2011年 09月 06日
藤岡惇:「双頭の天龍」を地球生命圏に降下させた危険を見据えよう(2) |
藤岡惇:福島で進行中の核の大惨事をどう見るか ―「双頭の天龍」を地球生命圏に降下させた危険を見据えよう(1からのつづき)
●メルトダウンからメルトスルーへ
東北大地震は、福島第一原発を直撃し、翌12日の午後3時に1号機が、14日午前11時には3号機が、15日には2号機・4号機が水素爆発を起こした。21日になると3号機に再び奇怪な爆発がおこった。
後掲の乗松さんのレポートが伝えるように、3月14日に起こった3号炉の爆発は、ボーン・ボーンという激しい爆発音を伴い、数百メートル上空にまできのこ雲が噴きあがった。このおぞましい情景は海外では動画つきで詳細に伝えられた。「ヒロシマのある国」で、チェルノブイリに匹敵する大惨事が発生したことを外国人のほうが先に、より正確に知ったのである。乗松さんから教えてもらって、この音声入りの映像を見た私は衝撃を受けた。福島で生まれ育った高橋哲哉さんも、こう書いている。3号機では、ウランとまぜて使われていたプルトニウムが「反応して一瞬の臨界状態となり、ミニ核爆発が起こったのではないかとみる人もいます。映像を見ると、確かに黒い煙がパッと上がって、キノコ雲のような形状になる。それを繰り返しユーチューブで見ていると、どうしても広島が想起され」た、と(『世界』2011年8月号、112ページ)。
しかしNHKは、この種の動画の放映を許さなかった。主要マスコミも、進行している核の大惨事をできるだけ小さいもの、危険の低いものに割り引いて伝えた。アジア太平洋戦争中の「大本営発表」と類似した報道管制が敷かれたのだ。
当初は米国の支配層にさえ、真相は十分には伝えられなかった。早い段階で「米側は無人偵察機グローバルホークの情報から原子炉の温度が異常に高いことを把握し、『燃料がすでに溶融している』と判断し、正確な情報の共有を日本側に迫った」(『読売新聞』2011年8月17日付け)。3月16日未明には、これ以上情報の非開示を続けるなら「在京米国人9万人を日本から緊急避難させる命令を出す。東京がパニックとなってもよいのか」と脅すことで、ようやく対策本部への米国人専門家の大量進駐=再占領を日本政府に認めさせた。
日本国民にたいする情報統制の態勢は、その後も長く続いた。地震の5時間後にはすでに1号機は炉心溶融(メルトダウン)をおこしていたこと、その数日後には、他の3基もメルトダウン(核燃料棒が溶解し、炉の底部にたまる段階)からメルトスルー(溶解した核燃料が炉の底を貫通して炉の外に出る段階)に至っていたことを日本政府が認めたのは、事件から3か月がたった6月6日のことであった。
●3月15日の最大規模の放出
爆発や「ベント」(原子炉からの意図的な放出)を介して、いつ・どれだけの量の放射性物質=放射能が大気中に放出されたのだろうか。震災の1日後の12日に1号機が、14日には3号機が爆発したが、放射能の放出規模はまだそれほど大きくはなかったし、海側に向けて風が吹いていたため、陸地の汚染はまだ小規模なレベルにとどまっていた。
14日夕方に2号機で炉心露出が起こり、原発周辺の放射線量が上がり始めた。「最大の危機が15日に訪れた。3月15日の午前6時ころに2号機の圧力抑制室が水素爆発で破損した。同時刻に、定期検査で冷温中であった4号機でも爆発が起こった。4号機の使用済みの核燃料貯蔵プールには最大数の核燃料集合体が入っており、相当数の核燃料が破損・溶解し、放射性物質を放出した可能性がある」(『朝日新聞』2011年7月10日付)。
その結果、15日午前9時には放射線雲(プルーム)が形成された。プルームは当初、南西から西方向に動き、放射能は福島県中通り地方に落下した。
同日の夕刻から夜に、「悪魔の風」が原発の北西に位置する飯館村と福島市を襲った。群馬大学の火山学者である早川由紀夫さんは、こう語っている。「放射性物質は高さ数十メートルの風に乗って地表をなめるように移動した。盆地や山肌など地形の起伏を感じ取って分布しているのはそのためだ。・・・飯館村が深刻な汚染に見舞われたのは、同じ3月15日の18時のことである。その日は夕刻になって福島原発に吹きつける風が南東からに変わった。これが福島県にとって悪魔の風となった。特別に濃い放射能雲が出現して19時に福島市、20時半に郡山市に達した。・・・この放射能雲は白河の関を越えて栃木県内に侵入し、那須と日光に達した」(『週刊金曜日』2011年7月8日号、22ページ)。「この時、群馬・栃木両県の北部で雨が降ったため、放射線物質が沈着したホットスポットができた。」なぜなら放射性セシウムの粒径はごく小さいために重力では落ちず、雨が降らないことには、ほとんど沈着しないからである(『日本経済新聞』2011年7月25日)。
●3月21日の3号機の危機――新たな大量放出
3月21日の午前になると、北から吹く風となり、福島第一の風下地域(福島第二原発・北茨城市・高萩市・水戸市)で、空間放射線量が数倍にはねあがった。このような異常事態が、なぜおこったのか。原子力専門家の田辺文也さんによると、同時刻にMOX燃料を燃やしていた3号機の圧力容器の圧力が通常の110倍のレベルにまで急上昇した。あまりの高圧のため、冷却水を外から注入できない事態となり、溶融物の塊が再び溶融し、水蒸気爆発を起こした。そのため灼熱の溶融物の固まりが圧力容器を突き抜けて、格納容器に落ち込んだ。その衝撃をうけて、一部の放射能は炉外に放出され、風下の福島県内部から北茨城一帯を汚染したというのが、田辺文也さんの見立てだ(『朝日新聞』2011年8月8日付け)。
3月23日になると、新たなプルームが形成され、「茨城沿岸から千葉を通り、南下。関東地方の多くではこの間、連日雨が降って各地で放射性物質が地表に沈着した」(『朝日新聞』2011年8月11日付け)。
●放射能汚染のホットスポットの形成
4月に入ると、文部科学省と米国のエネルギー省とが共同で150―700メートル上空から土壌の放射能汚染度を測定する大規模な調査を行い、詳細な汚染地図を作成した。半減期30年のセシウム137の蓄積濃度が1平方メートルあたり60万ベクレル以上といえば、チェルノブイリ原発事故の際に強制移住の対象となった地域の汚染レベルに相当するが、調査の結果、この種の汚染地域は福島県を中心に800平方キロに広がっていることが判明した(ただし日本では、住民の避難脱出を促すのを恐れて、ごく控えめにしか報道されなかった)。面積は、東京都面積の4割、琵琶湖の約1・2倍に相当し、チェルノブイリ事故当時の強制移住地域全体のほぼ1割の広さとなる(『朝日新聞』5月11日付け)。
文部科学省は、第一原発から20キロ以内の「警戒区域」内の50地点で年間予想線量を測定した結果を8月19日に公表した。それによると、50地点のうち35地点で1年間に受けると予想される放射線量が20ミリシーベルトを超えていた。年間予想線量20ミリシーベルトというのは「計画的避難区域」指定の目安とされる水準だ。
第一原発のある大熊町では全12地点が20ミリシーベルトを超え、うち7地点では100ミリシーベルトを超えていた。もっとも高い線量を記録したのは原発の西南西3キロにある大熊町小入野で、508ミリシーベルトだった。この被曝線量は、一般人の人口放射線許容限度の年間1ミリシーベルトの500年分となる(『朝日新聞』2011年8月20日付け夕刊)。汚染地域のなかでも、局所的にひどく汚染された地域は「ホットスポット」と呼ばれるが、原発から20キロ圏内では、ほとんど全域がホットスポットとなっていることが明らかとなった。
神戸大学海事科学研究科教授の山内知也さんは、6月下旬に福島市内の4か所で土壌の汚染度調査を実施し、1キログラムあたり1・6万―4・6万ベクレルの放射線量を検出した。原発から62キロも離れた人口29万人の福島市でも、随所で「ホットスポット」が形成されていたのだ。
3千万人の人口を擁する首都圏でも、各所で「ホットスポット」が発見された。千葉県柏市といえば東京のベッドタウン。福島原発から200キロも離れた町であるが、JR柏駅から徒歩2分の高級住宅地の道路脇の土壌から、福島市を上回る5・3万ベクレルの放射線量が検出された。チェルノブイリならば強制避難区域に指定される数値だ(『週刊現代』2011年8月6日号、64―65ページ、同、7月30日号における「欧州放射線リスク委員会」(ECCR)の科学委員会チーフで、英国ウルスター大学客員教授のクリス・バズビー博士とのインタービュー記事を参照)。
6月10日になると、原発から370キロ離れた静岡県最大のお茶の産地で、収穫した茶葉の汚染が確認され、静岡茶の出荷が停止された。原発から北方に170キロ離れた岩手県一関市の牧草からは、暫定許容値を3倍上回るセシウムが検出された。7月に入ると、食肉牛の肥料たる稲わらの広範囲の汚染も明らかにされ、7月25日には、福島産の小麦や菜種から放射性セシウムが検出された(『毎日新聞』2011年7月26日付け)。稲作への汚染の拡大が心配される。
放出された放射能は、易々と国境を越え、世界を巡った。3月12-16日の間に放出された放射性物質は、低気圧に伴う上昇気流で巻きあげられ、ジェット気流に乗って、東に一日3千キロの速度で移動した。3月18日には米国に到達し、西海岸一帯で猛毒のプロトニウムが観測された(先のクリス・バズビー博士への乗松聡子さんのインタービュー記事「米国まで広がったプルトニウム」『週刊金曜日』2011年7月8日号、24-25ページ)。福島発の核の大惨事は、世界の核惨事に広がったのである。
●福島第一からの放射能の放出量
爆発した原子炉建屋の屋上は青天井であり、放射能の放出は止まっていない。3月15日に毎時200tb(テラベクレル=1兆ベクレル)という最高レベルの放出を記録したが、3月21日の危機後は減少に転じ、5月の平均の放出量は毎時0.002tb(20億ベクレル)、6月平均は毎時0.001tb(10億ベクレル)に下がった。6月には3月15日当時の20万分の1のレベルにまで下がったことになる(『朝日新聞』2011年7月29日)。
とはいえ強烈な余震が起これば、半壊状態の原子炉のひび割れが拡大するだろうし、パイプラインや地下の建屋が破損すれば、放出量は一挙に増えるだろう。7月1日にはマグニチュード6.4、8月12日にはマグニチュード6.0の余震が福島県の浜通りを襲った。ほぼ同時期に、原発敷地内のひび割れた地面から放射能を帯びた蒸気が噴出する事件が起こった。広島市立大学のロバート・ジェイコブズ教授は、余震の衝撃が原子炉のひび割れを進行させ、蒸気噴出を招いたと推測し、強烈な余震が続けば、原子炉は自壊してしまうだろうと警告している。
3月11日以降、福島第一原発から大気中に、どの程度の量の放射能が放出されたのか。4月段階で東電と政府は、大気への総放出量を37万tbと推定していたのであるが、6月6日の記者会見の場で77万tbへと大きく上方修正した。
水(冷却水・地下水・海洋)への放射能の放出についてはどうか。1-4号機の原子炉建屋やタービン建屋などにたまっている汚染水総量は、7月20日現在で約9万5千トン。建屋から集中廃棄物処理施設に移した約2万2千トンを加えると、総計で11万7千トンの汚染水が原発内に貯まっている(『朝日新聞』2011年7月21日)。汚染水に含まれる放射能の総量は80万tb程度だと東電は推定しているが、これに大きな誤りがないとすると、大気中に放出された放射能とほぼ同量の放射能が冷却水などに溶込み、大量の汚染水を作り出したことになる。
●放射能汚染水と海洋汚染
同じ放射能の放出といっても、大気中に放出したばあいと冷却水に放出したばあいとでは、環境へのインパクトの点で大差がある。大気中に放出されてきた77万tbの放射能のばあいは、ただちに原発の敷地外へ拡散し、原発外の環境を直接に汚染する役割を果たす。
冷却水に放出された80万tbの放射能のばあいは、これとは異なる。11・7万トンという汚染水のうち、原発敷地外の海洋などへ流出したのは520トン、放射能量にすると4720tbだと報道されている。これに偽りがないとすれば、汚染水の99.6%、汚染水内の放射能総量の99.4%は原発の敷地内に留まっているため、今のところは原発外の環境を汚染する作用は大きくないと考えられている(『朝日新聞』2011年7月10日付)。
ただしこの種のデータを根拠に、海洋の放射能汚染は、それほど心配しなくてもよいという結論を引き出すとすれば、それは正しくない。まず4720tb という放射能量自 体が、環境基準に照らして異常な高さであることに止目していただきたい。福島第一原発に許されている海洋への放射能の放出限度は、年間で0.24tbにすぎない。にもかかわらず、放出限度の2万倍に達する汚染水が4か月の間に海洋に垂れ流されたのだから。
しかも上の推定数字は、大気や土壌に放出された汚染物質の行く末については何も語っていない。大気中に放出された放射能のほとんどは、遅かれ早かれ結局は、地表に降下し、大地と海洋に吸収されていく。日本の大地に付着した放射能も、結局は雨に洗い流され、河川を通って海に流れこむ。長期的な視野に立って考えると、大気に放出された放射能の大半は、最終的には海洋に吸収されていく運命にあるのだ。多くのルートをたどって海洋の放射能汚染は強まり、放射能の生物濃縮を加速させ、食物連鎖の点で上位にある大型魚類や人体に濃縮されていくことは避けられまい(中地重晴「水産の汚染度を読み解く」『週刊金曜日』2011年7月29日、18ページ)。
(つづく)
●メルトダウンからメルトスルーへ
東北大地震は、福島第一原発を直撃し、翌12日の午後3時に1号機が、14日午前11時には3号機が、15日には2号機・4号機が水素爆発を起こした。21日になると3号機に再び奇怪な爆発がおこった。
後掲の乗松さんのレポートが伝えるように、3月14日に起こった3号炉の爆発は、ボーン・ボーンという激しい爆発音を伴い、数百メートル上空にまできのこ雲が噴きあがった。このおぞましい情景は海外では動画つきで詳細に伝えられた。「ヒロシマのある国」で、チェルノブイリに匹敵する大惨事が発生したことを外国人のほうが先に、より正確に知ったのである。乗松さんから教えてもらって、この音声入りの映像を見た私は衝撃を受けた。福島で生まれ育った高橋哲哉さんも、こう書いている。3号機では、ウランとまぜて使われていたプルトニウムが「反応して一瞬の臨界状態となり、ミニ核爆発が起こったのではないかとみる人もいます。映像を見ると、確かに黒い煙がパッと上がって、キノコ雲のような形状になる。それを繰り返しユーチューブで見ていると、どうしても広島が想起され」た、と(『世界』2011年8月号、112ページ)。
しかしNHKは、この種の動画の放映を許さなかった。主要マスコミも、進行している核の大惨事をできるだけ小さいもの、危険の低いものに割り引いて伝えた。アジア太平洋戦争中の「大本営発表」と類似した報道管制が敷かれたのだ。
当初は米国の支配層にさえ、真相は十分には伝えられなかった。早い段階で「米側は無人偵察機グローバルホークの情報から原子炉の温度が異常に高いことを把握し、『燃料がすでに溶融している』と判断し、正確な情報の共有を日本側に迫った」(『読売新聞』2011年8月17日付け)。3月16日未明には、これ以上情報の非開示を続けるなら「在京米国人9万人を日本から緊急避難させる命令を出す。東京がパニックとなってもよいのか」と脅すことで、ようやく対策本部への米国人専門家の大量進駐=再占領を日本政府に認めさせた。
日本国民にたいする情報統制の態勢は、その後も長く続いた。地震の5時間後にはすでに1号機は炉心溶融(メルトダウン)をおこしていたこと、その数日後には、他の3基もメルトダウン(核燃料棒が溶解し、炉の底部にたまる段階)からメルトスルー(溶解した核燃料が炉の底を貫通して炉の外に出る段階)に至っていたことを日本政府が認めたのは、事件から3か月がたった6月6日のことであった。
●3月15日の最大規模の放出
爆発や「ベント」(原子炉からの意図的な放出)を介して、いつ・どれだけの量の放射性物質=放射能が大気中に放出されたのだろうか。震災の1日後の12日に1号機が、14日には3号機が爆発したが、放射能の放出規模はまだそれほど大きくはなかったし、海側に向けて風が吹いていたため、陸地の汚染はまだ小規模なレベルにとどまっていた。
14日夕方に2号機で炉心露出が起こり、原発周辺の放射線量が上がり始めた。「最大の危機が15日に訪れた。3月15日の午前6時ころに2号機の圧力抑制室が水素爆発で破損した。同時刻に、定期検査で冷温中であった4号機でも爆発が起こった。4号機の使用済みの核燃料貯蔵プールには最大数の核燃料集合体が入っており、相当数の核燃料が破損・溶解し、放射性物質を放出した可能性がある」(『朝日新聞』2011年7月10日付)。
その結果、15日午前9時には放射線雲(プルーム)が形成された。プルームは当初、南西から西方向に動き、放射能は福島県中通り地方に落下した。
同日の夕刻から夜に、「悪魔の風」が原発の北西に位置する飯館村と福島市を襲った。群馬大学の火山学者である早川由紀夫さんは、こう語っている。「放射性物質は高さ数十メートルの風に乗って地表をなめるように移動した。盆地や山肌など地形の起伏を感じ取って分布しているのはそのためだ。・・・飯館村が深刻な汚染に見舞われたのは、同じ3月15日の18時のことである。その日は夕刻になって福島原発に吹きつける風が南東からに変わった。これが福島県にとって悪魔の風となった。特別に濃い放射能雲が出現して19時に福島市、20時半に郡山市に達した。・・・この放射能雲は白河の関を越えて栃木県内に侵入し、那須と日光に達した」(『週刊金曜日』2011年7月8日号、22ページ)。「この時、群馬・栃木両県の北部で雨が降ったため、放射線物質が沈着したホットスポットができた。」なぜなら放射性セシウムの粒径はごく小さいために重力では落ちず、雨が降らないことには、ほとんど沈着しないからである(『日本経済新聞』2011年7月25日)。
●3月21日の3号機の危機――新たな大量放出
3月21日の午前になると、北から吹く風となり、福島第一の風下地域(福島第二原発・北茨城市・高萩市・水戸市)で、空間放射線量が数倍にはねあがった。このような異常事態が、なぜおこったのか。原子力専門家の田辺文也さんによると、同時刻にMOX燃料を燃やしていた3号機の圧力容器の圧力が通常の110倍のレベルにまで急上昇した。あまりの高圧のため、冷却水を外から注入できない事態となり、溶融物の塊が再び溶融し、水蒸気爆発を起こした。そのため灼熱の溶融物の固まりが圧力容器を突き抜けて、格納容器に落ち込んだ。その衝撃をうけて、一部の放射能は炉外に放出され、風下の福島県内部から北茨城一帯を汚染したというのが、田辺文也さんの見立てだ(『朝日新聞』2011年8月8日付け)。
3月23日になると、新たなプルームが形成され、「茨城沿岸から千葉を通り、南下。関東地方の多くではこの間、連日雨が降って各地で放射性物質が地表に沈着した」(『朝日新聞』2011年8月11日付け)。
●放射能汚染のホットスポットの形成
4月に入ると、文部科学省と米国のエネルギー省とが共同で150―700メートル上空から土壌の放射能汚染度を測定する大規模な調査を行い、詳細な汚染地図を作成した。半減期30年のセシウム137の蓄積濃度が1平方メートルあたり60万ベクレル以上といえば、チェルノブイリ原発事故の際に強制移住の対象となった地域の汚染レベルに相当するが、調査の結果、この種の汚染地域は福島県を中心に800平方キロに広がっていることが判明した(ただし日本では、住民の避難脱出を促すのを恐れて、ごく控えめにしか報道されなかった)。面積は、東京都面積の4割、琵琶湖の約1・2倍に相当し、チェルノブイリ事故当時の強制移住地域全体のほぼ1割の広さとなる(『朝日新聞』5月11日付け)。
文部科学省は、第一原発から20キロ以内の「警戒区域」内の50地点で年間予想線量を測定した結果を8月19日に公表した。それによると、50地点のうち35地点で1年間に受けると予想される放射線量が20ミリシーベルトを超えていた。年間予想線量20ミリシーベルトというのは「計画的避難区域」指定の目安とされる水準だ。
第一原発のある大熊町では全12地点が20ミリシーベルトを超え、うち7地点では100ミリシーベルトを超えていた。もっとも高い線量を記録したのは原発の西南西3キロにある大熊町小入野で、508ミリシーベルトだった。この被曝線量は、一般人の人口放射線許容限度の年間1ミリシーベルトの500年分となる(『朝日新聞』2011年8月20日付け夕刊)。汚染地域のなかでも、局所的にひどく汚染された地域は「ホットスポット」と呼ばれるが、原発から20キロ圏内では、ほとんど全域がホットスポットとなっていることが明らかとなった。
神戸大学海事科学研究科教授の山内知也さんは、6月下旬に福島市内の4か所で土壌の汚染度調査を実施し、1キログラムあたり1・6万―4・6万ベクレルの放射線量を検出した。原発から62キロも離れた人口29万人の福島市でも、随所で「ホットスポット」が形成されていたのだ。
3千万人の人口を擁する首都圏でも、各所で「ホットスポット」が発見された。千葉県柏市といえば東京のベッドタウン。福島原発から200キロも離れた町であるが、JR柏駅から徒歩2分の高級住宅地の道路脇の土壌から、福島市を上回る5・3万ベクレルの放射線量が検出された。チェルノブイリならば強制避難区域に指定される数値だ(『週刊現代』2011年8月6日号、64―65ページ、同、7月30日号における「欧州放射線リスク委員会」(ECCR)の科学委員会チーフで、英国ウルスター大学客員教授のクリス・バズビー博士とのインタービュー記事を参照)。
6月10日になると、原発から370キロ離れた静岡県最大のお茶の産地で、収穫した茶葉の汚染が確認され、静岡茶の出荷が停止された。原発から北方に170キロ離れた岩手県一関市の牧草からは、暫定許容値を3倍上回るセシウムが検出された。7月に入ると、食肉牛の肥料たる稲わらの広範囲の汚染も明らかにされ、7月25日には、福島産の小麦や菜種から放射性セシウムが検出された(『毎日新聞』2011年7月26日付け)。稲作への汚染の拡大が心配される。
放出された放射能は、易々と国境を越え、世界を巡った。3月12-16日の間に放出された放射性物質は、低気圧に伴う上昇気流で巻きあげられ、ジェット気流に乗って、東に一日3千キロの速度で移動した。3月18日には米国に到達し、西海岸一帯で猛毒のプロトニウムが観測された(先のクリス・バズビー博士への乗松聡子さんのインタービュー記事「米国まで広がったプルトニウム」『週刊金曜日』2011年7月8日号、24-25ページ)。福島発の核の大惨事は、世界の核惨事に広がったのである。
●福島第一からの放射能の放出量
爆発した原子炉建屋の屋上は青天井であり、放射能の放出は止まっていない。3月15日に毎時200tb(テラベクレル=1兆ベクレル)という最高レベルの放出を記録したが、3月21日の危機後は減少に転じ、5月の平均の放出量は毎時0.002tb(20億ベクレル)、6月平均は毎時0.001tb(10億ベクレル)に下がった。6月には3月15日当時の20万分の1のレベルにまで下がったことになる(『朝日新聞』2011年7月29日)。
とはいえ強烈な余震が起これば、半壊状態の原子炉のひび割れが拡大するだろうし、パイプラインや地下の建屋が破損すれば、放出量は一挙に増えるだろう。7月1日にはマグニチュード6.4、8月12日にはマグニチュード6.0の余震が福島県の浜通りを襲った。ほぼ同時期に、原発敷地内のひび割れた地面から放射能を帯びた蒸気が噴出する事件が起こった。広島市立大学のロバート・ジェイコブズ教授は、余震の衝撃が原子炉のひび割れを進行させ、蒸気噴出を招いたと推測し、強烈な余震が続けば、原子炉は自壊してしまうだろうと警告している。
3月11日以降、福島第一原発から大気中に、どの程度の量の放射能が放出されたのか。4月段階で東電と政府は、大気への総放出量を37万tbと推定していたのであるが、6月6日の記者会見の場で77万tbへと大きく上方修正した。
水(冷却水・地下水・海洋)への放射能の放出についてはどうか。1-4号機の原子炉建屋やタービン建屋などにたまっている汚染水総量は、7月20日現在で約9万5千トン。建屋から集中廃棄物処理施設に移した約2万2千トンを加えると、総計で11万7千トンの汚染水が原発内に貯まっている(『朝日新聞』2011年7月21日)。汚染水に含まれる放射能の総量は80万tb程度だと東電は推定しているが、これに大きな誤りがないとすると、大気中に放出された放射能とほぼ同量の放射能が冷却水などに溶込み、大量の汚染水を作り出したことになる。
●放射能汚染水と海洋汚染
同じ放射能の放出といっても、大気中に放出したばあいと冷却水に放出したばあいとでは、環境へのインパクトの点で大差がある。大気中に放出されてきた77万tbの放射能のばあいは、ただちに原発の敷地外へ拡散し、原発外の環境を直接に汚染する役割を果たす。
冷却水に放出された80万tbの放射能のばあいは、これとは異なる。11・7万トンという汚染水のうち、原発敷地外の海洋などへ流出したのは520トン、放射能量にすると4720tbだと報道されている。これに偽りがないとすれば、汚染水の99.6%、汚染水内の放射能総量の99.4%は原発の敷地内に留まっているため、今のところは原発外の環境を汚染する作用は大きくないと考えられている(『朝日新聞』2011年7月10日付)。
ただしこの種のデータを根拠に、海洋の放射能汚染は、それほど心配しなくてもよいという結論を引き出すとすれば、それは正しくない。まず4720tb という放射能量自 体が、環境基準に照らして異常な高さであることに止目していただきたい。福島第一原発に許されている海洋への放射能の放出限度は、年間で0.24tbにすぎない。にもかかわらず、放出限度の2万倍に達する汚染水が4か月の間に海洋に垂れ流されたのだから。
しかも上の推定数字は、大気や土壌に放出された汚染物質の行く末については何も語っていない。大気中に放出された放射能のほとんどは、遅かれ早かれ結局は、地表に降下し、大地と海洋に吸収されていく。日本の大地に付着した放射能も、結局は雨に洗い流され、河川を通って海に流れこむ。長期的な視野に立って考えると、大気に放出された放射能の大半は、最終的には海洋に吸収されていく運命にあるのだ。多くのルートをたどって海洋の放射能汚染は強まり、放射能の生物濃縮を加速させ、食物連鎖の点で上位にある大型魚類や人体に濃縮されていくことは避けられまい(中地重晴「水産の汚染度を読み解く」『週刊金曜日』2011年7月29日、18ページ)。
(つづく)
by halunet
| 2011-09-06 07:18
| 原発と核