2010年 08月 05日
パレスチナ問題の原点を考える |
パレスチナ問題の原点を考える
平和を願う山梨戦争展 2010.8.4 – 8 八ヶ岳板垣塾有志
パレスチナ問題は難しくない
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あなたの住んでいる街に突然,外国人が入ってきて武力により家や公共施設を破壊し,住民を殺し,立ち退くよう強要したらどうでしょうか.あなたは仕方なく立ち退き,難民となるかもしれません.また,当面降参して相手のもとで生活し,やがて抵抗運動に参加するかもしれません.
1948年のナクバ1(大災厄;イスラエル建国を被害者側はこういいます)はまさにそのようなものでした.“イスラエル側が加害者,パレスチナ原住民側は被害者”です.人間の良心に照らせばこの関係は明確なもので,パレスチナ問題は,シオニストがパレスチナ住民から土地,生活手段,命を強奪した問題です.そしてそれは現在も続いています.
ここではナクバ以降のパレスチナ人の災厄とそれをもたらす原因について情報源とともに記します.もし,あなたが中高生であるなら参考文献10から読み始めるとよいと思います.
パレスチナ人の生活 2 3
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1948年のナクバはシオニストが軍隊を使ってエルサレム近くのディルヤースィン村などで徹底的に虐殺・土地収奪を行うことと,それを周辺に伝え恐怖心を引き起こすことでパレスチナ原住民を追放したものです.逃れた人々はシリア,ヨルダン,レバノン,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区の難民キャンプで暮らすようになります.一方,イスラエル側にとどまって二級市民扱いの中で暮らすパレスチナ人もいます.
ガザやヨルダン川西岸は本来イスラエルの土地ではないにも拘わらず,占領地として入植が進められています.そこで暮らすパレスチナ人は雇用がなく,イスラエル側に出稼ぎに行き3Kの仕事をして賃金を得るなどしています.ヨルダン川西岸の分離壁(ロケット弾や自爆のテロ防止の名目で建設されるが,実質パレスチナ人の閉じこめるために使われている)ですらパレスチナの労働者が建設するというほどの困窮がパレスチナ人にあります. 難民キャンプの生活は国連パレスチナ難民救済事業団の援助物資なくしては成り立ちません.イスラエルによる封鎖という懲罰がなされると,出稼ぎにもいけず,食糧,医薬品などが途絶えます.
住む土地と生活手段,場合によっては家族を奪われた難民の抵抗は自然権といってもよいものです.手段として,商店のスト(イスラエル人との経済的交渉を小さくする),インティファーダ(イスラエル兵に石つぶてを投げる抵抗運動)があります.ロケット弾を打ち込むとか,なかには,絶望の中から自爆テロを志すものも出てきますが,主たる手段はインティファーダです.インティファーダは1987年にはじまりました.重装備のイスラエル軍に投石で対抗するパレスチナの少年や若者の姿が世界に発信され,“パレスチナ人はテロリストだ”という以前の国際世論をあらためさせた力を持っています.インティファーダは,さまざまな組織(ファタハ,パレスチナ共産党,ハマース,イスラーム・ジハードなど)に支えられ,女性も犠牲者の世話など社会参加の機会が増えました.一方,若い男性が戦いに集中できるよう女性の身だしなみを地味にすることが奨励されています.イスラエル軍に追われた少年や青年は皆でかくまいます.
ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人はおとなでもおねしょをする恐怖にさらされていますが,それでも毎日服装を整える,親を失った小さな子の世話を大家族でみるなどをして暮らしています.精神的支えは相互扶助,公共の精神のバックボーンであるイスラームの教えではないでしょうか.
イスラエル側の手段は多様です;外出禁止令,行政逮捕(理由不要,裁判不要),行政逮捕者を刑務所に送り拷問(場合によっては精神に異常をきたすまで行う),居住地逮捕(住んでいるところから出てはいけない),逮捕経験者にグリーンの身分証明書を発行(運動家というレッテルを貼る),催涙弾を学校や民家に投入(老人や乳幼児の命はこれで奪われます),経済封鎖などです.さらに,ロケット弾や自爆テロへの対策と称してガザ,ヨルダン川西岸,ときには周辺諸国を侵攻・爆撃して住居破壊,無差別殺戮を行います.
このようなイスラエルのやり方は,本来のユダヤ教に合致するものではなく,根本はユダヤ教のフェイクであるシオニズムという無神論的宗教とそれを支えるものにあります.それをみていきましょう.
伝統的ユダヤ教を知ろう 4 5
----------------------
以下のような主張をする人々のことを聞いたことはありませんか:
現存のイスラエルという国は偶像である:神の国の成立は神のみがなせること.
良心的兵役拒否:他者を傷つけることは神の意志に反する.
これは以下のような伝統的ユダヤ教徒の信仰に基づくものです:
①自分たちは自分たちの罪のため流謫の民でいる: 国をもたずに,他者と平和共存する.
②自己反省を欠かさない:“自分に振り下ろされた棒を持つ手は自らの手である“たとえば,ショアー(ホロコースト)に対しても,“シオニズムに対する神の罰がくだったのだ“と考えます.
注意深く神と自己を洞察するこのような信仰は今や“超正統派”とラベルされ特殊な感じがしますが,こちらが伝統的ユダヤ教です.イスラエル国内でも,神秘主義系とあわせて20%の人口がおり,ネトレイ・カルタがラビを戴いて活動しています.また,政党としてはシャス党があります.
シオニズムを知ろう
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その成立は1882年の帝政ロシアによるユダヤ人虐殺(ポグロム)に耐えかねて伝統的なユダヤ教の信仰を忌避し逃げ場を求めたものです.もともとは弱い立場の人間の生存のためだったのです.行く末は別として…
シオニズムは“神は存在しないがイスラエルの地は神がユダヤ人に授けたものである”ということばのとおり,神を戴く宗教ではなく無神論的宗教です.ヘルツルが提唱したシオニズムは当初,社会主義として実践された点からも無神論であることが理解できます.当時の植民地の候補はパレスチナの他,アルゼンチンやアメリカもありました.パレスチナが選ばれたのは“神が授けた”からではなく,シオニストがオスマントルコやヨーロッパの庇護をうけるための政治的判断です6.国際金融資本の金銭的バックアップもあり今やユダヤ教の大きな部分がシオニズムを否定しなくなっています.
みなさんは,ユダヤ教徒はあたかも選民意識=エゴが強く自分の利益しか考えない,という印象を持たれているかもしれません.それは伝統的ユダヤ教徒ではなく,新興宗教の人々:シオニストであることに注意しましょう.
なぜいままで明かされなかったのか?
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伝統的ユダヤ教とシオニズムの違いは参考文献4に詳しくかかれていますが,なぜいままで日本人に知られなかったのでしょうか.
伝統的ユダヤ教徒は他人の悪口を控えます.日本人とよく似ているかもしれません.これは自分の責任に気づかず他人の中に原因をさがすことを避けるためでしょう.伝統的ユダヤ教徒のシオニズムに対しての批判は強いものですが,それを当事者以外に向けて発信する機会と報道が少ないせいだと思います.参考文献4の著者は伝統的ユダヤ教徒ですが注意深く抑制的にシオニズム批判を書いています.
シオニズムとイスラエルを支えるもの
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(0)人々の無知
世界の人々が伝統的ユダヤ教徒とシオニズムを区別するだけでも大きな認識の違いに至ると思います.正しい情報は積極的に自分で入手せねばなりません.この展示でご紹介する本を図書館などで手にとってみられることを願っています.
(1)ヨーロッパ帝国/植民地主義 7
ヨーロッパの文化は優れていて植民をしてそれを世界に伝える,原住民の文化も引き上げられやがて感謝するようになるという意識.ヨーロッパでは被差別者であったシオニストも同じような意識を暗にもっているため,パレスチナ原住民のことは考えず行動してしまいます.その意識は同胞にも発揮され,イスラエル国内ではヨーロッパ(ドイツ,ポーランド,ロシア)出身者;アシュケナージ系は中東,アフリカ,スペインからのセファルディ系に対して優位にある気分でいます.
日本人も大東亜共栄圏で同じことをしていました.
(2)反ユダヤ主義 8
伝統的ユダヤ教徒とキリスト教徒は同じ神を戴きますが信仰は似て有らざる部分があると思います.自己洞察を欠くと自分に似て有らざるものには強烈な拒否反応が起きます.これは人間だれにでもある自己愛のせいではないでしょうか.ホロコーストを裏打ちする心理もそのようなものだと思います.ホロコーストはイスラエルへのユダヤ人の植民を促進しました.
日本人もアイヌ,朝鮮,中国の人々に同じことをしてきましたがその心理は自己愛に基づく“似てあらざるもの”への拒否反応ではないでしょうか.
(3)国際金融資本 9
国際金融資本は東欧で生じた無神論的宗教=シオニズムに投資し,ユダヤ教の大部分をも取り込み,伝統的ユダヤ教の認知度を下げることに寄与しました.国際金融資本は以下のように関わりました:
① ヘルツルがお金を背景にオスマントルコの庇護を得るべく交渉しました.
② 国際金融資本のロスチャイルド家がパレスチナの地を購入したことにしてイスラエル建国を促進.実際の購入面積はパレスチナの土地の数%程度です.全ての国土を不在地主から購入したとか,”民なき土地に,土地なき民を”というスローガンは実態からかけ離れたものです.
③ ロスチャイルド家がイギリスに融資する見返りにバルフォア宣言を獲得しました.オスマントルコの解体を見越してのものですが,“パレスチナに住んでいる人がいる”という事実をないがしろにしています.(この態度の裏には前述のヨーロッパの植民地主義の意識があります.)
④ ホロコーストを遂行していたナチが捕らえたユダヤ人男性のうち肉体的に頑健なものを選んでパレスチナへ差し向けました.国際金融資本はナチにも融資していたといわれています.
注意: 国際金融資本はよく“ユダヤ人”といわれますが,少なくとも超正統派やシオニストでないことは推察できます.超正統派の人は旧約聖書で利子をとることが禁止されていることから巨大銀行が危険なものであることを理解していますし,シオニストでないことは彼らがイスラエルに居住していないことからわかります.
私たちに何ができるか
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板垣塾は2009年に開催されましたが,その最終回での参加者の意見などを書いてみます:
① 直接的コミットをする:
情報収集 雑誌Days Japan(広河 隆一責任編集),Web ほくと未来ネットワーク(http://mirainet.exblog.jp/),ツイッター
イスラエル系企業の商品・サービスをボイコット
ミーダーン<パレスチナ対話のための広場>に参加(http://midan.exblog.jp/)
イスラエルのテロ行為反対や占領地区封鎖反対の署名参加(インターネットで行えるサイトもあります.検索してみてください.)
② 日本の足下をみる:
アイヌ,朝鮮,中国に行ってきたことを知る,考える.
現在もODAを介してフィリピンから植民地主義的搾取している現実を知る;高岩仁監督:教えられなかった戦争 フィリピン編 – 侵略・「開発」・抵抗 (映像文化協会:〒227-0061 横浜市青葉区桜台4-48 Tel. 045-981-0834 Fax. 045-981-0918 email: eizobunka@r5.dion.ne.jp);鶴見良行:バナナと日本人 : フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書,1982).
植民地的搾取を必要とする経済システムと宗教の関係について知る;お金を宗教の位置につければ有利子銀行システムにより国際支配が完遂する(国際金融資本の参考資料)が,その最大の障害は人間の良心(愛,慈悲),つまり,伝統的ユダヤ教やイスラームなどの宗教です.
謝辞
2009年に開催された八ヶ岳板垣塾では,板垣雄三先生が毎回の講義のほか,参加者に考えさせる議論の題材提供をして下さいました.また,数多くゲストをお連れ下さり直接お話を伺うことができました:イスラエルの内部事情をお話くださった臼杵陽先生,フォトジャーナリスト,映画「ガーダ」の監督であり,難民キャンプの日常生活を伝えてくださった古居みずえさん,ミーダーン<パレスチナ対話のための広場>代表者の田浪亜央江さんなど深くパレスチナ問題と関わっておられる方のお話を伺うことができました.板垣塾終了後にもヤコブ・Mラブキン先生が著作出版のため来日された時に交流会を開いて,伝統的ユダヤ教徒の方と直接お話をする貴重な機会をつくって下さいました.直接人と会ってお話を伺うことで本を読むだけでは得られない詳細を感知することができました.板垣先生とゲストの方々に深く感謝いたします.また,八ヶ岳板垣塾の企画運営をして下さった方々に深く感謝いたします.
付録:シオニストによるパレスチナ抑圧の歴史 10 11
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パレスチナ問題は,シオニストがパレスチナ住民から土地,生活手段,命を強奪した問題です.この事実をふまえて歴史をふりかえるとパレスチナ問題はそれほど難しい問題ではなく,人間の欲,高慢,無知の結果であることが理解できるのではないでしょうか.
この文書では煩雑さを避けるため歴史は最後に書かせてもらうことにしました.また,“ユダヤ人”ということばのかわりに“シオニスト”を使いました.“ユダヤ人とはなにか”という観念的問題に踏み込むと短い文書のなかで混乱を招くためです.この問題については参考文献5 12 をご参照ください.
19世紀終わりごろからシオニストたちはパレスチナの土地を購入して植民を行ってきました.
民主主義の体裁をとったシオニストの国をつくるためにはシオニストの人口比率を高める民族浄化が必要です.
1948年のナクバ(第1次中東戦争のはじまり)は“民主主義国家”イスラエルを建国する前処理としてシオニストの人口比率を一気にたかめる民族浄化のために計画・遂行されたものです(民主主義は人々の幸福の手段であるのに,目的と手段をはき違えています).エルサレム近くのディルヤースィン村などで徹底的に虐殺,土地収奪を行うことと,それを周辺に伝え恐怖心を引き起こすことでパレスチナ原住民を追放しました.難民はシリア,ヨルダン,レバノン,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区の難民キャンプで暮らすようになりました.ナクバ前の1946年に67%であったアラブ人の人口比率はナクバ後の1949年には13.6%まで小さくなりました12.パレスチナに住む東方キリスト教徒の人口もナクバ前後で減少しています.
1949年にはイスラエルの国連加盟が承認されます.パレスチナ難民に対して不公正な手段を使っての建国ですが,1947年の国連分割統治案(181決議;人口比率に対してイスラエル有利な案)すら逸脱したままです.
1967年の第3次中東戦争までは,被害者のパレスチナ人自身というよりエジプトを中心としたアラブ諸国(アラビア語を母国語とする人々の国)とイスラエルの戦争でした.イスラエルはエルサレムを奪取し,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区も占領地としました.同年,国連で占領地からの撤退を決議されますが応じません.イスラエル側の言い分はガザ地区,ヨルダン川西岸地区も占領地ではない,“神が授けた土地である”とのこと.
1969年,ゲリラの中心であるアラファトがPLOの議長となりパレスチナ人の民族意識が高まります.しかし,イギリスやスイスの旅客機を爆破するなど国際テロを戦術としたため,以後長い間,PLOはもとより“パレスチナ人はテロリストである“という汚名を着せられてしまいます.
1973年,エジプトのサダト大統領はシリアとの共同作戦のもとイスラエルに占領されているシナイ半島に侵攻しました(第4次中東戦争).国際社会を見方につけるため,アラブ側は石油の価格を上げる;アラブ友好国にしか石油を売らないという戦術を用いました.これが石油ショックです.しかし,そこまででイスラエルはシナイ半島を含む第3次中東戦争で得た占領地への入植をやめません.この段階でアラブの首長としてサダトは,“核兵器をも持つイスラエルの国を認めないわけにはいかない”という現実的判断に傾きます.
1978年,アメリカの仲介のもと,アラブの代表エジプトとイスラエルがキャンプデービッド合意に達します.それは,アラブ諸国がイスラエルの国を認めるかわりに,シナイ半島をエジプトに返還,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人に行政自治権を与えるというものです.一方,アラブ(イスラーム)社会にはサダトを裏切り者と見なすものもいて,サダトは暗殺されてしまいます.
1982年イスラエルはテロリスト掃討の大義のもと,アラファトの避難先レバノン(キリスト教国)に侵攻し無関係なベイルート市民に犠牲者がでました.そのため,アラファトとレバノンが反目することになり,レバノン民兵はサブラ,シャティーラ両難民キャンプで1500人あまりを無差別に虐殺しました.イスラエルはこの事件により,パレスチナ難民に対して“PLOに関わるな”,またアラブ諸国にたいして”“パレスチナ問題に関わるな”というメッセージを伝え,パレスチナ難民,PLO,アラブ諸国相互の分断工作を行ったと見なすことができます.
1987年アラブ諸国の協力も限界に達しつつあり,PLOも無力化されつつある中で,ガザ地区とヨルダン川西岸地区でインティファーダ(民衆蜂起)がはじまります.イスラエル軍の事故で4人のパレスチナ人が犠牲になったことに怒った18歳の少年がイスラエル軍に投石したところ,イスラエル軍はその少年を殺しました.これがインティファーダといわれる石つぶてを投げる抵抗運動の発端です.重装備のイスラエル軍に石つぶてで立ち向かう少年や若者のインティファーダの映像が世界に発信されると,パレスチナに関心・同情を持つ人が増え,“パレスチナ人はテロリストだ”という今までの世の中の見方が変わりました.
1988年PLOのアラファトは国連でイスラエルを国家として認め,テロ行為を放棄する旨演説をしました.これはインティファーダをきっかけにした国際世論の変化を鑑みてのものです.
1992年,アメリカの仲介でイスラエル,ラビン首相とPLOのアラファト議長の間でオスロ合意がなされます.イスラエルとPLOが互いの存在をみとめ,エルサレム帰属,難民帰還,入植地の処理を順次話し合って解決していく,というものです.
1994年,ヨルダン川西岸のヘブロンでシオニストがモスクで銃を乱射してパレスチナ人を虐殺する事件を起こします.また 1995年ラビン首相は暗殺されます.オスロ合意をパレスチナ側は平和がくると喜びましたが,シオニストの中にはこれを裏切りと見なすものがいたのです.
2000年,イスラエルのシャロンはムスリムの聖なる場所,アルアクサモスクに踏み込みました.これはラビンの後継のバラク首相が進める和平を阻止するための挑発行為です.それに応じて第2次インティファーダが起こります.一方,インティファーダにより国際世論が後押ししてくれると判断したアラファトは和平交渉で強気にでましたが,交渉がまとまる前,2001年にシャロンが首相の座につき,和平交渉は頓挫してしまいました.
和平を逃した後,シャロンの指揮のもと難民キャンプにはイスラエルの攻撃が仕掛けられ多くの犠牲者が出て,難民は絶望の経済状態,心理状態におかれることになります.自爆テロを仕掛けるパレスチナ人も増えてきます.
2002年,ヨルダン川西岸地区のジェニン難民キャンプでの虐殺,また,ヨルダン川西岸地区に分離壁を建設し出します.イスラエル側は,2001年の9.11事件でのレトリックを用いて“テロとの戦い”と主張しますが,圧倒的強者が生存を脅かされている弱者につかう言葉ではありません.
2003年パレスチナ自治政府に首相職をつくり,アッバスが就任.アメリカ,イスラエルの意図としてはアラファトの力を削いで交渉をする狙いがあります.パレスチナ人はこのことを知っており,アッバスの人気はありません.2004年,アラファトは死去します.
2006年には,“テロ掃討”と称してレバノン南部,ガザ地区に侵攻します.この年,パレスチナ自治政府の総選挙でアラファトの組織だったファタハを破り,ハマースが圧勝します.ハマースは“ムスリム同胞団”を背景にしたイスラームの組織で,弱者・犠牲者救済を手厚く行い,また,軍事部門では自爆テロも行います.民主的手続きで選ばれた政権ですが,ハマースにはテロ組織というレッテルが貼られています.自爆テロの行為については批判が多いのですが,肉親をイスラエルに殺され,働き口もない,弱者の絶望的な経済状態・心理状態が背景にあることを忘れてはならないと思います.
2008年,ガザ侵攻.テロの拠点を掃討するという名目のもとに行われました.これにより,ガザ地区の難民キャンプからエジプト側に逃げだすパレスチナ人が増えました.このごろでは,エジプトがこのような人々を忌避するために壁を建設しようとしています.イスラエルのアラブ陣営の分断工作ともいえるのではないでしょうか.
2010年(つい先頃),パレスチナへの救援物資をはこぶ船がイスラエルに公海上で襲撃され船員らが殺されるという事件も起きています.国際社会,またはボランティアに“パレスチナと関わるな”というメッセージを送るためのイスラエルのテロ行為といえるものです.
平和を願う山梨戦争展 2010.8.4 – 8 八ヶ岳板垣塾有志
パレスチナ問題は難しくない
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あなたの住んでいる街に突然,外国人が入ってきて武力により家や公共施設を破壊し,住民を殺し,立ち退くよう強要したらどうでしょうか.あなたは仕方なく立ち退き,難民となるかもしれません.また,当面降参して相手のもとで生活し,やがて抵抗運動に参加するかもしれません.
1948年のナクバ1(大災厄;イスラエル建国を被害者側はこういいます)はまさにそのようなものでした.“イスラエル側が加害者,パレスチナ原住民側は被害者”です.人間の良心に照らせばこの関係は明確なもので,パレスチナ問題は,シオニストがパレスチナ住民から土地,生活手段,命を強奪した問題です.そしてそれは現在も続いています.
ここではナクバ以降のパレスチナ人の災厄とそれをもたらす原因について情報源とともに記します.もし,あなたが中高生であるなら参考文献10から読み始めるとよいと思います.
パレスチナ人の生活 2 3
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1948年のナクバはシオニストが軍隊を使ってエルサレム近くのディルヤースィン村などで徹底的に虐殺・土地収奪を行うことと,それを周辺に伝え恐怖心を引き起こすことでパレスチナ原住民を追放したものです.逃れた人々はシリア,ヨルダン,レバノン,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区の難民キャンプで暮らすようになります.一方,イスラエル側にとどまって二級市民扱いの中で暮らすパレスチナ人もいます.
ガザやヨルダン川西岸は本来イスラエルの土地ではないにも拘わらず,占領地として入植が進められています.そこで暮らすパレスチナ人は雇用がなく,イスラエル側に出稼ぎに行き3Kの仕事をして賃金を得るなどしています.ヨルダン川西岸の分離壁(ロケット弾や自爆のテロ防止の名目で建設されるが,実質パレスチナ人の閉じこめるために使われている)ですらパレスチナの労働者が建設するというほどの困窮がパレスチナ人にあります. 難民キャンプの生活は国連パレスチナ難民救済事業団の援助物資なくしては成り立ちません.イスラエルによる封鎖という懲罰がなされると,出稼ぎにもいけず,食糧,医薬品などが途絶えます.
住む土地と生活手段,場合によっては家族を奪われた難民の抵抗は自然権といってもよいものです.手段として,商店のスト(イスラエル人との経済的交渉を小さくする),インティファーダ(イスラエル兵に石つぶてを投げる抵抗運動)があります.ロケット弾を打ち込むとか,なかには,絶望の中から自爆テロを志すものも出てきますが,主たる手段はインティファーダです.インティファーダは1987年にはじまりました.重装備のイスラエル軍に投石で対抗するパレスチナの少年や若者の姿が世界に発信され,“パレスチナ人はテロリストだ”という以前の国際世論をあらためさせた力を持っています.インティファーダは,さまざまな組織(ファタハ,パレスチナ共産党,ハマース,イスラーム・ジハードなど)に支えられ,女性も犠牲者の世話など社会参加の機会が増えました.一方,若い男性が戦いに集中できるよう女性の身だしなみを地味にすることが奨励されています.イスラエル軍に追われた少年や青年は皆でかくまいます.
ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人はおとなでもおねしょをする恐怖にさらされていますが,それでも毎日服装を整える,親を失った小さな子の世話を大家族でみるなどをして暮らしています.精神的支えは相互扶助,公共の精神のバックボーンであるイスラームの教えではないでしょうか.
イスラエル側の手段は多様です;外出禁止令,行政逮捕(理由不要,裁判不要),行政逮捕者を刑務所に送り拷問(場合によっては精神に異常をきたすまで行う),居住地逮捕(住んでいるところから出てはいけない),逮捕経験者にグリーンの身分証明書を発行(運動家というレッテルを貼る),催涙弾を学校や民家に投入(老人や乳幼児の命はこれで奪われます),経済封鎖などです.さらに,ロケット弾や自爆テロへの対策と称してガザ,ヨルダン川西岸,ときには周辺諸国を侵攻・爆撃して住居破壊,無差別殺戮を行います.
このようなイスラエルのやり方は,本来のユダヤ教に合致するものではなく,根本はユダヤ教のフェイクであるシオニズムという無神論的宗教とそれを支えるものにあります.それをみていきましょう.
伝統的ユダヤ教を知ろう 4 5
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以下のような主張をする人々のことを聞いたことはありませんか:
現存のイスラエルという国は偶像である:神の国の成立は神のみがなせること.
良心的兵役拒否:他者を傷つけることは神の意志に反する.
これは以下のような伝統的ユダヤ教徒の信仰に基づくものです:
①自分たちは自分たちの罪のため流謫の民でいる: 国をもたずに,他者と平和共存する.
②自己反省を欠かさない:“自分に振り下ろされた棒を持つ手は自らの手である“たとえば,ショアー(ホロコースト)に対しても,“シオニズムに対する神の罰がくだったのだ“と考えます.
注意深く神と自己を洞察するこのような信仰は今や“超正統派”とラベルされ特殊な感じがしますが,こちらが伝統的ユダヤ教です.イスラエル国内でも,神秘主義系とあわせて20%の人口がおり,ネトレイ・カルタがラビを戴いて活動しています.また,政党としてはシャス党があります.
シオニズムを知ろう
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その成立は1882年の帝政ロシアによるユダヤ人虐殺(ポグロム)に耐えかねて伝統的なユダヤ教の信仰を忌避し逃げ場を求めたものです.もともとは弱い立場の人間の生存のためだったのです.行く末は別として…
シオニズムは“神は存在しないがイスラエルの地は神がユダヤ人に授けたものである”ということばのとおり,神を戴く宗教ではなく無神論的宗教です.ヘルツルが提唱したシオニズムは当初,社会主義として実践された点からも無神論であることが理解できます.当時の植民地の候補はパレスチナの他,アルゼンチンやアメリカもありました.パレスチナが選ばれたのは“神が授けた”からではなく,シオニストがオスマントルコやヨーロッパの庇護をうけるための政治的判断です6.国際金融資本の金銭的バックアップもあり今やユダヤ教の大きな部分がシオニズムを否定しなくなっています.
みなさんは,ユダヤ教徒はあたかも選民意識=エゴが強く自分の利益しか考えない,という印象を持たれているかもしれません.それは伝統的ユダヤ教徒ではなく,新興宗教の人々:シオニストであることに注意しましょう.
なぜいままで明かされなかったのか?
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伝統的ユダヤ教とシオニズムの違いは参考文献4に詳しくかかれていますが,なぜいままで日本人に知られなかったのでしょうか.
伝統的ユダヤ教徒は他人の悪口を控えます.日本人とよく似ているかもしれません.これは自分の責任に気づかず他人の中に原因をさがすことを避けるためでしょう.伝統的ユダヤ教徒のシオニズムに対しての批判は強いものですが,それを当事者以外に向けて発信する機会と報道が少ないせいだと思います.参考文献4の著者は伝統的ユダヤ教徒ですが注意深く抑制的にシオニズム批判を書いています.
シオニズムとイスラエルを支えるもの
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(0)人々の無知
世界の人々が伝統的ユダヤ教徒とシオニズムを区別するだけでも大きな認識の違いに至ると思います.正しい情報は積極的に自分で入手せねばなりません.この展示でご紹介する本を図書館などで手にとってみられることを願っています.
(1)ヨーロッパ帝国/植民地主義 7
ヨーロッパの文化は優れていて植民をしてそれを世界に伝える,原住民の文化も引き上げられやがて感謝するようになるという意識.ヨーロッパでは被差別者であったシオニストも同じような意識を暗にもっているため,パレスチナ原住民のことは考えず行動してしまいます.その意識は同胞にも発揮され,イスラエル国内ではヨーロッパ(ドイツ,ポーランド,ロシア)出身者;アシュケナージ系は中東,アフリカ,スペインからのセファルディ系に対して優位にある気分でいます.
日本人も大東亜共栄圏で同じことをしていました.
(2)反ユダヤ主義 8
伝統的ユダヤ教徒とキリスト教徒は同じ神を戴きますが信仰は似て有らざる部分があると思います.自己洞察を欠くと自分に似て有らざるものには強烈な拒否反応が起きます.これは人間だれにでもある自己愛のせいではないでしょうか.ホロコーストを裏打ちする心理もそのようなものだと思います.ホロコーストはイスラエルへのユダヤ人の植民を促進しました.
日本人もアイヌ,朝鮮,中国の人々に同じことをしてきましたがその心理は自己愛に基づく“似てあらざるもの”への拒否反応ではないでしょうか.
(3)国際金融資本 9
国際金融資本は東欧で生じた無神論的宗教=シオニズムに投資し,ユダヤ教の大部分をも取り込み,伝統的ユダヤ教の認知度を下げることに寄与しました.国際金融資本は以下のように関わりました:
① ヘルツルがお金を背景にオスマントルコの庇護を得るべく交渉しました.
② 国際金融資本のロスチャイルド家がパレスチナの地を購入したことにしてイスラエル建国を促進.実際の購入面積はパレスチナの土地の数%程度です.全ての国土を不在地主から購入したとか,”民なき土地に,土地なき民を”というスローガンは実態からかけ離れたものです.
③ ロスチャイルド家がイギリスに融資する見返りにバルフォア宣言を獲得しました.オスマントルコの解体を見越してのものですが,“パレスチナに住んでいる人がいる”という事実をないがしろにしています.(この態度の裏には前述のヨーロッパの植民地主義の意識があります.)
④ ホロコーストを遂行していたナチが捕らえたユダヤ人男性のうち肉体的に頑健なものを選んでパレスチナへ差し向けました.国際金融資本はナチにも融資していたといわれています.
注意: 国際金融資本はよく“ユダヤ人”といわれますが,少なくとも超正統派やシオニストでないことは推察できます.超正統派の人は旧約聖書で利子をとることが禁止されていることから巨大銀行が危険なものであることを理解していますし,シオニストでないことは彼らがイスラエルに居住していないことからわかります.
私たちに何ができるか
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板垣塾は2009年に開催されましたが,その最終回での参加者の意見などを書いてみます:
① 直接的コミットをする:
情報収集 雑誌Days Japan(広河 隆一責任編集),Web ほくと未来ネットワーク(http://mirainet.exblog.jp/),ツイッター
イスラエル系企業の商品・サービスをボイコット
ミーダーン<パレスチナ対話のための広場>に参加(http://midan.exblog.jp/)
イスラエルのテロ行為反対や占領地区封鎖反対の署名参加(インターネットで行えるサイトもあります.検索してみてください.)
② 日本の足下をみる:
アイヌ,朝鮮,中国に行ってきたことを知る,考える.
現在もODAを介してフィリピンから植民地主義的搾取している現実を知る;高岩仁監督:教えられなかった戦争 フィリピン編 – 侵略・「開発」・抵抗 (映像文化協会:〒227-0061 横浜市青葉区桜台4-48 Tel. 045-981-0834 Fax. 045-981-0918 email: eizobunka@r5.dion.ne.jp);鶴見良行:バナナと日本人 : フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書,1982).
植民地的搾取を必要とする経済システムと宗教の関係について知る;お金を宗教の位置につければ有利子銀行システムにより国際支配が完遂する(国際金融資本の参考資料)が,その最大の障害は人間の良心(愛,慈悲),つまり,伝統的ユダヤ教やイスラームなどの宗教です.
謝辞
2009年に開催された八ヶ岳板垣塾では,板垣雄三先生が毎回の講義のほか,参加者に考えさせる議論の題材提供をして下さいました.また,数多くゲストをお連れ下さり直接お話を伺うことができました:イスラエルの内部事情をお話くださった臼杵陽先生,フォトジャーナリスト,映画「ガーダ」の監督であり,難民キャンプの日常生活を伝えてくださった古居みずえさん,ミーダーン<パレスチナ対話のための広場>代表者の田浪亜央江さんなど深くパレスチナ問題と関わっておられる方のお話を伺うことができました.板垣塾終了後にもヤコブ・Mラブキン先生が著作出版のため来日された時に交流会を開いて,伝統的ユダヤ教徒の方と直接お話をする貴重な機会をつくって下さいました.直接人と会ってお話を伺うことで本を読むだけでは得られない詳細を感知することができました.板垣先生とゲストの方々に深く感謝いたします.また,八ヶ岳板垣塾の企画運営をして下さった方々に深く感謝いたします.
付録:シオニストによるパレスチナ抑圧の歴史 10 11
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パレスチナ問題は,シオニストがパレスチナ住民から土地,生活手段,命を強奪した問題です.この事実をふまえて歴史をふりかえるとパレスチナ問題はそれほど難しい問題ではなく,人間の欲,高慢,無知の結果であることが理解できるのではないでしょうか.
この文書では煩雑さを避けるため歴史は最後に書かせてもらうことにしました.また,“ユダヤ人”ということばのかわりに“シオニスト”を使いました.“ユダヤ人とはなにか”という観念的問題に踏み込むと短い文書のなかで混乱を招くためです.この問題については参考文献5 12 をご参照ください.
19世紀終わりごろからシオニストたちはパレスチナの土地を購入して植民を行ってきました.
民主主義の体裁をとったシオニストの国をつくるためにはシオニストの人口比率を高める民族浄化が必要です.
1948年のナクバ(第1次中東戦争のはじまり)は“民主主義国家”イスラエルを建国する前処理としてシオニストの人口比率を一気にたかめる民族浄化のために計画・遂行されたものです(民主主義は人々の幸福の手段であるのに,目的と手段をはき違えています).エルサレム近くのディルヤースィン村などで徹底的に虐殺,土地収奪を行うことと,それを周辺に伝え恐怖心を引き起こすことでパレスチナ原住民を追放しました.難民はシリア,ヨルダン,レバノン,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区の難民キャンプで暮らすようになりました.ナクバ前の1946年に67%であったアラブ人の人口比率はナクバ後の1949年には13.6%まで小さくなりました12.パレスチナに住む東方キリスト教徒の人口もナクバ前後で減少しています.
1949年にはイスラエルの国連加盟が承認されます.パレスチナ難民に対して不公正な手段を使っての建国ですが,1947年の国連分割統治案(181決議;人口比率に対してイスラエル有利な案)すら逸脱したままです.
1967年の第3次中東戦争までは,被害者のパレスチナ人自身というよりエジプトを中心としたアラブ諸国(アラビア語を母国語とする人々の国)とイスラエルの戦争でした.イスラエルはエルサレムを奪取し,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区も占領地としました.同年,国連で占領地からの撤退を決議されますが応じません.イスラエル側の言い分はガザ地区,ヨルダン川西岸地区も占領地ではない,“神が授けた土地である”とのこと.
1969年,ゲリラの中心であるアラファトがPLOの議長となりパレスチナ人の民族意識が高まります.しかし,イギリスやスイスの旅客機を爆破するなど国際テロを戦術としたため,以後長い間,PLOはもとより“パレスチナ人はテロリストである“という汚名を着せられてしまいます.
1973年,エジプトのサダト大統領はシリアとの共同作戦のもとイスラエルに占領されているシナイ半島に侵攻しました(第4次中東戦争).国際社会を見方につけるため,アラブ側は石油の価格を上げる;アラブ友好国にしか石油を売らないという戦術を用いました.これが石油ショックです.しかし,そこまででイスラエルはシナイ半島を含む第3次中東戦争で得た占領地への入植をやめません.この段階でアラブの首長としてサダトは,“核兵器をも持つイスラエルの国を認めないわけにはいかない”という現実的判断に傾きます.
1978年,アメリカの仲介のもと,アラブの代表エジプトとイスラエルがキャンプデービッド合意に達します.それは,アラブ諸国がイスラエルの国を認めるかわりに,シナイ半島をエジプトに返還,ガザ地区,ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人に行政自治権を与えるというものです.一方,アラブ(イスラーム)社会にはサダトを裏切り者と見なすものもいて,サダトは暗殺されてしまいます.
1982年イスラエルはテロリスト掃討の大義のもと,アラファトの避難先レバノン(キリスト教国)に侵攻し無関係なベイルート市民に犠牲者がでました.そのため,アラファトとレバノンが反目することになり,レバノン民兵はサブラ,シャティーラ両難民キャンプで1500人あまりを無差別に虐殺しました.イスラエルはこの事件により,パレスチナ難民に対して“PLOに関わるな”,またアラブ諸国にたいして”“パレスチナ問題に関わるな”というメッセージを伝え,パレスチナ難民,PLO,アラブ諸国相互の分断工作を行ったと見なすことができます.
1987年アラブ諸国の協力も限界に達しつつあり,PLOも無力化されつつある中で,ガザ地区とヨルダン川西岸地区でインティファーダ(民衆蜂起)がはじまります.イスラエル軍の事故で4人のパレスチナ人が犠牲になったことに怒った18歳の少年がイスラエル軍に投石したところ,イスラエル軍はその少年を殺しました.これがインティファーダといわれる石つぶてを投げる抵抗運動の発端です.重装備のイスラエル軍に石つぶてで立ち向かう少年や若者のインティファーダの映像が世界に発信されると,パレスチナに関心・同情を持つ人が増え,“パレスチナ人はテロリストだ”という今までの世の中の見方が変わりました.
1988年PLOのアラファトは国連でイスラエルを国家として認め,テロ行為を放棄する旨演説をしました.これはインティファーダをきっかけにした国際世論の変化を鑑みてのものです.
1992年,アメリカの仲介でイスラエル,ラビン首相とPLOのアラファト議長の間でオスロ合意がなされます.イスラエルとPLOが互いの存在をみとめ,エルサレム帰属,難民帰還,入植地の処理を順次話し合って解決していく,というものです.
1994年,ヨルダン川西岸のヘブロンでシオニストがモスクで銃を乱射してパレスチナ人を虐殺する事件を起こします.また 1995年ラビン首相は暗殺されます.オスロ合意をパレスチナ側は平和がくると喜びましたが,シオニストの中にはこれを裏切りと見なすものがいたのです.
2000年,イスラエルのシャロンはムスリムの聖なる場所,アルアクサモスクに踏み込みました.これはラビンの後継のバラク首相が進める和平を阻止するための挑発行為です.それに応じて第2次インティファーダが起こります.一方,インティファーダにより国際世論が後押ししてくれると判断したアラファトは和平交渉で強気にでましたが,交渉がまとまる前,2001年にシャロンが首相の座につき,和平交渉は頓挫してしまいました.
和平を逃した後,シャロンの指揮のもと難民キャンプにはイスラエルの攻撃が仕掛けられ多くの犠牲者が出て,難民は絶望の経済状態,心理状態におかれることになります.自爆テロを仕掛けるパレスチナ人も増えてきます.
2002年,ヨルダン川西岸地区のジェニン難民キャンプでの虐殺,また,ヨルダン川西岸地区に分離壁を建設し出します.イスラエル側は,2001年の9.11事件でのレトリックを用いて“テロとの戦い”と主張しますが,圧倒的強者が生存を脅かされている弱者につかう言葉ではありません.
2003年パレスチナ自治政府に首相職をつくり,アッバスが就任.アメリカ,イスラエルの意図としてはアラファトの力を削いで交渉をする狙いがあります.パレスチナ人はこのことを知っており,アッバスの人気はありません.2004年,アラファトは死去します.
2006年には,“テロ掃討”と称してレバノン南部,ガザ地区に侵攻します.この年,パレスチナ自治政府の総選挙でアラファトの組織だったファタハを破り,ハマースが圧勝します.ハマースは“ムスリム同胞団”を背景にしたイスラームの組織で,弱者・犠牲者救済を手厚く行い,また,軍事部門では自爆テロも行います.民主的手続きで選ばれた政権ですが,ハマースにはテロ組織というレッテルが貼られています.自爆テロの行為については批判が多いのですが,肉親をイスラエルに殺され,働き口もない,弱者の絶望的な経済状態・心理状態が背景にあることを忘れてはならないと思います.
2008年,ガザ侵攻.テロの拠点を掃討するという名目のもとに行われました.これにより,ガザ地区の難民キャンプからエジプト側に逃げだすパレスチナ人が増えました.このごろでは,エジプトがこのような人々を忌避するために壁を建設しようとしています.イスラエルのアラブ陣営の分断工作ともいえるのではないでしょうか.
2010年(つい先頃),パレスチナへの救援物資をはこぶ船がイスラエルに公海上で襲撃され船員らが殺されるという事件も起きています.国際社会,またはボランティアに“パレスチナと関わるな”というメッセージを送るためのイスラエルのテロ行為といえるものです.
by halunet
| 2010-08-05 21:18
| パレスチナの平和