2010年 09月 09日
微生物に餌を十分与え、あとは微生物に任せる(1) |
前回のつづきです。有機農法で長くやっている人に話すと、「別に新しい農法ではないと思うけれど]という反応でした。確かに微生物の働きに注目しての農法は古くからあるようですが、最大限に微生物の力を引き出すやり方が問題なのでしょう。目を疑うほどの実績を自分で確かめてみたくなるのは,私だけでしょうか?
========
以下は炭素循環農法からの抜粋です。
今までの農業との違いが良く分かると思います。
発想の転換、農業革命と言ってもいいかもしれません。
少し長いですがとても分かりやすいですので農業に関心が無い方も読んでみてください。
白井啓
http://freett.com/tenuki/kihon/kihon5.html#taihi
サラダ農法(炭素循環農法)
基本 知識はそのまま 見方を変えれば・・・
· 作る [詳細]
サラダ農法 無肥料(堆肥やボカシも使わない)。 ------ そんな馬鹿な !
自然流農法 連作をする。 ------ 冗談でしょう !
手抜き農法 手間や経費をかけない。特殊なものは使わない。 ----そりゃ無理ってもんだ !
因果農法 勿論、化学肥料、農薬など論外です。 ------ しかし そうは言っても !
活生農法 共生(僕らはみんな生きているー♪♪♪)。 ------ ン? !
やってみようかな[その前に・・・]
食べる [要約]
・・とお思いですか?(でしょうね?)。
プロの方ほどそんなことは無理と思われるのではないでしょうか。まあ、冗談も程々にしろとお怒りにならないでください。これが自然の摂理に従った地球を壊さない大変有効かつ、地域差、規模の大小、経営基盤の強弱等を問わず単純明快にして実行可能と思われる農法の基本です。
┌─微─←─人─生─動─←─植─┐
循 命 環
└─土─→─気─死─陽─→─水─┘
自然農法といってもトラクターを鍬に持ち替えるわけではありません。
緑肥(微生物の餌=緑餌)は立ったまま「生きている」状態で鋤き込みます
サラダ農法 - 無肥料(堆肥やボカシも使わない)。
無施肥による無肥料栽培。結果として無防除(無農薬)です。無施肥なら無肥料かというと、そうではありません。土壌には自然あるいは人為的な多様な経路から、養分供給が行われ条件次第で、特定成分が「肥」となることもあります。勿論、養分供給が行われなければ作物は育ちません。
従って作物にとって無肥料ということであり、無養分ということではありません。また、無施肥=無資材でもありません。「肥」にならないよう適切な資材を使い自然の持つ力を最大限引きだします。単に、何も使わない、耕さないという自然に対する「甘え」の「自然の猿真似農法」ではありません。
ところで「肥」と「養分」の違いとはなんでしょう。肥は文字通り、作物の健康とは無関係に、単に「肥やす」作用があるもの。養分は作物の生長にとって必要不可欠で、過不足なく満たされなければならないもの。
同じ物であっても、過剰で「肥」となり「毒」となれば、それは養分と呼ぶことはできません。量やバランスも養分の内と考えなければならないのです。
雑草や緑肥作物で、大気中の炭素を固定し鋤き込みます。しかし、この炭素は微生物の餌(エネルギー源)であり、肥料ではありません。また、あくまでも炭素固定が主目的、窒素固定ではありません。ですから土を痛めるマメ科植物は使いません。作物の必要とする窒素などの養分は、自然状態と同じように微生物に一切を任せます。
たとえ堆肥やボカシでも作物の肥料になるものは一切与えません。与えてはいけません。自然を見れば分かるように、微生物に餌を十分与え条件が整えば植物(作物)の必要とする養分は賄えるようにできています。
無施肥の場合十分な餌を与えれば、土の浄化と共に土壌微生物(バイオマス)が著しく増え、餌をたくさん食べるようになり、成育速度も想像以上に早くなります。もし、餌が不足し微生物が餓死したり飢餓状態になれば、作物が栄養失調になり成長が遅れ硬くなるだけでなく、土の浄化もできません。そして、栄養失調の貧弱野菜は糖やビタミン類も少なく不味くなります。
その典型が過去の「猿真似自然農法」の貧弱な作物や、漢方農薬を必要とする浄化不完全な土です。成長も早く見かけも立派で虫(菌)も食わず、高収量(慣行並か、その2~3倍)でなければ本物(本来の人の食物)ではありません。
現行の有機農法といえば、堆肥を使わなければならないと思われているようです。ところが有機物(炭素資材)を堆肥化すると、原料にもよりますが微生物の働きにより、半分から十数分の一の量になります。大量の資材を使うということは、それだけ環境に負荷をかけることを意味し環境破壊に繋がりかねません。
即ち堆肥は微生物が食べ残した残り滓(ボカシも同様)。残り滓で最大の効果を期待するのは無理というものでしょう。
確かに、堆肥は作物の肥料になります。しかし、食べ滓ですから微生物の餌にはなりません。土を団粒化する力が僅かしか残っていないのです。最小限の有機物で最大限の効果を上げるためには、土の中で微生物を働かせることです。土壌物理性の改善(団粒化など)は微生物が土壌中で働いてこそ可能であり、これが土を作るという真の意味です。
団粒化に貢献するといわれる、ミミズや有用センチュウ等の微小生物は、微生物がいて初めてその力を発揮します。尤も土がフカフカでミミズが沢山いるようではまだ、土ができていない証拠。現行の有機(堆肥)農法を見れば明らかなように、菌害や虫害が出ます。
炭素循環農法では糸状菌が先に有機物を食べてしまい、繁殖スピードの遅いミミズは増えません。微生物が有機物を分解し微小生物の餌とし、微生物自身も彼らの餌となり土壌中の食物連鎖ができ上がります。微生物の住めない所には、彼らも住むことができません。
土を効率よく改良するためには微生物のエネルギー源である炭素(有機物)を生きた状態、つまり生のまま与える事が肝要です。
もし、C/N比40以下の、死んだ(菌類がガードしていない)ものや、未熟堆肥(C/N比20~30)を入れると、微生物は有機物(炭素化合物)を分解する際に、土壌中の窒素分を使い、結果として窒素不足(窒素飢餓 = 窒素ブロック)を来たします。今まで完熟堆肥(C/N比20以下)を使えと、いわれてきた理由の一つです。
また、生や未熟堆肥を使うと、病虫害が発生しやすいと言われていますが、それは有用微生物(全て有用で無用なものなどない)が充分、働ける環境が整っていない土壌に、いきなり過負荷な仕事を課すからです。
分解し切れず消化不良(大地は地球の腸に相当する)のため、腐敗する結果起きる現象です。典型例が転換初期の、気温上昇期(春先)に起きる土の硬化現象です。
環境さえ整えば、生の方が遥かに効率的(無駄ゼロ)で問題も起きません。病み上がりの半病人に過食と美食は厳禁です。
生ごみ処理の場合のような、堆肥化は否定しません。しかし「処理」ではなく「利用」です。わざわざ大量の有機物資材を、手間暇かけて堆肥化し、資材が本来持っている力を、無効化する現行の「有機堆肥農法」は、限りある有機物資源と労力の無駄使い以外の何ものでもありません。自然の理に従えば最小限の手間や技術、資材で最大限の効果が得られます。
生生生・・・生の有機物の投入により微生物を生かし、土を活かすサラダ農法が第一の基本です。
自然流農法 - 連作をする。
植物は一度、大地に根を下ろせば、そこから動くことはできません。木などは数千年も同じ所で生き続けます。吸収・有機化(無機・有機態→光合成→有機物)という作業から開放された動物(有機物の解体・再組み立て役)のように、動き回ることはできないのです。もし、動き回れない植物にとって本当に連作がいけないのなら、殆どの植物はとっくの昔に絶滅していることでしょう。
稲作地帯では多少の裏作(輪作)等も行ってきましたが基本的には連作です。でも、イネが連作に強いというのはウソ。過去、作物残滓(ワラ、モミガラ、糠)を持ち出し、他に利用して土に還元しなかったため、里山の下草(炭素補給)や厩肥(施肥)などの必要に迫られました(化学肥料に変わっても同じ)。
湛水条件では施肥に対する依存度が低く、窒素吸収量の半分は地力窒素(微生物が供給源)です(畑作では吸収量の100%以上の施肥量)。これが辛うじて連作を可能にしています。
しかし、今以上に施肥量を増やせば各種の障害が起き、たとえ農薬使用量を増やしても生産性が悪化。やむなく低生産性に甘んじているのが現状と言えます。
田畑を問わず、障害の全て(倒伏、病虫害、不味い、いわゆる連作障害、環境適応力低下=天災など)は施肥による、土壌環境の破壊が真の原因。障害=施肥障害です。
第二次大戦以前の300kg/10aが、化学肥料中心になり500kg。しかし、ワラなどの残滓を持ち出さない現在なら800kgは可能。
種子の自家採取は、栽培種の多様性という面でより重要性の高い問題です。また、無施肥に対する順化操作でもあります。市販の種子の多くは、そのまま使えます。なかには使えないものもありますから、必要に応じてやればよく絶対条件ではありません。
無施肥で同じ土地に同じ作物を作り続け、その作物から何代も種子を繰り返し採取し続けます。この操作で、種子にまで及んだ施肥障害(種子の肥毒)により、最初のうちは弱かった作物も次第に病虫害を受けなくなり、生産性も高まります。
連作すると作物がその土に適応し、本来の力を取り戻す(off状態になってしまったDNAのスイッチがonになる?)と同時に、土を自分に合うように作り変え健康に育つようになるからです。つまり、土(土壌微生物・細菌叢)も作物に対し順化するということです。
施肥栽培では(平均的畑作の施肥量は窒素吸収量の130%)、殆ど見られない現象ですが、無施肥の場合一度も作物を育てたことのない土では、養分があっても最初は殆ど育たない作物があります。作物の種類により、土壌微生物(特に菌根菌)との共生度・相互依存度に、強弱があるためと思われます。
順化操作:
種子(実)で繁殖させるものは、市販されているものでも無施肥に対する適応力は比較的高く、栽培可能なものが多い。特に葉茎野菜、根菜類は種子の自家採取の必要性は薄い。ただし、種子繁殖でも施肥して育てられた市販の苗は、適応力が落ちている。初期成育が悪い場合もあり、苗から無施肥にするのが良い。
果菜類も適応力が高いものが多いが、自家採取した方が良いものもある。F1種は選抜が必要だか作物により難易度が違う。
種イモ、種苗(ジャガイモ、イチゴ等)など、体組織で繁殖するものは、一度でも施肥栽培すると、無施肥に対する適応力が著しく損なわれる。初回は種(苗)が採れれば良しとし、少なくとも2~3回は自家採取を繰り返した方が良い。
植物は微生物や微小生物の力を借り、自ら土を耕し生き延びてきました。作物は根から糖類、有機酸、アミノ酸などの有機成分を分泌し、これを根圏微生物が利用します。植物体自身も炭素(微生物のエネルギー源)の補給源です。
微生物は、有機物の分解・無機化やミネラルの可吸化。アミノ酸、ビタミン類、核酸、抗菌物質等の生成など、相互に依存しています。炭素の次に必要量の多い、窒素を大気中から固定するのも微生物の役目です。
根圏にはミミズやセンチュウ等の、微小生物も集まります。センチュウ(ネマトーダ)は害ばかり言われていますが、作物に被害を与える種類はごく僅かで、多くはカビや微生物を食べ、無害というより土作りに貢献しています。
ある調査では10a当たり、全土壌生物1200kg中の500kgがセンチュウで、一番多いという結果が出ています。根圏微生物相(叢)は作物により違い、作物が替われば、これを育てなおさなければいけません。
化学肥料や無闇な深耕は微生物相(叢)を破壊します。ましてや、これらを皆殺しにしてしまう、土壌消毒などやるべきではありません。彼らが土を作り、作物を育てているのですから。
自然猿真似農法のように不耕起ではありません。不耕起は自然の意志(命を生かす)に反します。転換時の深耕(天地返しや心土破砕)とは別に、作付け毎に餌を混ぜるための浅い耕起は必要不可欠です。但し、それ以外の耕起は地力=バイオマスの消耗を招くため絶対にやってはいけません。
全ての事象を人の側ではなく、自然の側に立ち観察してください。連作できないのは、人の傲慢で身勝手な理屈(現代科学)に基づく、自然の摂理を無視した破壊的行為の結果に他なりません。地域や作物により緑肥作物との輪作が必要ですが、
連連連・・・連作こそが自然に逆らわない自然流農法、第二の基本です。
手抜き農法 - 手間をかけない。経費をかけない。特殊なものは使わない。
人が土壌環境を整えることができるという自己中心の思い上がりが、そもそもの間違いの元。人が余計な手をかけてはいけないのです。また、必要なことはやらなければなりません。
作物の生育状態や、気候の変化等に完全に対応し、土壌環境をコントロールすることは、現在のところ不可能です。ならば、始めからコントロールをすることは諦め適地適作を考え、全てを自然(微生物)に任せれば良いわけです。
任せると言っても、放置ではありません。微生物は無報酬では働かないのです。絶対に欠かせないのが高炭素有機物です。緑肥(雑草)なら種子代と僅かな手間だけ(勿論、無施肥)。作物や地域に合わせ多種栽培でき、圃場外から有機物を持ち込む必要もなくなります。
生を無処理のまま使います。現行の有機堆肥農法のように、堆肥作りの手間がかからず、堆肥化による減量もありません。緑肥以外の資材を圃場外から持ち込む場合でも、堆肥化しなければ 1/10前後の資材で足ります。
高炭素有機物と共に転換初期に使った方が良い資材があります(土ができれば不要)。微生物製剤(EM菌や類似の)または土着菌。それを爆発的に増やす米糠(他の糠類でも可)、糖蜜(水溶性で糖類さえあれば他の副産物で可)などです(何れも「単独=餌なし」で土に入れてはいけない)。
どんなに素晴らしいものでも、高価だったり少量しかないような、特殊なものは使用しません。なお、自然農法は「引き算農法」。同じ資材でも、足し算の慣行農法と、使い方やその意味が違うということを、十分理解してから使って下さい。万能資材などというものはないのです。高炭素資材以外の、ある資材が効果があったからと、それに頼り使い続けると必ず失敗します。
ジャガイモの例ですと、緑肥(雑草)=微生物の餌と、10a当たり僅か30kgの米糠(初期の微生物活性化)で十分です。あとは極少量の、増量・活性化した微生物群と糖蜜(極初期の微生物の弁当)、土地により少量の貝殻粉末等を必要に応じて使います。
とはいっても、数百kg~トン単位の堆肥と更に化学肥料を使っている方には、いきなり信じられない程少量です。でも、これで慣行並みの収量が得られます。緑肥も米糠も肥料ではなく、窒素固定、団粒化などを行う微生物を飼うための餌だからです。
繰り返しますが緑肥は間違っても枯らしてはいけません。但し菌の繁殖しやすいように半生状態にするのは、米糠の節約にもなり(半量でよい)、微生物叢の貧弱な転換初期にはお奨め。米糠は新鮮な(醗酵や酸化していない)生のものです。
微生物が十分働けば、施肥の必要はありません。人が入れたもので作物を育てているわけではないのです。なお、永年作物や栽培期間の長い作物では、生きた被服材を使えば完璧(作物が地面を覆ってしまう場合は必要ない)。
この方法を続けると、生えてくる雑草の種類が変わり、除草の手間も大幅に省けます。ジャガイモの場合、一回の土寄せのみです。堆肥ナシ。除草ナシ。もちろん消毒なんぞしません。
ですから経費は作物にもよりますが、化学肥料と農薬の慣行農法の数十%~1/10以下。経費の大部分は肥料(堆肥)と労力という手間、暇、金のかかる現行の有機堆肥農法と比較すれば、その差は更に大きなものとなるでしょう。
確かに慣行農法からの移行期には、病虫害等で殆ど収穫できないこともないとは言えません。しかし、それは当たり前でしょう。瀕死の重病人にいきなり働けと言っても無理というものです。
20年30年と化学肥料と農薬を使い続け、土壌環境を無茶苦茶にしてしまっているのですから、その付けはキッチリ払わなければなりません。元に戻るのに3~5 2~3年は覚悟した方がよいでしょう。特に地下水の流れの下流になる場所や心土の高濃度汚染の浄化には時間がかかります。
しかし、一旦土ができ上がれば手間もかからないし収量も慣行農法より増えます。では「それまでどうするのだ」と思うのは素人。いきなり全圃場を転換するなどプロのやることではありません。
日本では例外的に、そのまま入れるだけでよい特殊な資材が大量にあります。キノコ廃菌床です。少々乱暴ですがキノコ生産量から逆算して、日本の全畑作耕地の10%を、無施肥にできる量です。また、大量の木材屑も、世界から見れば例外です。投入有機物量は神様が最低限度量を決めています。
地球を壊さないためには、おら家の畑だけというのではダメ。地域や土を選ばず何処でも、誰でも、が最低条件。代替の資材がなかったり、特殊な知識・技術が必要であっては、地球規模で適用できません。
また、カネや手間暇さえかければ良いというものでもありません。発展途上国では常に資金不足。先進国では人的資源が不足しがちです。
自然農法を可能にしている基本は、無施肥 = 無肥料(有機・無機を問わず)・無堆肥(植物性・動物性を問わず)。その結果として、無防除・無隔離 = 無農薬(生物農薬、漢方的な物、手で取るのも含め、全ての殺し行為)。無理、無駄のない、人にも自然にもやさしい(理に逆らわない)、
無無無・・・の手抜き農法。これぞ有機・自然農法の真髄です。
(2)につづく
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以下は炭素循環農法からの抜粋です。
今までの農業との違いが良く分かると思います。
発想の転換、農業革命と言ってもいいかもしれません。
少し長いですがとても分かりやすいですので農業に関心が無い方も読んでみてください。
白井啓
http://freett.com/tenuki/kihon/kihon5.html#taihi
サラダ農法(炭素循環農法)
基本 知識はそのまま 見方を変えれば・・・
· 作る [詳細]
サラダ農法 無肥料(堆肥やボカシも使わない)。 ------ そんな馬鹿な !
自然流農法 連作をする。 ------ 冗談でしょう !
手抜き農法 手間や経費をかけない。特殊なものは使わない。 ----そりゃ無理ってもんだ !
因果農法 勿論、化学肥料、農薬など論外です。 ------ しかし そうは言っても !
活生農法 共生(僕らはみんな生きているー♪♪♪)。 ------ ン? !
やってみようかな[その前に・・・]
食べる [要約]
・・とお思いですか?(でしょうね?)。
プロの方ほどそんなことは無理と思われるのではないでしょうか。まあ、冗談も程々にしろとお怒りにならないでください。これが自然の摂理に従った地球を壊さない大変有効かつ、地域差、規模の大小、経営基盤の強弱等を問わず単純明快にして実行可能と思われる農法の基本です。
┌─微─←─人─生─動─←─植─┐
循 命 環
└─土─→─気─死─陽─→─水─┘
自然農法といってもトラクターを鍬に持ち替えるわけではありません。
緑肥(微生物の餌=緑餌)は立ったまま「生きている」状態で鋤き込みます
サラダ農法 - 無肥料(堆肥やボカシも使わない)。
無施肥による無肥料栽培。結果として無防除(無農薬)です。無施肥なら無肥料かというと、そうではありません。土壌には自然あるいは人為的な多様な経路から、養分供給が行われ条件次第で、特定成分が「肥」となることもあります。勿論、養分供給が行われなければ作物は育ちません。
従って作物にとって無肥料ということであり、無養分ということではありません。また、無施肥=無資材でもありません。「肥」にならないよう適切な資材を使い自然の持つ力を最大限引きだします。単に、何も使わない、耕さないという自然に対する「甘え」の「自然の猿真似農法」ではありません。
ところで「肥」と「養分」の違いとはなんでしょう。肥は文字通り、作物の健康とは無関係に、単に「肥やす」作用があるもの。養分は作物の生長にとって必要不可欠で、過不足なく満たされなければならないもの。
同じ物であっても、過剰で「肥」となり「毒」となれば、それは養分と呼ぶことはできません。量やバランスも養分の内と考えなければならないのです。
雑草や緑肥作物で、大気中の炭素を固定し鋤き込みます。しかし、この炭素は微生物の餌(エネルギー源)であり、肥料ではありません。また、あくまでも炭素固定が主目的、窒素固定ではありません。ですから土を痛めるマメ科植物は使いません。作物の必要とする窒素などの養分は、自然状態と同じように微生物に一切を任せます。
たとえ堆肥やボカシでも作物の肥料になるものは一切与えません。与えてはいけません。自然を見れば分かるように、微生物に餌を十分与え条件が整えば植物(作物)の必要とする養分は賄えるようにできています。
無施肥の場合十分な餌を与えれば、土の浄化と共に土壌微生物(バイオマス)が著しく増え、餌をたくさん食べるようになり、成育速度も想像以上に早くなります。もし、餌が不足し微生物が餓死したり飢餓状態になれば、作物が栄養失調になり成長が遅れ硬くなるだけでなく、土の浄化もできません。そして、栄養失調の貧弱野菜は糖やビタミン類も少なく不味くなります。
その典型が過去の「猿真似自然農法」の貧弱な作物や、漢方農薬を必要とする浄化不完全な土です。成長も早く見かけも立派で虫(菌)も食わず、高収量(慣行並か、その2~3倍)でなければ本物(本来の人の食物)ではありません。
現行の有機農法といえば、堆肥を使わなければならないと思われているようです。ところが有機物(炭素資材)を堆肥化すると、原料にもよりますが微生物の働きにより、半分から十数分の一の量になります。大量の資材を使うということは、それだけ環境に負荷をかけることを意味し環境破壊に繋がりかねません。
即ち堆肥は微生物が食べ残した残り滓(ボカシも同様)。残り滓で最大の効果を期待するのは無理というものでしょう。
確かに、堆肥は作物の肥料になります。しかし、食べ滓ですから微生物の餌にはなりません。土を団粒化する力が僅かしか残っていないのです。最小限の有機物で最大限の効果を上げるためには、土の中で微生物を働かせることです。土壌物理性の改善(団粒化など)は微生物が土壌中で働いてこそ可能であり、これが土を作るという真の意味です。
団粒化に貢献するといわれる、ミミズや有用センチュウ等の微小生物は、微生物がいて初めてその力を発揮します。尤も土がフカフカでミミズが沢山いるようではまだ、土ができていない証拠。現行の有機(堆肥)農法を見れば明らかなように、菌害や虫害が出ます。
炭素循環農法では糸状菌が先に有機物を食べてしまい、繁殖スピードの遅いミミズは増えません。微生物が有機物を分解し微小生物の餌とし、微生物自身も彼らの餌となり土壌中の食物連鎖ができ上がります。微生物の住めない所には、彼らも住むことができません。
土を効率よく改良するためには微生物のエネルギー源である炭素(有機物)を生きた状態、つまり生のまま与える事が肝要です。
もし、C/N比40以下の、死んだ(菌類がガードしていない)ものや、未熟堆肥(C/N比20~30)を入れると、微生物は有機物(炭素化合物)を分解する際に、土壌中の窒素分を使い、結果として窒素不足(窒素飢餓 = 窒素ブロック)を来たします。今まで完熟堆肥(C/N比20以下)を使えと、いわれてきた理由の一つです。
また、生や未熟堆肥を使うと、病虫害が発生しやすいと言われていますが、それは有用微生物(全て有用で無用なものなどない)が充分、働ける環境が整っていない土壌に、いきなり過負荷な仕事を課すからです。
分解し切れず消化不良(大地は地球の腸に相当する)のため、腐敗する結果起きる現象です。典型例が転換初期の、気温上昇期(春先)に起きる土の硬化現象です。
環境さえ整えば、生の方が遥かに効率的(無駄ゼロ)で問題も起きません。病み上がりの半病人に過食と美食は厳禁です。
生ごみ処理の場合のような、堆肥化は否定しません。しかし「処理」ではなく「利用」です。わざわざ大量の有機物資材を、手間暇かけて堆肥化し、資材が本来持っている力を、無効化する現行の「有機堆肥農法」は、限りある有機物資源と労力の無駄使い以外の何ものでもありません。自然の理に従えば最小限の手間や技術、資材で最大限の効果が得られます。
生生生・・・生の有機物の投入により微生物を生かし、土を活かすサラダ農法が第一の基本です。
自然流農法 - 連作をする。
植物は一度、大地に根を下ろせば、そこから動くことはできません。木などは数千年も同じ所で生き続けます。吸収・有機化(無機・有機態→光合成→有機物)という作業から開放された動物(有機物の解体・再組み立て役)のように、動き回ることはできないのです。もし、動き回れない植物にとって本当に連作がいけないのなら、殆どの植物はとっくの昔に絶滅していることでしょう。
稲作地帯では多少の裏作(輪作)等も行ってきましたが基本的には連作です。でも、イネが連作に強いというのはウソ。過去、作物残滓(ワラ、モミガラ、糠)を持ち出し、他に利用して土に還元しなかったため、里山の下草(炭素補給)や厩肥(施肥)などの必要に迫られました(化学肥料に変わっても同じ)。
湛水条件では施肥に対する依存度が低く、窒素吸収量の半分は地力窒素(微生物が供給源)です(畑作では吸収量の100%以上の施肥量)。これが辛うじて連作を可能にしています。
しかし、今以上に施肥量を増やせば各種の障害が起き、たとえ農薬使用量を増やしても生産性が悪化。やむなく低生産性に甘んじているのが現状と言えます。
田畑を問わず、障害の全て(倒伏、病虫害、不味い、いわゆる連作障害、環境適応力低下=天災など)は施肥による、土壌環境の破壊が真の原因。障害=施肥障害です。
第二次大戦以前の300kg/10aが、化学肥料中心になり500kg。しかし、ワラなどの残滓を持ち出さない現在なら800kgは可能。
種子の自家採取は、栽培種の多様性という面でより重要性の高い問題です。また、無施肥に対する順化操作でもあります。市販の種子の多くは、そのまま使えます。なかには使えないものもありますから、必要に応じてやればよく絶対条件ではありません。
無施肥で同じ土地に同じ作物を作り続け、その作物から何代も種子を繰り返し採取し続けます。この操作で、種子にまで及んだ施肥障害(種子の肥毒)により、最初のうちは弱かった作物も次第に病虫害を受けなくなり、生産性も高まります。
連作すると作物がその土に適応し、本来の力を取り戻す(off状態になってしまったDNAのスイッチがonになる?)と同時に、土を自分に合うように作り変え健康に育つようになるからです。つまり、土(土壌微生物・細菌叢)も作物に対し順化するということです。
施肥栽培では(平均的畑作の施肥量は窒素吸収量の130%)、殆ど見られない現象ですが、無施肥の場合一度も作物を育てたことのない土では、養分があっても最初は殆ど育たない作物があります。作物の種類により、土壌微生物(特に菌根菌)との共生度・相互依存度に、強弱があるためと思われます。
順化操作:
種子(実)で繁殖させるものは、市販されているものでも無施肥に対する適応力は比較的高く、栽培可能なものが多い。特に葉茎野菜、根菜類は種子の自家採取の必要性は薄い。ただし、種子繁殖でも施肥して育てられた市販の苗は、適応力が落ちている。初期成育が悪い場合もあり、苗から無施肥にするのが良い。
果菜類も適応力が高いものが多いが、自家採取した方が良いものもある。F1種は選抜が必要だか作物により難易度が違う。
種イモ、種苗(ジャガイモ、イチゴ等)など、体組織で繁殖するものは、一度でも施肥栽培すると、無施肥に対する適応力が著しく損なわれる。初回は種(苗)が採れれば良しとし、少なくとも2~3回は自家採取を繰り返した方が良い。
植物は微生物や微小生物の力を借り、自ら土を耕し生き延びてきました。作物は根から糖類、有機酸、アミノ酸などの有機成分を分泌し、これを根圏微生物が利用します。植物体自身も炭素(微生物のエネルギー源)の補給源です。
微生物は、有機物の分解・無機化やミネラルの可吸化。アミノ酸、ビタミン類、核酸、抗菌物質等の生成など、相互に依存しています。炭素の次に必要量の多い、窒素を大気中から固定するのも微生物の役目です。
根圏にはミミズやセンチュウ等の、微小生物も集まります。センチュウ(ネマトーダ)は害ばかり言われていますが、作物に被害を与える種類はごく僅かで、多くはカビや微生物を食べ、無害というより土作りに貢献しています。
ある調査では10a当たり、全土壌生物1200kg中の500kgがセンチュウで、一番多いという結果が出ています。根圏微生物相(叢)は作物により違い、作物が替われば、これを育てなおさなければいけません。
化学肥料や無闇な深耕は微生物相(叢)を破壊します。ましてや、これらを皆殺しにしてしまう、土壌消毒などやるべきではありません。彼らが土を作り、作物を育てているのですから。
自然猿真似農法のように不耕起ではありません。不耕起は自然の意志(命を生かす)に反します。転換時の深耕(天地返しや心土破砕)とは別に、作付け毎に餌を混ぜるための浅い耕起は必要不可欠です。但し、それ以外の耕起は地力=バイオマスの消耗を招くため絶対にやってはいけません。
全ての事象を人の側ではなく、自然の側に立ち観察してください。連作できないのは、人の傲慢で身勝手な理屈(現代科学)に基づく、自然の摂理を無視した破壊的行為の結果に他なりません。地域や作物により緑肥作物との輪作が必要ですが、
連連連・・・連作こそが自然に逆らわない自然流農法、第二の基本です。
手抜き農法 - 手間をかけない。経費をかけない。特殊なものは使わない。
人が土壌環境を整えることができるという自己中心の思い上がりが、そもそもの間違いの元。人が余計な手をかけてはいけないのです。また、必要なことはやらなければなりません。
作物の生育状態や、気候の変化等に完全に対応し、土壌環境をコントロールすることは、現在のところ不可能です。ならば、始めからコントロールをすることは諦め適地適作を考え、全てを自然(微生物)に任せれば良いわけです。
任せると言っても、放置ではありません。微生物は無報酬では働かないのです。絶対に欠かせないのが高炭素有機物です。緑肥(雑草)なら種子代と僅かな手間だけ(勿論、無施肥)。作物や地域に合わせ多種栽培でき、圃場外から有機物を持ち込む必要もなくなります。
生を無処理のまま使います。現行の有機堆肥農法のように、堆肥作りの手間がかからず、堆肥化による減量もありません。緑肥以外の資材を圃場外から持ち込む場合でも、堆肥化しなければ 1/10前後の資材で足ります。
高炭素有機物と共に転換初期に使った方が良い資材があります(土ができれば不要)。微生物製剤(EM菌や類似の)または土着菌。それを爆発的に増やす米糠(他の糠類でも可)、糖蜜(水溶性で糖類さえあれば他の副産物で可)などです(何れも「単独=餌なし」で土に入れてはいけない)。
どんなに素晴らしいものでも、高価だったり少量しかないような、特殊なものは使用しません。なお、自然農法は「引き算農法」。同じ資材でも、足し算の慣行農法と、使い方やその意味が違うということを、十分理解してから使って下さい。万能資材などというものはないのです。高炭素資材以外の、ある資材が効果があったからと、それに頼り使い続けると必ず失敗します。
ジャガイモの例ですと、緑肥(雑草)=微生物の餌と、10a当たり僅か30kgの米糠(初期の微生物活性化)で十分です。あとは極少量の、増量・活性化した微生物群と糖蜜(極初期の微生物の弁当)、土地により少量の貝殻粉末等を必要に応じて使います。
とはいっても、数百kg~トン単位の堆肥と更に化学肥料を使っている方には、いきなり信じられない程少量です。でも、これで慣行並みの収量が得られます。緑肥も米糠も肥料ではなく、窒素固定、団粒化などを行う微生物を飼うための餌だからです。
繰り返しますが緑肥は間違っても枯らしてはいけません。但し菌の繁殖しやすいように半生状態にするのは、米糠の節約にもなり(半量でよい)、微生物叢の貧弱な転換初期にはお奨め。米糠は新鮮な(醗酵や酸化していない)生のものです。
微生物が十分働けば、施肥の必要はありません。人が入れたもので作物を育てているわけではないのです。なお、永年作物や栽培期間の長い作物では、生きた被服材を使えば完璧(作物が地面を覆ってしまう場合は必要ない)。
この方法を続けると、生えてくる雑草の種類が変わり、除草の手間も大幅に省けます。ジャガイモの場合、一回の土寄せのみです。堆肥ナシ。除草ナシ。もちろん消毒なんぞしません。
ですから経費は作物にもよりますが、化学肥料と農薬の慣行農法の数十%~1/10以下。経費の大部分は肥料(堆肥)と労力という手間、暇、金のかかる現行の有機堆肥農法と比較すれば、その差は更に大きなものとなるでしょう。
確かに慣行農法からの移行期には、病虫害等で殆ど収穫できないこともないとは言えません。しかし、それは当たり前でしょう。瀕死の重病人にいきなり働けと言っても無理というものです。
20年30年と化学肥料と農薬を使い続け、土壌環境を無茶苦茶にしてしまっているのですから、その付けはキッチリ払わなければなりません。元に戻るのに3~5 2~3年は覚悟した方がよいでしょう。特に地下水の流れの下流になる場所や心土の高濃度汚染の浄化には時間がかかります。
しかし、一旦土ができ上がれば手間もかからないし収量も慣行農法より増えます。では「それまでどうするのだ」と思うのは素人。いきなり全圃場を転換するなどプロのやることではありません。
日本では例外的に、そのまま入れるだけでよい特殊な資材が大量にあります。キノコ廃菌床です。少々乱暴ですがキノコ生産量から逆算して、日本の全畑作耕地の10%を、無施肥にできる量です。また、大量の木材屑も、世界から見れば例外です。投入有機物量は神様が最低限度量を決めています。
地球を壊さないためには、おら家の畑だけというのではダメ。地域や土を選ばず何処でも、誰でも、が最低条件。代替の資材がなかったり、特殊な知識・技術が必要であっては、地球規模で適用できません。
また、カネや手間暇さえかければ良いというものでもありません。発展途上国では常に資金不足。先進国では人的資源が不足しがちです。
自然農法を可能にしている基本は、無施肥 = 無肥料(有機・無機を問わず)・無堆肥(植物性・動物性を問わず)。その結果として、無防除・無隔離 = 無農薬(生物農薬、漢方的な物、手で取るのも含め、全ての殺し行為)。無理、無駄のない、人にも自然にもやさしい(理に逆らわない)、
無無無・・・の手抜き農法。これぞ有機・自然農法の真髄です。
(2)につづく
by halunet
| 2010-09-09 16:09
| 農と林と食