2010年 10月 15日
憲法9条こそ最強の安全保障政策だ~天木直人の安全保障論(1) |
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/?P=4
日経ビジネスon lineから
<自衛隊の専守防衛化とアジア集団安全保障体制の構築を急げ>
今年中にも「新防衛計画の大綱」が民主党政権の手によってつくられる。これまでにも防衛計画の中・長期計画は幾度となくつくられてきた。しかし今度の新防衛計画の大綱は、政権交代を実現した民主党が初めてつくる防衛計画である。折りしも国際情勢は激変しつつある。そんな中で新しい防衛計画はどうあるべきか。
結論から言えば、これからの防衛政策は、日米同盟に依存するのではなく、日本の国益を優先した自主、自立した防衛を目指すべきである。
そう言うと読者は、私が「憲法9条を改正して強い軍隊を持つべきだ」と主張しているように受け取るかもしれない。しかしそうではない。その逆だ。憲法9条を世界に高らかに掲げ、平和外交で日本を守る総合的な防衛政策を構築すべきだと言っているのだ。
私は単に「護憲を唱えれば平和が守れる」と考える非武装中立論者ではない。世界から戦争を無くし、武器を無くすことは確かに理想だ。そして人類はその理想に向けて努力を続けるべきだ。その理想を唱える平和論者に敬意を抱き、共にその理想に向かって力を合わせていきたいと考える。しかしその理想を実現するために、日本は正しい防衛政策を確立しなければならない。
専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制、憲法9条の堅持が柱
日本にとっての最善の防衛政策は何か。それは一方において米国の下請け軍隊に成り下がった自衛隊を、専守防衛の自衛隊に戻すことである。そして他方において、我が国の安全を確実に担保するものとして、アジア集団安全保障体制を構築することに全力を傾ける。そして、これら2つの政策を支える平和憲法9条を堅持する。この三位一体の政策こそが、現実の国際情勢を見極めた最強・最善の防衛政策である。これに優る防衛政策はない。これが私の新防衛計画大綱私案である。以下、主要な論点を説明していきたい。
国民的合意がなかったこれまでの我が国の防衛政策
戦後の我が国の防衛政策とは何だったのか。我が国に固有の防衛政策はあったのか。あったとして、それは国民的議論を経て合意されたものだったのか。我が国の防衛政策を考えるときは、まずこれらの問いかけから出発しなければならない。
我が国は1951年にサンフランシスコ講和条約を締結して国際社会に復帰した。そして、そのとき同時に(文字通り講和条約を締結した同じ日に)、米国との軍事同盟協定である日米安保条約を締結し、米国を先頭にした自由主義陣営の一員となった。このとき、共産主義国を含む全世界との講和を主張する全面講和論者との間にイデオロギー対立が起きたが、日本政府は国論が二分されたまま講和条約を締結した(部分講和)。そして日米安保条約を結んだ。
ところがその日米安保条約は、国民はおろか、当時の国会議員でさえもその内容を知らされないまま吉田茂首相が単独で署名した、いわば“密約”であった。さらに、その安保条約を改定して今日に至る1960年の新安保条約は、いわゆる安保闘争と呼ばれる戦後政治史上の一大対決の中で強行採決(衆院)された異例の条約であった。衆議院で可決された後、国会審議は停止。混乱の中で、参院で審議されないまま自然成立した。国家の安全保障にかかわる最も重要な条約がこのような形で成立した事は、その後の日本の防衛政策に決定的な悪影響を及ぼしたのであった。
しかも、冷戦後の米国の軍事政策は、自ら“押し付けた”平和憲法9条に反する数々の防衛政策の変更を日本に迫った。事実上の軍隊組織である自衛隊を 1954年につくらせたのは、その一例だ。日本政府は、本来ならば憲法9条を改正しなければとうてい認められないような政策を、次々と既成事実化していった。憲法9条と日米安保体制という2つの矛盾した政策の共存こそ、我が国の防衛政策論議を不毛にした根源なのだ。
冷戦の終結と日米安保条約のなし崩し的変貌
この矛盾は、冷戦が終焉した1989年を契機として解決すべきものであった。冷戦を前提として成立した日米安保条約は、冷戦の終結と共にその存在の根拠を失った。この事実は誰も否定できない。本来ならばその時点で日本は、それに代わる新たな防衛政策を国民による議論と合意の下につくるべきであった。しかし官僚主導の政治の怠慢がその国家的一大事業を妨げた。
冷戦が終わってもなお、米国との軍事協力関係を継続する事が日本の防衛にとって最善だと日本の為政者(政府、官僚)が判断したのであれば、それでも良いとしよう。しかしその場合、為政者はその新たな方針を正面から国民に説明し、堂々と国会で審議した上で新しい日米軍事協力条約(日米同盟)をつくるべきであった。
ところが日本政府と官僚は、国民的議論を行うことにひるんでその努力を怠った。それだけではない。日米共同声明という政治宣言を繰り返すことで、日本の防衛政策をなし崩し的に転換していったのである。現在の日米軍事協力関係は、60年に改定された新日米安保条約に基づく体制とはまったく異なるものになった。米国が日本を守る代わりに在日米軍基地を受け入れるというのが日米安保体制だが、今の日米同盟は、日本を守るという要素はほとんどなくなっており、米国の戦争に日本が協力させられる軍事協力関係になっている。法的には国際条約や憲法の下位にある政治声明が、国際条約や憲法を超えて政策を決めて行った。いわば「法の下克上」が行なわれたのだ。
民主党政権の新たな防衛政策と説明責任
冷戦下において、反共、自由主義を党是に掲げた自由民主党が日米安保条約を最優先し、対米従属的とも言える防衛政策に終始してきた事はいわば当然であった。政権維持のため、自民党は米国CIAから資金援助まで受けていた事が、今では米国の機密文書解除により明るみになっている(『CIA秘録』、ティム・ワイナーNYタイムズ記者著)。
その自民党政権が行き詰まり、国民は民主党政権を選んだ。だから民主党政権は米国より国民を優先し、国民のための真の防衛政策をつくる責任がある。民主党政権が初めてつくる新防衛計画の大綱に注目すべき理由がそこにある。
もとより民主党政権が、自民党政権と同じように「米国との軍事協力関係によって日本の安全保障を守る事が最善だ」、「それが国益だ」と確信し、日米軍事協力関係(日米同盟)の維持を最優先する政策を決めたとしても、国民がそれを支持し、そのような民主党政権を認めるのなら、私はそのような国民の判断を尊重したい。しかしそのためには、その決定を下す前に国民に対し十分な説明責任を果たさなければならない。この事は、自民党政権下の日米安保体制“が密約” の連続でつくられ、国民の間に亀裂——護憲派と改憲派——と不信を招いた事を考えると、特に重要である。
折から2010年は、1960年の安保改定から半世紀たった記念すべき年である。その年に民主党政権が新たな防衛計画の大綱をつくるというめぐり合わせになった事は何かの因縁である。
自民党政権が続いていたならば、盛大に日米安保条約改定50周年記念を祝い、その祝賀に紛れて、「共産主義の脅威から日本を守る」日米安保体制を、米国の「テロとの戦い」に協力する日米同盟へと根本的に転換するよう図ったに違いない。しかもそれを、日米共同声明という官僚主導の政治宣言を出すことで、国民不在のまま行っていたであろう。情報公開を掲げて国民から選ばれた民主党政権は、自民党政権下の不透明な防衛政策の決定プロセスを改め、日本の新しい防衛政策を国民の前に提示した上で、国民的合意に基づく防衛政策を確立する責任がある。
歴史を後戻りさせてはいけない
人類は長らく、軍事力で国益を実現する時代を経験してきた。その行く先は、軍事拡張と軍事同盟の乱立であり、2度にわたる世界大戦であった。その反省から戦後の国際社会は出発した。そして、いわゆる集団安全保障体制へと人類は安全保障政策を進化させたのである。軍事力で国益を実現したり、軍事力で紛争を解決する事を禁じ、平和共存のルールをつくって皆でそれを守る。それに違反する国が出てこないように、みなで監視し、違反する国をみなで取り締まる。
残念ながら、国際連合による集団安全保障体制は今日まで有効に機能する事はなかった。その最大の理由は東西冷戦の勃発である。国連の安全保障理事会は米ソ2大国の拒否権の応酬の場となり、平和実現のための有効な議決ができなくなった。
ところが1989年に冷戦が終わり、その意味で大きな障害が無くなったにもかかわらず、国連が安全保障に果たす役割はやはり不十分なままである。なぜか? それは冷戦に勝利して圧倒的な超軍事大国となった米国が、その巨大な軍事力を「世界の警察」の役割のために正しく使おうとしなかったからである。それどころか米国は自らの国益の実現のために、その軍事力を公然と行使した。その典型例を我々はイラク攻撃で目撃した。
「無敵の軍事力を持つようになった以上、話し合いというまどろっこしいものではなく軍事力にものを言わせて問題を解決する。それは当たり前の事だ」というネオコンの論理が米政権を覆い、テロとの戦いには先制攻撃も辞さないとするブッシュ・ドクトリンが生まれた。
その考え方はオバマ大統領に「チェンジ」しても引き継がれている。オバマ大統領は核廃絶演説によってノーベル平和賞を受賞した。しかしその授賞式のスピーチで「正しい戦争はある」と言った。これは「テロとの戦いは正しい戦争である」ということだ。米国の戦争は正しく、その他の戦争は許さないということだ。この発言はまさに歴史を後戻りさせるに等しい。
戦争を無くすことがいかに難しい事ではあっても人類は逆戻りしてはいけない。日本は、軍事同盟の時代から集団安全保障の時代へ進歩する人類の努力を捨ててはいけない。
日米同盟を最優先する合理的理由はない
日米軍事協力関係、すなわち日米同盟を最優先する政策は、自民党政権下ではもちろんのこと、民主党政権になっても変わらない事が明らかになりつつある。もはや日米同盟に反対する事はタブーのごとしである。しかしその考えには合理的根拠はない。当然のごとくそれを受け入れているだけだ。
日米同盟の実態を知れば、もはや日米同盟は日本にとって無益であるばかりか、むしろ有害であることに気づくはずだ。その理由は数多くある。第1に、米国との軍事協力関係を重視する限り対米従属から逃れられないということだ。米国はもはや世界唯一の超軍事大国だ。その米国と軍事協力関係を持つ限り対等な関係は有り得ない。米国は軍事政策に関しては他国の意見を聞く耳を持たない。米国の軍事的要請は絶対的だ。一方的だ。それを飲むしかない。従属的にならざるを得ない。
日経ビジネスon lineから
<自衛隊の専守防衛化とアジア集団安全保障体制の構築を急げ>
今年中にも「新防衛計画の大綱」が民主党政権の手によってつくられる。これまでにも防衛計画の中・長期計画は幾度となくつくられてきた。しかし今度の新防衛計画の大綱は、政権交代を実現した民主党が初めてつくる防衛計画である。折りしも国際情勢は激変しつつある。そんな中で新しい防衛計画はどうあるべきか。
結論から言えば、これからの防衛政策は、日米同盟に依存するのではなく、日本の国益を優先した自主、自立した防衛を目指すべきである。
そう言うと読者は、私が「憲法9条を改正して強い軍隊を持つべきだ」と主張しているように受け取るかもしれない。しかしそうではない。その逆だ。憲法9条を世界に高らかに掲げ、平和外交で日本を守る総合的な防衛政策を構築すべきだと言っているのだ。
私は単に「護憲を唱えれば平和が守れる」と考える非武装中立論者ではない。世界から戦争を無くし、武器を無くすことは確かに理想だ。そして人類はその理想に向けて努力を続けるべきだ。その理想を唱える平和論者に敬意を抱き、共にその理想に向かって力を合わせていきたいと考える。しかしその理想を実現するために、日本は正しい防衛政策を確立しなければならない。
専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制、憲法9条の堅持が柱
日本にとっての最善の防衛政策は何か。それは一方において米国の下請け軍隊に成り下がった自衛隊を、専守防衛の自衛隊に戻すことである。そして他方において、我が国の安全を確実に担保するものとして、アジア集団安全保障体制を構築することに全力を傾ける。そして、これら2つの政策を支える平和憲法9条を堅持する。この三位一体の政策こそが、現実の国際情勢を見極めた最強・最善の防衛政策である。これに優る防衛政策はない。これが私の新防衛計画大綱私案である。以下、主要な論点を説明していきたい。
国民的合意がなかったこれまでの我が国の防衛政策
戦後の我が国の防衛政策とは何だったのか。我が国に固有の防衛政策はあったのか。あったとして、それは国民的議論を経て合意されたものだったのか。我が国の防衛政策を考えるときは、まずこれらの問いかけから出発しなければならない。
我が国は1951年にサンフランシスコ講和条約を締結して国際社会に復帰した。そして、そのとき同時に(文字通り講和条約を締結した同じ日に)、米国との軍事同盟協定である日米安保条約を締結し、米国を先頭にした自由主義陣営の一員となった。このとき、共産主義国を含む全世界との講和を主張する全面講和論者との間にイデオロギー対立が起きたが、日本政府は国論が二分されたまま講和条約を締結した(部分講和)。そして日米安保条約を結んだ。
ところがその日米安保条約は、国民はおろか、当時の国会議員でさえもその内容を知らされないまま吉田茂首相が単独で署名した、いわば“密約”であった。さらに、その安保条約を改定して今日に至る1960年の新安保条約は、いわゆる安保闘争と呼ばれる戦後政治史上の一大対決の中で強行採決(衆院)された異例の条約であった。衆議院で可決された後、国会審議は停止。混乱の中で、参院で審議されないまま自然成立した。国家の安全保障にかかわる最も重要な条約がこのような形で成立した事は、その後の日本の防衛政策に決定的な悪影響を及ぼしたのであった。
しかも、冷戦後の米国の軍事政策は、自ら“押し付けた”平和憲法9条に反する数々の防衛政策の変更を日本に迫った。事実上の軍隊組織である自衛隊を 1954年につくらせたのは、その一例だ。日本政府は、本来ならば憲法9条を改正しなければとうてい認められないような政策を、次々と既成事実化していった。憲法9条と日米安保体制という2つの矛盾した政策の共存こそ、我が国の防衛政策論議を不毛にした根源なのだ。
冷戦の終結と日米安保条約のなし崩し的変貌
この矛盾は、冷戦が終焉した1989年を契機として解決すべきものであった。冷戦を前提として成立した日米安保条約は、冷戦の終結と共にその存在の根拠を失った。この事実は誰も否定できない。本来ならばその時点で日本は、それに代わる新たな防衛政策を国民による議論と合意の下につくるべきであった。しかし官僚主導の政治の怠慢がその国家的一大事業を妨げた。
冷戦が終わってもなお、米国との軍事協力関係を継続する事が日本の防衛にとって最善だと日本の為政者(政府、官僚)が判断したのであれば、それでも良いとしよう。しかしその場合、為政者はその新たな方針を正面から国民に説明し、堂々と国会で審議した上で新しい日米軍事協力条約(日米同盟)をつくるべきであった。
ところが日本政府と官僚は、国民的議論を行うことにひるんでその努力を怠った。それだけではない。日米共同声明という政治宣言を繰り返すことで、日本の防衛政策をなし崩し的に転換していったのである。現在の日米軍事協力関係は、60年に改定された新日米安保条約に基づく体制とはまったく異なるものになった。米国が日本を守る代わりに在日米軍基地を受け入れるというのが日米安保体制だが、今の日米同盟は、日本を守るという要素はほとんどなくなっており、米国の戦争に日本が協力させられる軍事協力関係になっている。法的には国際条約や憲法の下位にある政治声明が、国際条約や憲法を超えて政策を決めて行った。いわば「法の下克上」が行なわれたのだ。
民主党政権の新たな防衛政策と説明責任
冷戦下において、反共、自由主義を党是に掲げた自由民主党が日米安保条約を最優先し、対米従属的とも言える防衛政策に終始してきた事はいわば当然であった。政権維持のため、自民党は米国CIAから資金援助まで受けていた事が、今では米国の機密文書解除により明るみになっている(『CIA秘録』、ティム・ワイナーNYタイムズ記者著)。
その自民党政権が行き詰まり、国民は民主党政権を選んだ。だから民主党政権は米国より国民を優先し、国民のための真の防衛政策をつくる責任がある。民主党政権が初めてつくる新防衛計画の大綱に注目すべき理由がそこにある。
もとより民主党政権が、自民党政権と同じように「米国との軍事協力関係によって日本の安全保障を守る事が最善だ」、「それが国益だ」と確信し、日米軍事協力関係(日米同盟)の維持を最優先する政策を決めたとしても、国民がそれを支持し、そのような民主党政権を認めるのなら、私はそのような国民の判断を尊重したい。しかしそのためには、その決定を下す前に国民に対し十分な説明責任を果たさなければならない。この事は、自民党政権下の日米安保体制“が密約” の連続でつくられ、国民の間に亀裂——護憲派と改憲派——と不信を招いた事を考えると、特に重要である。
折から2010年は、1960年の安保改定から半世紀たった記念すべき年である。その年に民主党政権が新たな防衛計画の大綱をつくるというめぐり合わせになった事は何かの因縁である。
自民党政権が続いていたならば、盛大に日米安保条約改定50周年記念を祝い、その祝賀に紛れて、「共産主義の脅威から日本を守る」日米安保体制を、米国の「テロとの戦い」に協力する日米同盟へと根本的に転換するよう図ったに違いない。しかもそれを、日米共同声明という官僚主導の政治宣言を出すことで、国民不在のまま行っていたであろう。情報公開を掲げて国民から選ばれた民主党政権は、自民党政権下の不透明な防衛政策の決定プロセスを改め、日本の新しい防衛政策を国民の前に提示した上で、国民的合意に基づく防衛政策を確立する責任がある。
歴史を後戻りさせてはいけない
人類は長らく、軍事力で国益を実現する時代を経験してきた。その行く先は、軍事拡張と軍事同盟の乱立であり、2度にわたる世界大戦であった。その反省から戦後の国際社会は出発した。そして、いわゆる集団安全保障体制へと人類は安全保障政策を進化させたのである。軍事力で国益を実現したり、軍事力で紛争を解決する事を禁じ、平和共存のルールをつくって皆でそれを守る。それに違反する国が出てこないように、みなで監視し、違反する国をみなで取り締まる。
残念ながら、国際連合による集団安全保障体制は今日まで有効に機能する事はなかった。その最大の理由は東西冷戦の勃発である。国連の安全保障理事会は米ソ2大国の拒否権の応酬の場となり、平和実現のための有効な議決ができなくなった。
ところが1989年に冷戦が終わり、その意味で大きな障害が無くなったにもかかわらず、国連が安全保障に果たす役割はやはり不十分なままである。なぜか? それは冷戦に勝利して圧倒的な超軍事大国となった米国が、その巨大な軍事力を「世界の警察」の役割のために正しく使おうとしなかったからである。それどころか米国は自らの国益の実現のために、その軍事力を公然と行使した。その典型例を我々はイラク攻撃で目撃した。
「無敵の軍事力を持つようになった以上、話し合いというまどろっこしいものではなく軍事力にものを言わせて問題を解決する。それは当たり前の事だ」というネオコンの論理が米政権を覆い、テロとの戦いには先制攻撃も辞さないとするブッシュ・ドクトリンが生まれた。
その考え方はオバマ大統領に「チェンジ」しても引き継がれている。オバマ大統領は核廃絶演説によってノーベル平和賞を受賞した。しかしその授賞式のスピーチで「正しい戦争はある」と言った。これは「テロとの戦いは正しい戦争である」ということだ。米国の戦争は正しく、その他の戦争は許さないということだ。この発言はまさに歴史を後戻りさせるに等しい。
戦争を無くすことがいかに難しい事ではあっても人類は逆戻りしてはいけない。日本は、軍事同盟の時代から集団安全保障の時代へ進歩する人類の努力を捨ててはいけない。
日米同盟を最優先する合理的理由はない
日米軍事協力関係、すなわち日米同盟を最優先する政策は、自民党政権下ではもちろんのこと、民主党政権になっても変わらない事が明らかになりつつある。もはや日米同盟に反対する事はタブーのごとしである。しかしその考えには合理的根拠はない。当然のごとくそれを受け入れているだけだ。
日米同盟の実態を知れば、もはや日米同盟は日本にとって無益であるばかりか、むしろ有害であることに気づくはずだ。その理由は数多くある。第1に、米国との軍事協力関係を重視する限り対米従属から逃れられないということだ。米国はもはや世界唯一の超軍事大国だ。その米国と軍事協力関係を持つ限り対等な関係は有り得ない。米国は軍事政策に関しては他国の意見を聞く耳を持たない。米国の軍事的要請は絶対的だ。一方的だ。それを飲むしかない。従属的にならざるを得ない。
by halunet
| 2010-10-15 08:55
| 安全保障
























