2010年 09月 07日
ぼくら自身も無意識のうちに人権意識が萎縮していた |
判決の日の2日ばかり前に「クジラ肉裁判 判決前夜トークバトル!」というイベントがありました。そのすべてを録画したものを見たんですが、これがなかなかのものでした。いろんなことを考えさせてくれます。長時間なのに少しも飽きさせない面白い内容でした。(このところ長い動画ばかり紹介していますが)
一つ思ったこと。今さらですが国というのは何だろうかと考えてしまった。国=政府だと何となく思っているけれど、それがそうでもないような。この出来事とこの裁判によって。そしてそこに民主党による政権交代も大きく作用しているように思えます。
一言でいえば、政府は交代できても、交代しない「国」というわけの分からないものがあるんでということです。グリーンピースはそこのアンタッチャブルの領域に踏み込んでいたということのような気がします。だからこの判決は危機感をもった「国」からの市民社会に対する「脅し」または警告なのでしょう。
しかしその「国」というもの正体は一体なんなのか?それを官僚制度だ、というのは簡単だけれど、 それで済ませる訳にもいかない気がします。
ともかくその不思議な「国」というものが、日本に本当の民主主義を実現させる大きな障害なのだろうと、深く感じさせるシンポジウムでした。お勧めします。
ついでに言うと、上杉隆さんの司会ぶりも見事な切り盛りです。あの長丁場を息切れもぜずに走り抜ける力はなみなみならぬものを感じました。
http://www.ustream.tv/recorded/9320916
そこに参加した池田香代子さん、寺中誠さん、鈴木邦夫さんたちが、この判決に感想を寄せています。
判決について日本の市民社会から
━┛━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
グリーンピース・ジャパンのメールマガジン <09/07/09>から
この判決を受けて、日本の市民社会から批判の声が湧き上がっています。
刑法という狭い国内法の枠内で判断するのでなく、より上位の憲法の価値基準、そして国際人権法の水準に沿った判決を裁判所に望むことは、現在の日本社会では許されないのだろうか。
刑法によって守ろうとした価値とそれを形式的には犯してでも守ろうとした価値を比較して実質的な違法性を判断することは、違法性阻却レベルでは可能なはず。そうした実質的判断のために刑法は単に形式的に構成要件に該当するだけでなく個別の事案に即した違法性阻却判断を予定している。
この事件のような問題が刑法レベルに矮小化されることなく、大きな憲法価値のレベルで議論される社会でありたい。ごく当たり前に憲法価値が裁判所、マスコミ、そして市民のレベルで行動原理となる日が来ることを切望している。
――伊藤 真(伊藤塾塾長・弁護士)
今回の判決については、法的にさまざまな批判を加える余地がある。しかし最も重大なことは、今回の判決が、NGOやジャーナリズムの正当な調査活動に対する、刑罰による威嚇だということである。結果として、公権力が関わった犯罪行為などの告発に対しても、萎縮効果が生まれてしまうことになる。グリーンピースの活動家二人の話ではない。これは、日本のNGO活動に対する挑戦である。
――寺中 誠(アムネスティ・インターナショナル日本、事務局長)
ふたりの行為が調査捕鯨の不明朗な慣習を白日の下に晒した功績は認めても、不法侵入と窃盗の「罪は罪」、ただそれだけのことしか言わない判決は、司法が市民の自由や権利を擁護して社会をすこやかな方向に変えていく使命を放棄し、六法全書と起訴状をつきあわせてあてはまる答を見つけることでよしとしていることを物語るものでしかありません。これでは市民の表現の自由が萎縮するし、その前に司法が萎縮しています。
――池田香代子(作家・翻訳家、世界平和アピール七人委員会)
日本の裁判所が裁かれたような判決だ。ぼくら自身も無意識のうちに人権意識が萎縮していた。日本の常識が世界の常識であることを知らせていく良い機会だと思う。最終的には国連人権理事会への通報にもつなげてほしい。
――鈴木邦男(評論家)
一つ思ったこと。今さらですが国というのは何だろうかと考えてしまった。国=政府だと何となく思っているけれど、それがそうでもないような。この出来事とこの裁判によって。そしてそこに民主党による政権交代も大きく作用しているように思えます。
一言でいえば、政府は交代できても、交代しない「国」というわけの分からないものがあるんでということです。グリーンピースはそこのアンタッチャブルの領域に踏み込んでいたということのような気がします。だからこの判決は危機感をもった「国」からの市民社会に対する「脅し」または警告なのでしょう。
しかしその「国」というもの正体は一体なんなのか?それを官僚制度だ、というのは簡単だけれど、 それで済ませる訳にもいかない気がします。
ともかくその不思議な「国」というものが、日本に本当の民主主義を実現させる大きな障害なのだろうと、深く感じさせるシンポジウムでした。お勧めします。
ついでに言うと、上杉隆さんの司会ぶりも見事な切り盛りです。あの長丁場を息切れもぜずに走り抜ける力はなみなみならぬものを感じました。
http://www.ustream.tv/recorded/9320916
そこに参加した池田香代子さん、寺中誠さん、鈴木邦夫さんたちが、この判決に感想を寄せています。
判決について日本の市民社会から
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グリーンピース・ジャパンのメールマガジン <09/07/09>から
この判決を受けて、日本の市民社会から批判の声が湧き上がっています。
刑法という狭い国内法の枠内で判断するのでなく、より上位の憲法の価値基準、そして国際人権法の水準に沿った判決を裁判所に望むことは、現在の日本社会では許されないのだろうか。
刑法によって守ろうとした価値とそれを形式的には犯してでも守ろうとした価値を比較して実質的な違法性を判断することは、違法性阻却レベルでは可能なはず。そうした実質的判断のために刑法は単に形式的に構成要件に該当するだけでなく個別の事案に即した違法性阻却判断を予定している。
この事件のような問題が刑法レベルに矮小化されることなく、大きな憲法価値のレベルで議論される社会でありたい。ごく当たり前に憲法価値が裁判所、マスコミ、そして市民のレベルで行動原理となる日が来ることを切望している。
――伊藤 真(伊藤塾塾長・弁護士)
今回の判決については、法的にさまざまな批判を加える余地がある。しかし最も重大なことは、今回の判決が、NGOやジャーナリズムの正当な調査活動に対する、刑罰による威嚇だということである。結果として、公権力が関わった犯罪行為などの告発に対しても、萎縮効果が生まれてしまうことになる。グリーンピースの活動家二人の話ではない。これは、日本のNGO活動に対する挑戦である。
――寺中 誠(アムネスティ・インターナショナル日本、事務局長)
ふたりの行為が調査捕鯨の不明朗な慣習を白日の下に晒した功績は認めても、不法侵入と窃盗の「罪は罪」、ただそれだけのことしか言わない判決は、司法が市民の自由や権利を擁護して社会をすこやかな方向に変えていく使命を放棄し、六法全書と起訴状をつきあわせてあてはまる答を見つけることでよしとしていることを物語るものでしかありません。これでは市民の表現の自由が萎縮するし、その前に司法が萎縮しています。
――池田香代子(作家・翻訳家、世界平和アピール七人委員会)
日本の裁判所が裁かれたような判決だ。ぼくら自身も無意識のうちに人権意識が萎縮していた。日本の常識が世界の常識であることを知らせていく良い機会だと思う。最終的には国連人権理事会への通報にもつなげてほしい。
――鈴木邦男(評論家)
by halunet
| 2010-09-07 16:47
| 裁判/検察