、と言います。そして大道寺さんを死者への畏れ、単独者に近づきつつある人といい、また自分とは思想も違うが、と留保をつけながら、「一
人の個人を意志的な個人へとaufheben止揚しようとするとき、それにはむかってくる者、それが敵だ。沈黙するためには言葉が必要である」という詩人の石原吉郎の言葉に共感します。
そして最後に、ロールプレーイング・ゲームの必要性を唱えます。1943年中国の山西省での731部隊の生体解剖に触れます。中国人の青年が、手術台に乗せられ、その周りを20名
ほどの日本人の医師が取り囲み、手足をばたばたして暴れる中国人の青年の手足を皆で沈黙しながら押さえ、看護婦が、耳もとで「麻酔をかけるから大丈夫よ」というと、ぺろと舌を出した、という生体解剖の現場を描写し、その中国人の青年の身になってみることの重要性を訴えます。これは、恥で、恥を感じる力は、単独者にしか宿らない、つまり言説にたいして血の通った人間的な責任を負う者にしか宿らない、と言います。
今のような状況では、たとえば、日の丸・君が代の斉唱を、間違っていると組合などを通してでなく、単独で、足を震わせながら校長室に訴えにゆくような人を、辺見さんは、単独者と呼
び、人にも知られず静かな抵抗をしている人を讃え、若い人にも、そうあれかし、と望み、このような状況を恐怖し、怒ってくださいと、そして少し言いおよんで、殺意を持ってください、と言って講演を終え、麻痺した右手足を引きずりながら、壇上を去りました。
大分、空覚えで不正確ですが、大体こんな内容の講演であったと思います。
最後にぼくの感想ですが、言葉の批判者、辺見さんの激烈な否定の感情は、人間への優しい心情ゆえであることがよく出ていた、また9.11以降の世界状況に辺見さんは本当に深く「傷
ついているな」と感じとれる真剣な講演であったと思いますが、時々、平和運動をちょっと単純化して揶揄するとき、少し残念に思いました。
また単独者を称揚するあまり、単独者の内部の他者の問題にはあまり触れることなく、個人と他者の関係をどう築き上げるべきか、といった問題や否定的契機から、肯定的な未来像にどう接続してゆくのか、ということがあまり語られなかったのは、残念でした。でもそれは辺見さんに求めることではないかもしれません。
帰りしな彼の新刊書「審問」を買い求めました。その本には、震える字で、「潜思」と書かれて
いました。そしてその本の「あとがき」の「神意は真に存在するのか」の章を「われわれの運命を決める神は、われわれの内部にいる。われわれの自己こそそれである」というJ・アレンの言葉で始まり、「神意は、いにしえから21世紀現在にいたるまで、戦争発動や 死刑、大量虐殺、帝位継承の正当性などにしきりに利用されてきた。私は、だから、誰より臆病だけれども、神意を語らない。もし戦争にも死刑にも徹底的に反対する神意ならば、私はそれを信じるだろう。」という言葉でその本を結んでいます。
ぼくには、この言葉は、20世紀人、辺見 庸さんの「ヨブの問いかけ」のように、響きました。あんまり治癒力を増大させる内容ではなかったようにも思えますが、歩行も困難な身で、文字通り全身全霊で語る辺見さんの姿勢からは、深いメタ・メッセージを聞き取ることができました。
辺見 庸さんの講演会は、駿河台の明治大学の新しい校舎コモン・ホールで開かれました。当日は、とても盛況で1000人収容のホールは、ほぼ満席でした。
どんな講演であったかは、正確にはこの講演は本になるようですから、そちらをご覧ください。辺見さんは、半身不随ではあったけれども、思ったより元気で言葉にも力がありました。この日の講演のために、原稿まで用意されていたようで、ご自分の声を聴衆に伝えたいという意欲が、十分あるように拝察しました。以下ぼくが、聞き取った限りの講演の概要と当日の雰囲気です。聞き飛ばしたところや不正確なところや語りの順序の異動や記憶違いも多々あると思いますが、ぼくが、思い出す限りで書いてみます。
・・・・・・・・・
バッハのヴァイオリン・パルティータが流れる中、足をひきずりながら、辺見さんは現れました。開口一番、彼は、副題になっている「安部内閣と日本の将来について」は、医者から癌の治療には、免疫力が必要である、といわれていて安部首相に触れると、免疫力が下がるので触れませんと前置きして、倒れてからの心境を語り始めました。
彼が、闘病している間にも、親しい知り合いが、死んでいったことを語り、死の側から生きていることを語り、倒れて以来、「今」は、明日への経過ではなく、「今」は最終到達点であるといいます。永遠の「今」を最終到達点として刻々と「死」に向かう存在としての人間という境位から、以前よりも自分の内心の声に耳を澄まし、他者の内心の声に耳を澄まし、単独者として行動する。そして自分で承認できないことを静かに拒み、歌いたいことを好きなように歌い、これを犯してくる状況に、抗なう力が尽きたときには、彼の言葉では、入水する、といっていました。
そしてコイズミ政権以来、一番ダメージを受けているのは、言葉ではないか、と問いかけます。そして彼が敬愛するナチスの隆盛下で自殺に追い込まれたユダヤ人作家のヴァルター・ベンヤミンの「言葉と感動的な行為の間に魔法の火花が飛ぶ」、「また手段となった言葉は、雑草です」という言葉を引用し、言葉を手段として使うことをことに警鐘を鳴らし、「内奥の沈黙
の核へと言葉を集中的に向けてゆくとき、真の言葉の力がある」というベンヤミンの言葉を引きます。表層的な言葉の使用とともに、日本は、60数年かけて主体性を崩壊させた、と言い
ます。
1989年に「天皇制は、政治の彼方の虹であるべきだ」とあるエッセイストが言った言葉を批判的引用して、いまはそうなっているではないか、と問いかけます。
そして言葉を、身体をかけて紡いでいる人として、1974年8月14日に荒川鉄橋爆破計画で天皇暗殺未遂の廉で死刑宣告を受けた大道寺将司さんの俳句を披露します。
辺見さんは、その当時新聞記者だったそうですが、自分だったら決してやらないであろうし、またその行為に組することもなかったであろうと留保をつけつつ、9.11事件を称して「それを実行したのは彼らだが、望んだのは私たちのほうだ」というボードリアールの言葉を引き、一線を越えてしまい、今は獄中にある大道寺さんの心境に思いを馳せます。
まなうらの虹くずるるや鳥曇
あかときの悔恨深く冴え
母の日やもの言わで行く坂の町
秋の日を映して暗き鴉の目
特にこの最後の句を絶賛して、どうしたらこんな深い句を書けるだろうか、自分には絶対書けない、といいます。
また最近、第二次大戦のとき、自分はナチスのSSだったと告白した78歳の文豪ギュンター・グラスに触れます。グラスは、「ブリキの太鼓」などの名作を書いた作家でドイツの良心と
までいわれた人でしたが、最近自伝「たまねぎを剥きながら」で、自分は、17歳のときナチスのSSであったと告白して、ジャーナリズムで大問題になりました。
グラスは、自分の行為をドイツ語で、Schandeと呼んだことに辺見さんは、重大な意味を見ていました。ドイツ語には、日本語の恥に当たる言葉が、Shande と Shamの二つありますが、グラスは、自分の行為を「岩のように重く暗闇のように深い」恥辱を意味するShandeという言葉を使いました。
辺見さんは、日本では戦時中の自分の行為を「恥辱」と思っている作家は、どれだけいるだろうか、と問いかけます。また日本でグラスのように、戦時中の体験を告白したとしても、決し
て大きな反響や反発を呼ぶことはないだろう、といいます。多くの作家は、速やかに転向してしまったではないか、そしてそれに「恥辱」と感じてなどいないではないかと問い詰めます。
こうして日本人が、速やかに過去を忘れた淵源を辿って、戦後30年に「広島、長崎は、戦争なんだから仕方ない」という天皇の発言に触れ、それに怒らなかった日本人を見つめ、天皇制
は、神経細胞にまで体内化された不可視な監視装置と呼びます。
そして、仲代達也、加藤剛、吉永小百合、といった芸能人の人の名前をあげ、平和を唱えながら、勲章を貰うという行為に矛盾を感じない日本人の二重構造と批判し、尊敬する作家として石牟礼美智子さんの言葉を紹介しています。辺見さんは、石牟礼さんに電話で、「あなたぐらいになれば、勲章の話もあるでしょう。」と水を向けますと、石牟礼さんは、「こんなことがあったのよ」と言って話してくれたという内容を、石牟礼さんは嫌がるかもしれないけれどと前おきをしながら、紹介されました。
彼女は、皇后からご進講を頼まれたとき、彼女は、皇后に何の恨みもないし、いな皇后にはその人柄に好意さえ持っていたが、それはできないとお断りした、という石牟礼さんの言葉をひき、その潔癖を賞賛します。また、入院中に若い看護婦さんからの口から聞いた、「セーキは自分で洗いますか」という言葉を挙げて、媚びるでもなく強いるでもなくふざけるのでもない若い看護婦さんの真面目な問いに、彼は「恍惚」とした至福を感じたといいます。
辺見さんは、現在の状況に抗なうためには、永遠に単独者であれと言います。その意味は、なんらかの自分の属する団体から離れろ、と言っているわけではなく、行為において単独者とい
う主体者であれ、と言ってあれと言う意味だ、と言います。そして大道寺さんを死者への畏れ、単独者に近づきつつある人といい、また自分とは思想も違うが、と留保をつけながら、「一
人の個人を意志的な個人へとaufheben止揚しようとするとき、それにはむかってくる者、それが敵だ。沈黙するためには言葉が必要である」という詩人の石原吉郎の言葉に共感します。
そして最後に、ロールプレーイング・ゲームの必要性を唱えます。1943年中国の山西省での731部隊の生体解剖に触れます。中国人の青年が、手術台に乗せられ、その周りを20名
ほどの日本人の医師が取り囲み、手足をばたばたして暴れる中国人の青年の手足を皆で沈黙しながら押さえ、看護婦が、耳もとで「麻酔をかけるから大丈夫よ」というと、ぺろと舌を出した、という生体解剖の現場を描写し、その中国人の青年の身になってみることの重要性を訴えます。これは、恥で、恥を感じる力は、単独者にしか宿らない、つまり言説にたいして血の通った人間的な責任を負う者にしか宿らない、と言います。
今のような状況では、たとえば、日の丸・君が代の斉唱を、間違っていると組合などを通してでなく、単独で、足を震わせながら校長室に訴えにゆくような人を、辺見さんは、単独者と呼
び、人にも知られず静かな抵抗をしている人を讃え、若い人にも、そうあれかし、と望み、このような状況を恐怖し、怒ってくださいと、そして少し言いおよんで、殺意を持ってください、と言って講演を終え、麻痺した右手足を引きずりながら、壇上を去りました。
大分、空覚えで不正確ですが、大体こんな内容の講演であったと思います。
最後にぼくの感想ですが、言葉の批判者、辺見さんの激烈な否定の感情は、人間への優しい心情ゆえであることがよく出ていた、また9.11以降の世界状況に辺見さんは本当に深く「傷
ついているな」と感じとれる真剣な講演であったと思いますが、時々、平和運動をちょっと単純化して揶揄するとき、少し残念に思いました。
また単独者を称揚するあまり、単独者の内部の他者の問題にはあまり触れることなく、個人と他者の関係をどう築き上げるべきか、といった問題や否定的契機から、肯定的な未来像にどう接続してゆくのか、ということがあまり語られなかったのは、残念でした。でもそれは辺見さんに求めることではないかもしれません。
帰りしな彼の新刊書「審問」を買い求めました。その本には、震える字で、「潜思」と書かれて
いました。そしてその本の「あとがき」の「神意は真に存在するのか」の章を「われわれの運命を決める神は、われわれの内部にいる。われわれの自己こそそれである」というJ・アレンの言葉で始まり、「神意は、いにしえから21世紀現在にいたるまで、戦争発動や 死刑、大量虐殺、帝位継承の正当性などにしきりに利用されてきた。私は、だから、誰より臆病だけれども、神意を語らない。もし戦争にも死刑にも徹底的に反対する神意ならば、私はそれを信じるだろう。」という言葉でその本を結んでいます。
ぼくには、この言葉は、20世紀人、辺見 庸さんの「ヨブの問いかけ」のように、響きました。あんまり治癒力を増大させる内容ではなかったようにも思えますが、歩行も困難な身で、文字通り全身全霊で語る辺見さんの姿勢からは、深いメタ・メッセージを聞き取ることができました。
by halunet
| 2006-12-12 10:53
























