2010年 08月 24日
アメリカの三つの「正義」の戦争について考える(2) |
(1)からのつづき
さて、南北戦争で起きた非常に肯定的な出来事について、奴隷解放について話を戻そうと思うのですが、しかしこれは完全には解放ではありませんでした。ええ、ある意味では解放だったでしょう。別の意味ではそうではなかった。さぁ、南北戦争で60万人の命が失われるというわけですから、これは重要な点で、現在の人口の割合に換算すると500万人の人口に等しいわけですし、(この地で州と州が戦って500万人の人たちが死ぬような戦争を想像してみてください)もしかしたら、その結果400万人の黒人の人々を解放して彼らに自由をもたらすなら、価値のあることなのかもしれませんね。実際のところ、彼らには自由が与えられたとは言えません。彼らは準奴隷になっただけでした。
黒人たちは政治家たち、北部の資本家たちに裏切られました。約束につぐ約束をされましたよ、でもね、もちろん、彼らは厳密にいえば奴隷だとはいえないけれども、何の頼りになる道も与えられないままほったらかしにされた。結局は、彼らを奴隷として所有していた同じ大農場主の思うままにされてしまい、今や農奴となってしまいました。今度は小作人農夫になってしまった。今ではひとつの場所から他へと移動することはできなくなってしまいました。黒人たちはいろいろな制限によって閉じ込められてしまった。彼らの多くは嘘の罪を着せられ牢獄に入れられた。放浪規制が通過したため雇用主たちは黒人たちを道端で捕まえ仕事を強要しました。奴隷労働の一種です。
私がこのようにあれこれ言って指摘するのは、ほら、私たちは奴隷制を止めたのだから60万人もの人々が死んでもよかったのではないかということでしょうか。いや、そうではない。60万人もの人々が死ななくても別の方法で奴隷制度を終えることは可能ではないでしょうか。そういう風には私たちは考えませんね。丁度、流血の戦争をしなくても英国からの独立を勝ち取ることができたかもしれないと私たちが考えないのと同じようなことですよ。
流血の戦争とは、暴力で何かを勝ち取るということは、それは上からコントロールされているということです。これは人民の戦争ではありません。革命独立戦争であろうと、南北戦争であろうと、人民の戦争ではありません。上に立っている人々がいて、その人たちはこの状態から最も利益を得る人たちです。
ですから、疑問を投げかける必要があります。奴隷制は別のやり方で終えることはできなかったのか、と。西半球の他の国々で流血の内戦なしに奴隷制を終えた国々があります。
(まだ、グリーンライトになってますね。第二次世界大戦の話までたどり着けるでしょうかね。)
私は第二次世界大戦で志願兵になりました。ご存知だったかもしれませんが。もしかしたら皆さん、私の履歴全部をご存知かもしれません。私自身よりも皆さんのほうが私のことを知っているかもしれませんね。
私は第二次世界大戦で空軍に志願してヨーロッパの飛行爆撃作戦に参加しました。私がそうしたのは「正義の戦争」だったからです。「正しい戦争」だった。「正当な戦争」だった。
さてと、戦争が終わってから私はだんだんと考えに考えはじめました。私は調査をはじめ、物事を確認し、ヒロシマとナガサキについて学びはじめました。それはいつヒロシマにその原爆が落とされたかということが原因でした。私はヨーロッパへの派遣を終えたばかりで、その後太平洋にでかけて爆弾投下を続けることになっていました。そうしたらヒロシマに原爆が落とされ、その後すぐに戦争が終わりました。ああ、それはよかった。私はそれを歓迎したものでした。
私は本当にその爆弾がヒロシマに落とされたときに何が起きたのか知っていたでしょうか。その人々に何が起きたのか知っていたでしょうか。そこにいた何十万人にもおよぶ人々、それら男性、女性、子供たちにとってそれがどういうことを意味していたか、私は分っていたでしょうか。いいえ。知りませんでした。それについて考え始めたとき、それまで考えたことのなかった人たちのこと、自分が落とした爆弾を受けた人々のことについて考え始めました。私にはその人たちのことが見えませんでした。3万フィートの高空を飛んでいれば誰も見えません。ただ爆弾を落とすだけです。
現在の戦争は非常に冷淡この上ありません。人々は軽率に、まったくパイロットもなしにプレデター・ミサイルなんかを撃ち込むのですよね。それは簡単なことです。ただ人を殺して、誰かが撃ち落される心配もいりません。
ナガサキ原爆の3ヶ月前、私たちは東京に焼夷弾を落とすために飛行機を飛ばし、東京大空襲で10万人もの人々が一夜にして殺されました。
後で、私が日本を訪れたときにそこの人たちと話をしました。その後ヒロシマを訪れ、ヒロシマの生存者の人たちと会いましたが、皆さんにも彼らのことを見てほしかったですよ、足や腕のない人たちや盲目の人々など。私がそれはどういう意味かを実際に理解したとき、戦争、5000万人もの死者を出した戦争のこと。こう言えますね。さて、私たちはファシズムを負かしたと。さぁ、そうでしょうか。本当にそうだったのでしょうか。
革命独立戦争はまた別物です。だって、革命独立戦争の後、すべてがそれほどうまく行きませんでした。すべてが素晴らしい結果になったわけじゃないし、しかもあれだけの多くの人たちが殺された戦争なのですからね。
では5000万人もの死者を出した第二次世界大戦はどうでしょうか。もちろんヒットラーを退治しました。日本の軍国主義を倒し、ムッソリーニを退治しました。しかし、世界のファシズムを退治したでしょうか。軍国主義をなくしたでしょうか。人種差別を退治したでしょうか。戦争をなくしたでしょうか。私たちは戦争につぐ戦争につぐ戦争をやってきました。これら5000万人の人たちは何のために死んだのでしょうか。
私たちはこの戦争の問題について考え直す必要があります。
(会場でタイムキーパーをやっている人はきっと居眠りをしているんだろう、という結論に達しました。大丈夫、私は彼を起こすようなことはしませんよ)
皆さんも私と同じような結論に達するべきでしょう。戦争はどんなことであろうと受け入れることはできません。どんなことがあろうとも。どんな理由を与えられようとも。自由、民主主義、これ、あれ。戦争はその定義からして膨大な人数の人々を不確定な目的のために無差別に殺戮することです。手段と結果とを考えるとき、倫理的な問題を考え、それを戦争に当てはめます。手段は必ず悲惨なものです。結果は不確定です。それだけで、躊躇するべきことでしょう。
そして、もちろん、ある質問を必ず出してくる人たちがいます。そういう問いは常に私に問いかけられてきたので、先手を打ちましょう。例えあなたたちの頭の中に浮かんだだけの質問だとしても、皆さんから訊かれる前にね。「そうですね。でも他に私たちは何をするべきだったのでしょうか」こう訊かれるんですよ。これこれ、あれそれについて、またはイギリスからの独立について、または奴隷制度について、私たちは一体他に何をすればよかったのか、とね。ところで、奴隷制について興味深いことですが、ジョン・ブラウンは奴隷を解放することを望んでいました。それは南北戦争の一年前のことでしたよ。いいですか。ジョン・ブラウンはそれをやろうとしていましたが、あまりうまくいきませんでした。奴隷の叛乱を起こそうとして、それが大きく、次々と広がっていくことをジョン・ブラウンは望んでいました。そんな風にして奴隷制度を終えることができたかもしれませんね。ジョン・ブラウンは合州国政府とバージニア州によって、このような暴力を使ったという罪で処刑されました。その次の年、政府は60万人もの死者を出した戦争を起こし、そんなやり方で奴隷制度を終えたということで皆がお祝いをしている。どういうことでしょうか。
ここで言っておきたいことがひとつあります。こういう質問があります。「あなただったらどうしたでしょうか」。こういうことを言う人たちがいます。「じゃあ、ヒットラーはどうだ。何かしなければならないだろう」。そうです。こういう事柄については何かをしなければなりません。抑圧されているならば、独立を勝ち取るために何かをしなければなりません。奴隷制度があるならば、奴隷制度について何かをしなければならない。ファシズムについて何かをしなければならない。こういったすべての事柄について何かをしなければなりません。しかし、戦争を起こす必要はありません。私たちに脳みそが少しでもあるんだったらね(あるのかどうか、分りませんね)。私たちは賢いはずです。私たちは賢いんですよ。本当にたくさんのやり方があります。まったくのところ、戦争と無抵抗との間には何千もの可能性があることくらい理解できるはずですよ、そうでしょう。
いったんある歴史的事件が一定の形で起きたら、歴史が一定の形で進んでいったら、例えば、ヒットラーがチェコスロバキア、ポーランドに侵攻したとたん、私たちは戦争に行く、ということになるのはおかしいです。戦争は何年も続きます。そして戦争が終わる。いったん戦争が一定の形で進んだら、ファシズムが終わる、そんな風に物事が進んだら、他のやり方で物事が達成されたかもしれないということを想像することがとても難しくなる。歴史である物事が起きると、それが必然的であるかのような雰囲気ができてしまう。こうなるしかなかった、
と。違います。
歴史の多くの場面で、想像もつかないような驚くべきことが本当にたくさん起きます。本当に。アフリカ民族会議がアパルトヘイトのシステムに対して流血の叛乱戦争を起こすことに決めたとしたら、それは正当化されたかもしれません。アパルトヘイトを終えるために、そうだ、戦争をしなければならない。それでアパルトヘイトが終わる。何百万もの人々が殺されるでしょう。ほとんどが黒人の人たちでしょう。もしそのような形になったとしたら、あなたはこう言うかもしれませんね。「まぁ、そうするしかなかったでしょう」と。でも、アパルトヘイトが終わったのはアフリカ民族会議がこう決めたからです。「いいえ、私たちはそれを望みません。私たちは別のやり方で目的を実現します。私たちは無抵抗にはなりません。私たちはいろいろな方法で戦い返します。ストライキをやります。あらゆる手段を考えます。経済的な圧力をかけます。私たちはありとあらゆる手段でこの圧制を打倒し、その権力を崩していきます。しかし、私たちは結局自分たち自身がほとんどその犠牲になるような流血の戦争はしません」と。
というわけでやっと終わりました。皆さん、救われましたね。ま、私の言いたいことはお分かりになったでしょう。私の言いたいことはこれだけです。
原文:
http://www.zmag.org/zvideo/3322
ビデオリンク:
http://www.youtube.com/watch?v=3zUS_oh4XeU
TUPのウェブサイト掲載リンク:
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=884
■ハワード・ジン『爆撃』が2010年8月3日刊行されました。
(岸本和世・荒井雅子訳、TUP協力、岩波ブックレット)
ジンが65回目の原爆忌のために準備していた遺著で、自身が爆撃手として従軍し
た「正義の戦争」第二次世界大戦に関する検証です。
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さて、南北戦争で起きた非常に肯定的な出来事について、奴隷解放について話を戻そうと思うのですが、しかしこれは完全には解放ではありませんでした。ええ、ある意味では解放だったでしょう。別の意味ではそうではなかった。さぁ、南北戦争で60万人の命が失われるというわけですから、これは重要な点で、現在の人口の割合に換算すると500万人の人口に等しいわけですし、(この地で州と州が戦って500万人の人たちが死ぬような戦争を想像してみてください)もしかしたら、その結果400万人の黒人の人々を解放して彼らに自由をもたらすなら、価値のあることなのかもしれませんね。実際のところ、彼らには自由が与えられたとは言えません。彼らは準奴隷になっただけでした。
黒人たちは政治家たち、北部の資本家たちに裏切られました。約束につぐ約束をされましたよ、でもね、もちろん、彼らは厳密にいえば奴隷だとはいえないけれども、何の頼りになる道も与えられないままほったらかしにされた。結局は、彼らを奴隷として所有していた同じ大農場主の思うままにされてしまい、今や農奴となってしまいました。今度は小作人農夫になってしまった。今ではひとつの場所から他へと移動することはできなくなってしまいました。黒人たちはいろいろな制限によって閉じ込められてしまった。彼らの多くは嘘の罪を着せられ牢獄に入れられた。放浪規制が通過したため雇用主たちは黒人たちを道端で捕まえ仕事を強要しました。奴隷労働の一種です。
私がこのようにあれこれ言って指摘するのは、ほら、私たちは奴隷制を止めたのだから60万人もの人々が死んでもよかったのではないかということでしょうか。いや、そうではない。60万人もの人々が死ななくても別の方法で奴隷制度を終えることは可能ではないでしょうか。そういう風には私たちは考えませんね。丁度、流血の戦争をしなくても英国からの独立を勝ち取ることができたかもしれないと私たちが考えないのと同じようなことですよ。
流血の戦争とは、暴力で何かを勝ち取るということは、それは上からコントロールされているということです。これは人民の戦争ではありません。革命独立戦争であろうと、南北戦争であろうと、人民の戦争ではありません。上に立っている人々がいて、その人たちはこの状態から最も利益を得る人たちです。
ですから、疑問を投げかける必要があります。奴隷制は別のやり方で終えることはできなかったのか、と。西半球の他の国々で流血の内戦なしに奴隷制を終えた国々があります。
(まだ、グリーンライトになってますね。第二次世界大戦の話までたどり着けるでしょうかね。)
私は第二次世界大戦で志願兵になりました。ご存知だったかもしれませんが。もしかしたら皆さん、私の履歴全部をご存知かもしれません。私自身よりも皆さんのほうが私のことを知っているかもしれませんね。
私は第二次世界大戦で空軍に志願してヨーロッパの飛行爆撃作戦に参加しました。私がそうしたのは「正義の戦争」だったからです。「正しい戦争」だった。「正当な戦争」だった。
さてと、戦争が終わってから私はだんだんと考えに考えはじめました。私は調査をはじめ、物事を確認し、ヒロシマとナガサキについて学びはじめました。それはいつヒロシマにその原爆が落とされたかということが原因でした。私はヨーロッパへの派遣を終えたばかりで、その後太平洋にでかけて爆弾投下を続けることになっていました。そうしたらヒロシマに原爆が落とされ、その後すぐに戦争が終わりました。ああ、それはよかった。私はそれを歓迎したものでした。
私は本当にその爆弾がヒロシマに落とされたときに何が起きたのか知っていたでしょうか。その人々に何が起きたのか知っていたでしょうか。そこにいた何十万人にもおよぶ人々、それら男性、女性、子供たちにとってそれがどういうことを意味していたか、私は分っていたでしょうか。いいえ。知りませんでした。それについて考え始めたとき、それまで考えたことのなかった人たちのこと、自分が落とした爆弾を受けた人々のことについて考え始めました。私にはその人たちのことが見えませんでした。3万フィートの高空を飛んでいれば誰も見えません。ただ爆弾を落とすだけです。
現在の戦争は非常に冷淡この上ありません。人々は軽率に、まったくパイロットもなしにプレデター・ミサイルなんかを撃ち込むのですよね。それは簡単なことです。ただ人を殺して、誰かが撃ち落される心配もいりません。
ナガサキ原爆の3ヶ月前、私たちは東京に焼夷弾を落とすために飛行機を飛ばし、東京大空襲で10万人もの人々が一夜にして殺されました。
後で、私が日本を訪れたときにそこの人たちと話をしました。その後ヒロシマを訪れ、ヒロシマの生存者の人たちと会いましたが、皆さんにも彼らのことを見てほしかったですよ、足や腕のない人たちや盲目の人々など。私がそれはどういう意味かを実際に理解したとき、戦争、5000万人もの死者を出した戦争のこと。こう言えますね。さて、私たちはファシズムを負かしたと。さぁ、そうでしょうか。本当にそうだったのでしょうか。
革命独立戦争はまた別物です。だって、革命独立戦争の後、すべてがそれほどうまく行きませんでした。すべてが素晴らしい結果になったわけじゃないし、しかもあれだけの多くの人たちが殺された戦争なのですからね。
では5000万人もの死者を出した第二次世界大戦はどうでしょうか。もちろんヒットラーを退治しました。日本の軍国主義を倒し、ムッソリーニを退治しました。しかし、世界のファシズムを退治したでしょうか。軍国主義をなくしたでしょうか。人種差別を退治したでしょうか。戦争をなくしたでしょうか。私たちは戦争につぐ戦争につぐ戦争をやってきました。これら5000万人の人たちは何のために死んだのでしょうか。
私たちはこの戦争の問題について考え直す必要があります。
(会場でタイムキーパーをやっている人はきっと居眠りをしているんだろう、という結論に達しました。大丈夫、私は彼を起こすようなことはしませんよ)
皆さんも私と同じような結論に達するべきでしょう。戦争はどんなことであろうと受け入れることはできません。どんなことがあろうとも。どんな理由を与えられようとも。自由、民主主義、これ、あれ。戦争はその定義からして膨大な人数の人々を不確定な目的のために無差別に殺戮することです。手段と結果とを考えるとき、倫理的な問題を考え、それを戦争に当てはめます。手段は必ず悲惨なものです。結果は不確定です。それだけで、躊躇するべきことでしょう。
そして、もちろん、ある質問を必ず出してくる人たちがいます。そういう問いは常に私に問いかけられてきたので、先手を打ちましょう。例えあなたたちの頭の中に浮かんだだけの質問だとしても、皆さんから訊かれる前にね。「そうですね。でも他に私たちは何をするべきだったのでしょうか」こう訊かれるんですよ。これこれ、あれそれについて、またはイギリスからの独立について、または奴隷制度について、私たちは一体他に何をすればよかったのか、とね。ところで、奴隷制について興味深いことですが、ジョン・ブラウンは奴隷を解放することを望んでいました。それは南北戦争の一年前のことでしたよ。いいですか。ジョン・ブラウンはそれをやろうとしていましたが、あまりうまくいきませんでした。奴隷の叛乱を起こそうとして、それが大きく、次々と広がっていくことをジョン・ブラウンは望んでいました。そんな風にして奴隷制度を終えることができたかもしれませんね。ジョン・ブラウンは合州国政府とバージニア州によって、このような暴力を使ったという罪で処刑されました。その次の年、政府は60万人もの死者を出した戦争を起こし、そんなやり方で奴隷制度を終えたということで皆がお祝いをしている。どういうことでしょうか。
ここで言っておきたいことがひとつあります。こういう質問があります。「あなただったらどうしたでしょうか」。こういうことを言う人たちがいます。「じゃあ、ヒットラーはどうだ。何かしなければならないだろう」。そうです。こういう事柄については何かをしなければなりません。抑圧されているならば、独立を勝ち取るために何かをしなければなりません。奴隷制度があるならば、奴隷制度について何かをしなければならない。ファシズムについて何かをしなければならない。こういったすべての事柄について何かをしなければなりません。しかし、戦争を起こす必要はありません。私たちに脳みそが少しでもあるんだったらね(あるのかどうか、分りませんね)。私たちは賢いはずです。私たちは賢いんですよ。本当にたくさんのやり方があります。まったくのところ、戦争と無抵抗との間には何千もの可能性があることくらい理解できるはずですよ、そうでしょう。
いったんある歴史的事件が一定の形で起きたら、歴史が一定の形で進んでいったら、例えば、ヒットラーがチェコスロバキア、ポーランドに侵攻したとたん、私たちは戦争に行く、ということになるのはおかしいです。戦争は何年も続きます。そして戦争が終わる。いったん戦争が一定の形で進んだら、ファシズムが終わる、そんな風に物事が進んだら、他のやり方で物事が達成されたかもしれないということを想像することがとても難しくなる。歴史である物事が起きると、それが必然的であるかのような雰囲気ができてしまう。こうなるしかなかった、
と。違います。
歴史の多くの場面で、想像もつかないような驚くべきことが本当にたくさん起きます。本当に。アフリカ民族会議がアパルトヘイトのシステムに対して流血の叛乱戦争を起こすことに決めたとしたら、それは正当化されたかもしれません。アパルトヘイトを終えるために、そうだ、戦争をしなければならない。それでアパルトヘイトが終わる。何百万もの人々が殺されるでしょう。ほとんどが黒人の人たちでしょう。もしそのような形になったとしたら、あなたはこう言うかもしれませんね。「まぁ、そうするしかなかったでしょう」と。でも、アパルトヘイトが終わったのはアフリカ民族会議がこう決めたからです。「いいえ、私たちはそれを望みません。私たちは別のやり方で目的を実現します。私たちは無抵抗にはなりません。私たちはいろいろな方法で戦い返します。ストライキをやります。あらゆる手段を考えます。経済的な圧力をかけます。私たちはありとあらゆる手段でこの圧制を打倒し、その権力を崩していきます。しかし、私たちは結局自分たち自身がほとんどその犠牲になるような流血の戦争はしません」と。
というわけでやっと終わりました。皆さん、救われましたね。ま、私の言いたいことはお分かりになったでしょう。私の言いたいことはこれだけです。
原文:
http://www.zmag.org/zvideo/3322
ビデオリンク:
http://www.youtube.com/watch?v=3zUS_oh4XeU
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http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=884
■ハワード・ジン『爆撃』が2010年8月3日刊行されました。
(岸本和世・荒井雅子訳、TUP協力、岩波ブックレット)
ジンが65回目の原爆忌のために準備していた遺著で、自身が爆撃手として従軍し
た「正義の戦争」第二次世界大戦に関する検証です。
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配信担当 古藤加奈
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by halunet
| 2010-08-24 22:50
| アメリカの真実
























