2012年 05月 23日
「災害廃棄物の広域処理」について北杜市長に反対の立場を表明してもらうための署名が始まった |
4月3日のひろば/ガレキチームの中島です。
震災ガレキの受け入れが山梨でも進められようとしていることはご存知かと思います。これに対して私たちもなにかできないかと検討し、署名を集めることになりました。
1、「災害廃棄物の広域処理」について北杜市長に反対の立場を表明してもらうこと、
2、ガレキの受け入れではなく北杜市独自の支援を検討してもらうこと
を求める要望書を提出します。
それに賛同していただける方の署名を集めますのでご協力いただければと思います。署名者は北杜市在住者以外でもOKです。
要望書の全文はこちらのガレキチームの公式ブログで掲載していますし、署名用紙もこちらからダウンドードできます。
http://43gareki.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
また、このガレキチームの公式ブログでは「広域処理」の問題点を指摘した情報を掲載しています。「4月3日のひろば」のみなさんにとってはご存知のことばかりかもしれませんが。
また、ガレキの問題は単なる放射能の拡散防止というだけでなく、私たちの意識のあり方を問われていると思っています。原発には反対していても、ガレキについては被災地のため、と容認している人が多いように思います。私も震災の3週間後に宮城に入り、そのガレキの物凄さに言葉を失いました。ですからガレキをなんとかしてほしい、という被災地の声が実際にあることも想像がつきます。それを考えるとつい、ガレキの受け入れで協力できるなら、と気持ちに流されてしまうのもわかります。
(環境省はその声を利用しています。こんなHPまで作っています。http://kouikishori.env.go.jp/yt/index.html)
しかし、私たちがまず意識しなければならないのは、次の世代が安心して暮らせる環境を引き継いで行く、ということだと思います。誤解を招くかもしれませんが、「被災地のために受け入れる」という考え方は大人のエゴだと思うのです。被災地が未だに大変な状況にあるのに、私たちは今まで通り生活ができている。私もそのことに後ろめたさを感じます。その「うしろめたさ」を解消するために、「ガレキを受け入れる」という選択をしていると思えるのです。つまり、被災地のためではなく、自分の気持ちを楽にするためだと言えるのではないでしょうか。
もちろんそのガレキが汚染されていなければそれもいいでしょう。
しかし、ガレキを受け入れた結果、100年後に子供たちの誰かが放射能の影響で健康を害してしまう可能性がゼロではないとすれば、それは、私たち大人の今の感情を和らげるための代償としては大きすぎると思います。
これから署名を集めていくと、「被災地のためになるのに何故反対するのか」という声もあると思います。そのとき、自分がなにを強く意識していなければならないかを常に持っている必要があると思っています。
長々とすみませんでした。私自身、このガレキの問題についてはつい揺れてしまうことがありますので自分に言い聞かせる意味で書かせていただきました。みなさまお忙しいかと思いますが、ぜひご協力をお願いいたします。
中島 和也
震災ガレキの受け入れが山梨でも進められようとしていることはご存知かと思います。これに対して私たちもなにかできないかと検討し、署名を集めることになりました。
1、「災害廃棄物の広域処理」について北杜市長に反対の立場を表明してもらうこと、
2、ガレキの受け入れではなく北杜市独自の支援を検討してもらうこと
を求める要望書を提出します。
それに賛同していただける方の署名を集めますのでご協力いただければと思います。署名者は北杜市在住者以外でもOKです。
要望書の全文はこちらのガレキチームの公式ブログで掲載していますし、署名用紙もこちらからダウンドードできます。
http://43gareki.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
また、このガレキチームの公式ブログでは「広域処理」の問題点を指摘した情報を掲載しています。「4月3日のひろば」のみなさんにとってはご存知のことばかりかもしれませんが。
また、ガレキの問題は単なる放射能の拡散防止というだけでなく、私たちの意識のあり方を問われていると思っています。原発には反対していても、ガレキについては被災地のため、と容認している人が多いように思います。私も震災の3週間後に宮城に入り、そのガレキの物凄さに言葉を失いました。ですからガレキをなんとかしてほしい、という被災地の声が実際にあることも想像がつきます。それを考えるとつい、ガレキの受け入れで協力できるなら、と気持ちに流されてしまうのもわかります。
(環境省はその声を利用しています。こんなHPまで作っています。http://kouikishori.env.go.jp/yt/index.html)
しかし、私たちがまず意識しなければならないのは、次の世代が安心して暮らせる環境を引き継いで行く、ということだと思います。誤解を招くかもしれませんが、「被災地のために受け入れる」という考え方は大人のエゴだと思うのです。被災地が未だに大変な状況にあるのに、私たちは今まで通り生活ができている。私もそのことに後ろめたさを感じます。その「うしろめたさ」を解消するために、「ガレキを受け入れる」という選択をしていると思えるのです。つまり、被災地のためではなく、自分の気持ちを楽にするためだと言えるのではないでしょうか。
もちろんそのガレキが汚染されていなければそれもいいでしょう。
しかし、ガレキを受け入れた結果、100年後に子供たちの誰かが放射能の影響で健康を害してしまう可能性がゼロではないとすれば、それは、私たち大人の今の感情を和らげるための代償としては大きすぎると思います。
これから署名を集めていくと、「被災地のためになるのに何故反対するのか」という声もあると思います。そのとき、自分がなにを強く意識していなければならないかを常に持っている必要があると思っています。
長々とすみませんでした。私自身、このガレキの問題についてはつい揺れてしまうことがありますので自分に言い聞かせる意味で書かせていただきました。みなさまお忙しいかと思いますが、ぜひご協力をお願いいたします。
中島 和也
by halunet
| 2012-05-23 08:39
| 原発と核
























