2012年 08月 06日
ふくしま集団疎開裁判に新たな展開!形式的に低線量被曝の危険性を否定した一審を見直すか。 |
ふくしま集団疎開裁判ブログから
http://fukusima-sokai.blogspot.jp
8月3日,仙台高裁から原告に対し,当事者双方を裁判所に呼び出す審尋期日の指定の連絡が入りました。
仮処分事件の二審では、書面審理だけで結論を出すのが普通で、もし一審の判断通り原告を負かすのであれば審尋期日を設ける必要はありません。ということは審尋期日を開く目的は、形式的な理屈で低線量被ばくの危険性を否定した一審判決を見直すためという可能性があります。
これは疎開裁判始まって以来最大の転機です。そして、判決見直しの可能性を現実のものにするかどうかは、ひとえに「子どもを守れ」という多くの市民の皆さんの声にかかっています。
どうか、皆さん、5年、10年後に子どもたちの深刻な健康被害が明らかになってから「子どもを守れ」と声をあげるのではなく、今ここで声をあげて下さい。そして、ひとりひとりの小さな声を「つなげて」大きな声にして裁判所に届け、裁判所が勇気ある判断に踏み出せるように、みんなで力強く支えましょう。
******** 以下、その詳細です *********
8月3日,仙台高裁から原告弁護団に対し,「審尋期日を設ける」という連絡が入りました。その結果、9月19日以降に(現在、日程を調整中)、原告側と被告側の双方が裁判官の面前で、1時間の予定で意見や主張を述べ合うことになりました。
本件のような「仮の地位を定める仮処分事件」では,第一審の裁判所は,原告側と被告側の双方が立ち会う審尋期日を設けて審理を行うこととされています。しかし,第二審では審尋期日を設ける義務はなく,書面審理だけで裁判所の判断(決定)がなされることが普通です。
本件において,原告弁護団は当初から、仙台高裁に対し,「審尋期日を設ける」ように求めてきましたが(3月28日付申入れ),しかしこれが認められず書面審理だけで裁判所の判断(決定)が出される可能性は大きいと覚悟していました。ところが、予想に反して、仙台高裁は「審尋期日を設ける」と連絡をしてきたのです。
これは何を意味するかといいますと、もし仙台高裁が,第一審の福島地裁郡山支部と同様の形式的な理屈で原告らの申立てを退けようと思っているのであれば,わざわざ審尋期日を設ける必要はありません。余計な手間を減らすのが今日の司法の方針だからです。わざわざ審尋期日を設けたのには訳があります――仙台高裁は,原告らの訴えに耳を傾けて,本件の争点である低線量被ばくの危険性について,真剣に取り組もうと考えている可能性です。それはとりもなおさず、低線量被ばくの危険性を認めず避難を認めなかった第一審の判断(決定)を見直す可能性です(※)。届いたのは「審尋期日を設ける」という1枚の紙ですが、そこには裁判所の一大決意が込められています。
ふくしま集団疎開裁判は,新たな展開を始めました。
審尋期日を設けることを決断した裁判所の背中を押したのは,一方で、第一審の判断(決定)後に、低線量被ばくの危険性についてさらに、山内意見書、矢ヶ崎意見書(4)、松崎意見書<をはじめとする用意周到な証拠資料の提出があったこと、他方で,この裁判を知り,関心を持ち,ふくしまの子供たちを見殺しにする第一審の決定に怒りを抱いた多くの市民の皆さんがいたことです。
もっとも、皆さんの中には、私たちは科学の専門家でも法律の専門家でもない、ただの一般市民だ、そんな者にどうして裁判所の背中を押すことができるのか?と不思議がる方がおられるかもしれません。
本来、裁判というのは「事実」を基礎として、最後の結論は「倫理(何を大切にするのかという価値判断)」によって出すものです。疎開裁判の結論を最終的に決めるのは「子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在、無条件に守られるべき存在はない」という倫理=人の道の有無です。では、倫理はどのようにして存在するものなのか。魯迅はこう言いました。「もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」。倫理が実現されるかどうかは、ひとえに多くの皆さんがこれを支持する=人の道として認めるかどうかにかかっているのです。この意味で、皆さんひとりひとりの態度が疎開裁判の結論を決めるのです。
いま、原告弁護団は,審尋期日の場を裁判官を「説得」する絶好の機会であると考えて,どのような中身にするかの検討をスタートしました。
是非,ひとりでも多くの皆さんが,「いま危険にさらされているふくしまの子どもたちを守れ!」という倫理の声をあげて、倫理的判断の面から裁判官を「説得」し、疎開裁判最大の転換点である、きたる審尋期日の歯車を、皆さんと一緒にガラガラと回して、ふくしまの子どもたちの命の輝きを取り戻そうではありませんか。
そのために今年2月からスタートした世界市民法廷への評決(まだ評決をしていない方が沢山おられます)、そして、近くスタート予定のAVAZZの署名に、一人でも多くの皆さんが参加していただくことを切に願うものです。
(※)一般の民事裁判では、最高裁判所は書面審理だけで結論を出しますが、第二審の判断(判決)を見直す場合には、必ず口頭弁論期日(本件の審尋期日に対応するもの)を設けなければならないとされています。
http://fukusima-sokai.blogspot.jp
8月3日,仙台高裁から原告に対し,当事者双方を裁判所に呼び出す審尋期日の指定の連絡が入りました。
仮処分事件の二審では、書面審理だけで結論を出すのが普通で、もし一審の判断通り原告を負かすのであれば審尋期日を設ける必要はありません。ということは審尋期日を開く目的は、形式的な理屈で低線量被ばくの危険性を否定した一審判決を見直すためという可能性があります。
これは疎開裁判始まって以来最大の転機です。そして、判決見直しの可能性を現実のものにするかどうかは、ひとえに「子どもを守れ」という多くの市民の皆さんの声にかかっています。
どうか、皆さん、5年、10年後に子どもたちの深刻な健康被害が明らかになってから「子どもを守れ」と声をあげるのではなく、今ここで声をあげて下さい。そして、ひとりひとりの小さな声を「つなげて」大きな声にして裁判所に届け、裁判所が勇気ある判断に踏み出せるように、みんなで力強く支えましょう。
******** 以下、その詳細です *********
8月3日,仙台高裁から原告弁護団に対し,「審尋期日を設ける」という連絡が入りました。その結果、9月19日以降に(現在、日程を調整中)、原告側と被告側の双方が裁判官の面前で、1時間の予定で意見や主張を述べ合うことになりました。
本件のような「仮の地位を定める仮処分事件」では,第一審の裁判所は,原告側と被告側の双方が立ち会う審尋期日を設けて審理を行うこととされています。しかし,第二審では審尋期日を設ける義務はなく,書面審理だけで裁判所の判断(決定)がなされることが普通です。
本件において,原告弁護団は当初から、仙台高裁に対し,「審尋期日を設ける」ように求めてきましたが(3月28日付申入れ),しかしこれが認められず書面審理だけで裁判所の判断(決定)が出される可能性は大きいと覚悟していました。ところが、予想に反して、仙台高裁は「審尋期日を設ける」と連絡をしてきたのです。
これは何を意味するかといいますと、もし仙台高裁が,第一審の福島地裁郡山支部と同様の形式的な理屈で原告らの申立てを退けようと思っているのであれば,わざわざ審尋期日を設ける必要はありません。余計な手間を減らすのが今日の司法の方針だからです。わざわざ審尋期日を設けたのには訳があります――仙台高裁は,原告らの訴えに耳を傾けて,本件の争点である低線量被ばくの危険性について,真剣に取り組もうと考えている可能性です。それはとりもなおさず、低線量被ばくの危険性を認めず避難を認めなかった第一審の判断(決定)を見直す可能性です(※)。届いたのは「審尋期日を設ける」という1枚の紙ですが、そこには裁判所の一大決意が込められています。
ふくしま集団疎開裁判は,新たな展開を始めました。
審尋期日を設けることを決断した裁判所の背中を押したのは,一方で、第一審の判断(決定)後に、低線量被ばくの危険性についてさらに、山内意見書、矢ヶ崎意見書(4)、松崎意見書<をはじめとする用意周到な証拠資料の提出があったこと、他方で,この裁判を知り,関心を持ち,ふくしまの子供たちを見殺しにする第一審の決定に怒りを抱いた多くの市民の皆さんがいたことです。
もっとも、皆さんの中には、私たちは科学の専門家でも法律の専門家でもない、ただの一般市民だ、そんな者にどうして裁判所の背中を押すことができるのか?と不思議がる方がおられるかもしれません。
本来、裁判というのは「事実」を基礎として、最後の結論は「倫理(何を大切にするのかという価値判断)」によって出すものです。疎開裁判の結論を最終的に決めるのは「子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在、無条件に守られるべき存在はない」という倫理=人の道の有無です。では、倫理はどのようにして存在するものなのか。魯迅はこう言いました。「もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」。倫理が実現されるかどうかは、ひとえに多くの皆さんがこれを支持する=人の道として認めるかどうかにかかっているのです。この意味で、皆さんひとりひとりの態度が疎開裁判の結論を決めるのです。
いま、原告弁護団は,審尋期日の場を裁判官を「説得」する絶好の機会であると考えて,どのような中身にするかの検討をスタートしました。
是非,ひとりでも多くの皆さんが,「いま危険にさらされているふくしまの子どもたちを守れ!」という倫理の声をあげて、倫理的判断の面から裁判官を「説得」し、疎開裁判最大の転換点である、きたる審尋期日の歯車を、皆さんと一緒にガラガラと回して、ふくしまの子どもたちの命の輝きを取り戻そうではありませんか。
そのために今年2月からスタートした世界市民法廷への評決(まだ評決をしていない方が沢山おられます)、そして、近くスタート予定のAVAZZの署名に、一人でも多くの皆さんが参加していただくことを切に願うものです。
(※)一般の民事裁判では、最高裁判所は書面審理だけで結論を出しますが、第二審の判断(判決)を見直す場合には、必ず口頭弁論期日(本件の審尋期日に対応するもの)を設けなければならないとされています。
by halunet
| 2012-08-06 18:11
| 原発と核
























