2011年 01月 23日
生田 暉雄講演から裁判所の本当の姿を見る |
魚の目(魚住昭のウェブマガジン)から 生田 暉雄講演から抜粋。
全文はこちら http://uonome.jp/feature/1048
「日本の行政裁判というのは、年間1800件ぐらいしかないんですよ、国や地方の行政機関の不正に対する裁判は。ところがドイツでは50万件、人口の少ない台湾でも38万件、韓国でも16万件、日本では1800件。それぐらい違って、日本の行政訴訟はおかしな行政訴訟なのですが、それがおかしいですよと正面切って言う学者がいないんです。
それは、最高裁に盾突くと学者生命がなくなるからなんです。特に現在は司法試験のための法科大学院というのができて、あそこには変な先生がいるから、あそこの法科大学院はだめだとかいううわさを少しでも立てられると、そこの法科大学院はもうだめになるということで、最高裁からにらまれるような教授を置いたりはしない。もうピリピリしていますから、そういうことで、もう全部学者から何から統制されてしまっている。こういうのが現状です」
「こういうことで、裁判官が統制されてしまっていますので、なかなか裁判官は、組合の弾圧を受けた事件なんかで、本来誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何で分からんのかという思いはあるでしょうが、それはもう裁判官が分かった上で、最高裁の統制を受けて、これは有罪にしないと自分の地位が危ないということでやっているわけですから、無罪になったりすることはまず考えられないんじゃないか。
だから、逆にいえば無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。これが鈴木宗男の事件と、最近の厚労省の村木局長の事件との違いなわけです。
鈴木さんの場合は世間の評価が悪い。だから、鈴木さんに賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木さんを有罪にする。村木さんの場合は、そういう村木さんが有罪であるという関係者の調書は信用性がないというので排除して、村木さんを有罪にしない。それは村木さんの場合は、どうも村木さんが正しいという世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位がヤバイ。こういう読みだろうと思うわけです」
「はっきり言いまして日本の社会には、近代社会の三権分立はない。もう非常に遅れた社会に生活している。大変なところにわれわれは住まされているんだということで、私なんかは腹が立って仕方がないのです。」
「1審の判決があります。それから、この1審の判決はここが悪いという控訴趣意書があります。それを見比べて、1審のここが悪いと控訴人は言うけれども、控訴人の控訴趣意書は1審判決を調べれば、不当であることは明らかであるとかいう理由で、パッと書けるわけですから、何ぼ大部の記録があったって、そんなのあまり丁寧に見ないでもやれる。それぐらい手抜きをしようと思えば、簡単に手抜きができる。
それから1審は1審で、何ぼ言っていても、被告の言うこの点は措信できないというので、ひと蹴りで終わりですから、どういう理由で措信できないかということまで、言う必要もないわけじゃないんですが、現在ではもうそういう判決ですから、極めて簡単にやれる。
やり方いかんによっては極めて簡単なんです。裁判官の仕事が大変だ、大変だとか言われていますが、それはもうほんとにまじめに、何が真実かというのを追求しようという姿勢で臨めば大変ですが、そうでない手抜きをやるかぎりは極めて楽で、乞食といっしょで3日やったらやめられんという楽な仕事でもあるわけです。そういう仕事が裁判官の仕事で、いろいろな汚いことをしている人もたくさんいて、出世している人もいます」
「あと少し日本の裁判の現状を見てみます。裁判の本質は何か。機能としては紛争の解決。これが民事の裁判あるいは刑事の裁判。もう一つは行政権力の統制ということで、これが行政裁判。それから、憲法の適合性を判断するのが違憲訴訟なわけです。この三つぐらいあるのですが、このいずれもその本質はというと主権者の主権実現の手段なんです。主権を実現しようと思って裁判をする。
特に行政訴訟なんかを見てもらったら分かりますように、公務員の不法行為、これに対して行政訴訟を起こしていくというのは、まさに主権の実現です。それから教科書の採択がおかしい、検定がおかしいというので、教科書の検定や採択に対して異議を求めていくというのも主権の実現です。
それから、法律が憲法違反であると、あるいは行政措置が憲法違反であるということを求めていくのも(安保条約が憲法違反であるというようなことが典型ですが)主権の実現なわけです。だから、選挙権の行使とか、あるいは直接的な表現の自由の座り込みとか、デモとか、そういうことと同じような主権の実現であるわけですが、この主権の実現ということを、日本の為政者は非常に嫌うわけなんです。
諸外国でもほとんどの先進国であります陪審制とか、そういうのも採用しない。日本では戦前、陪審制が昭和3年から昭和18年までなされていまして、戦争が終わるまで停止するという法律があるのです。それによって停止されたままなのです」
生田暉雄氏のプロフィール
・1970年 裁判官任官
・1987年 大阪高等裁判所判事
・1992年 退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中
(編集者注・これは生田氏の講演内容をまとめたものです。JR東日本労組のご協力に感謝します)
全文はこちら http://uonome.jp/feature/1048
「日本の行政裁判というのは、年間1800件ぐらいしかないんですよ、国や地方の行政機関の不正に対する裁判は。ところがドイツでは50万件、人口の少ない台湾でも38万件、韓国でも16万件、日本では1800件。それぐらい違って、日本の行政訴訟はおかしな行政訴訟なのですが、それがおかしいですよと正面切って言う学者がいないんです。
それは、最高裁に盾突くと学者生命がなくなるからなんです。特に現在は司法試験のための法科大学院というのができて、あそこには変な先生がいるから、あそこの法科大学院はだめだとかいううわさを少しでも立てられると、そこの法科大学院はもうだめになるということで、最高裁からにらまれるような教授を置いたりはしない。もうピリピリしていますから、そういうことで、もう全部学者から何から統制されてしまっている。こういうのが現状です」
「こういうことで、裁判官が統制されてしまっていますので、なかなか裁判官は、組合の弾圧を受けた事件なんかで、本来誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何で分からんのかという思いはあるでしょうが、それはもう裁判官が分かった上で、最高裁の統制を受けて、これは有罪にしないと自分の地位が危ないということでやっているわけですから、無罪になったりすることはまず考えられないんじゃないか。
だから、逆にいえば無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。これが鈴木宗男の事件と、最近の厚労省の村木局長の事件との違いなわけです。
鈴木さんの場合は世間の評価が悪い。だから、鈴木さんに賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木さんを有罪にする。村木さんの場合は、そういう村木さんが有罪であるという関係者の調書は信用性がないというので排除して、村木さんを有罪にしない。それは村木さんの場合は、どうも村木さんが正しいという世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位がヤバイ。こういう読みだろうと思うわけです」
「はっきり言いまして日本の社会には、近代社会の三権分立はない。もう非常に遅れた社会に生活している。大変なところにわれわれは住まされているんだということで、私なんかは腹が立って仕方がないのです。」
「1審の判決があります。それから、この1審の判決はここが悪いという控訴趣意書があります。それを見比べて、1審のここが悪いと控訴人は言うけれども、控訴人の控訴趣意書は1審判決を調べれば、不当であることは明らかであるとかいう理由で、パッと書けるわけですから、何ぼ大部の記録があったって、そんなのあまり丁寧に見ないでもやれる。それぐらい手抜きをしようと思えば、簡単に手抜きができる。
それから1審は1審で、何ぼ言っていても、被告の言うこの点は措信できないというので、ひと蹴りで終わりですから、どういう理由で措信できないかということまで、言う必要もないわけじゃないんですが、現在ではもうそういう判決ですから、極めて簡単にやれる。
やり方いかんによっては極めて簡単なんです。裁判官の仕事が大変だ、大変だとか言われていますが、それはもうほんとにまじめに、何が真実かというのを追求しようという姿勢で臨めば大変ですが、そうでない手抜きをやるかぎりは極めて楽で、乞食といっしょで3日やったらやめられんという楽な仕事でもあるわけです。そういう仕事が裁判官の仕事で、いろいろな汚いことをしている人もたくさんいて、出世している人もいます」
「あと少し日本の裁判の現状を見てみます。裁判の本質は何か。機能としては紛争の解決。これが民事の裁判あるいは刑事の裁判。もう一つは行政権力の統制ということで、これが行政裁判。それから、憲法の適合性を判断するのが違憲訴訟なわけです。この三つぐらいあるのですが、このいずれもその本質はというと主権者の主権実現の手段なんです。主権を実現しようと思って裁判をする。
特に行政訴訟なんかを見てもらったら分かりますように、公務員の不法行為、これに対して行政訴訟を起こしていくというのは、まさに主権の実現です。それから教科書の採択がおかしい、検定がおかしいというので、教科書の検定や採択に対して異議を求めていくというのも主権の実現です。
それから、法律が憲法違反であると、あるいは行政措置が憲法違反であるということを求めていくのも(安保条約が憲法違反であるというようなことが典型ですが)主権の実現なわけです。だから、選挙権の行使とか、あるいは直接的な表現の自由の座り込みとか、デモとか、そういうことと同じような主権の実現であるわけですが、この主権の実現ということを、日本の為政者は非常に嫌うわけなんです。
諸外国でもほとんどの先進国であります陪審制とか、そういうのも採用しない。日本では戦前、陪審制が昭和3年から昭和18年までなされていまして、戦争が終わるまで停止するという法律があるのです。それによって停止されたままなのです」
生田暉雄氏のプロフィール
・1970年 裁判官任官
・1987年 大阪高等裁判所判事
・1992年 退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中
(編集者注・これは生田氏の講演内容をまとめたものです。JR東日本労組のご協力に感謝します)
by halunet
| 2011-01-23 00:11
| 裁判/検察
























