2010年 04月 13日
「蘇るC・H・ダグラス」への疑問をいくつか |
4/3掲載の藤沢雄一郎さんのエッセイ「蘇るC・H・ダグラス」に強力な批判が送られてきました。ちょっと躊躇するところもありますが、ボクの判断で(書いたBILさんの了解もあってですが)掲載することにしました。ベーシックインカム論議と信用創造論(貨幣論)の混線をちょっと整理するのに役立つのでは、と思います。
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■から■までが藤沢さんの文章です。(長いところを簡略化した部分もあります)
■ ダグラスは企業会計を調べている内に近代経済の矛盾に気づき、解決策を考えた。現在でもその理論は充分通用するし、理論的・系統的な批判は知らない。エンジニアらしくマクロ経済をシステムとして捕らえている。■
理論的・系統的な批判はたくさんあります。藤沢さんが知らないだけです。
ただし、「マクロ経済をシステムとして捕らえている」というのは重要な指摘で、今の経済学に決定的に欠けています。
■ 近代経済の根本的な問題。
<②> 企業会計。
(「企業利益」は割合では意外に少なく、無視して考えている)。
「人件費」=人々の所得に繋がる労賃や報酬・配当など。
「諸経費」=原材料費や設備投資・研究開発や利払いなどの経費。
この会計はあらゆる企業に当てはまるから、『雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能』。■
『雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能』には全面的に賛成します。僕もずっとそのことを考えてきましたが、経済全体の中でどういう意味を持つのか? 残念ですが、まだよく分かりません。
ただし、A社が支払った原材料費はB社の売上げとなり、その一定部分は労賃になります。
あえて言えば、ダグラスが無視しているらしい「企業利益」が購買力に結びつかないと思います。
そして、一番大きいのが「貯蓄」です。企業がすべての貯蓄を借りて(設備)投資に回さない限り、生産されたモノやサービスの一部は売れ残ります。これこそケインズが最も重要視したものです。
■ ・・・・下請け企業も銀行マネーで運営しているから最終製品の価格には莫大な利子がつくことになる。『価格の3分の1から半分は利子であると言われている』。■
個人と企業の付加価値はほぼGDPに相当し、政府が「国民経済計算」として発表しています。(古山さんは日本経済を知るにはこれを調べなくてはと思い、厚くて重い年鑑を買いました)。
また、法人企業統計にも企業の利払い費用が載っています。その額は金利が高かった1990年代初めは30兆円くらい、最近は超低金利のため10兆円くらいです。(よって、企業には20兆円ものコストダウンになっています)。
家計(個人企業を含む)の住宅ローンなどの金利支払いは今は5兆円程度です。
(家計の「利子受取-利子支払い=純受取」は、1990年代初めは「38-22=15兆円」でしたが、最近は「5-14=▼9兆円」と、何と大きなマイナス、すなわち、支払い超過になっています)。
日本の企業の売上高は約1.500兆円なので、『価格の3分の1から半分は利子であると言われている』の根拠が分かりません。価格でなく、「付加価値の3分の1」としても、分かりません。
ここまで思い込みで書かれると、これから先を読む気がなくなります。
「国民配当という解決法」
■ 設備投資や研究開発、原材料や部品などは国民が幾世代も営々と築いてきた「共有財産」とみなし、人々はその配当を受ける権利がある。■
いいですね。素晴らしい考え方だと思います。
■ (2) パブリック・カレンシー(公共通貨)
現代は利子付き銀行マネーによって動く負債経済であり、社会全体が負債に覆われてしまう。しかし、逆に考えれば、『国が信用創造と通貨発行の権限を取り戻しさえすれば、簡単に問題は解決してしまう』。
戦前に高橋是清がやった「国債の日銀直接引き受け」は実質的には「国による貨幣発行」と同じである。これによって世界で最も早く恐慌から脱することができた。ダグラスも自分の考えた公共通貨と似ていると言ったそうである。
また、ドイツのシャハト国立銀行総裁は「労働財務証券という政府通貨」を発行して3年で、『破綻していたドイツ経済を西欧最強にした』。
「国民配当」や「国の信用創造による企業への融資」は、それによって生産される財が国民によって消費されることで、企業から国立銀行に戻り循環するので、インフレの心配はない。さらに、『ほとんど利子なしで融資されるので製品価格は半値近くになる可能性もある』。■
論理的に何を言いたいのか僕には理解できません。あえて推論すると、「政府通貨を出せば、誰も借金を負わないし、不況はなくなる」ということでしょうか。
なんというか、結論が先にあって、その結論を言うために、いろいろなところから都合のいい話を持ってきている、という印象です。
■ (3) 適正価格
国民配当だけでは生産と消費のバランスが取れない場合、すべての製品やサービスを一律に割り引く制度である。小売店に割り引いた分の代金を国立銀行が直接支払う。古典経済では、需要と供給のバランスにより、市場で自動的に価格が決まるが、近代工業化経済においては、人件費や諸経費により、正当な価格はかなり高く固定的になる。そこで「国が一律に割り引く」という発想ではなかろうか。■
昨年の関広野さんの講演で、僕が全く分からなかったところです。やはり、これに対して質問した人がいましたが、関さんは「大丈夫、うまくいきます」と言うだけで、ちゃんとした説明をしてくれませんでした。
■ 以上がダグラスのマクロ経済の改革案である。今でも基本的には通用する理論であろう。『ケインズ経済のユニークな所はほとんどこのダグラスの理論から導いたものではなかろうか』 ■
とにかく信じられない見解です。どこに書いてあるのか教えて欲しいです。ここまで思いつきで書かれていると、全部が思いつきで書かれていると思われて、せっかくの藤沢さんの良い部分が色あせてしまいます。
■ 『通貨と信用創造を公共制度とすると、財源の問題は全くなくなる』。財政規律とか歳入・歳出といった言葉は無意味になる。デフレ・インフレ規律が主要な論点となるから、極言すれば、「無限の財源がある」のだから、国民配当は言うに及ばず、その他の政策も公共通貨で行うことができるので、財務省や各省庁に政治家や国会が牛耳られることもなくなる。教育や医療・福祉の無料化も充分可能であるし、将来の不安が少なくなれば、貯蓄や投資から消費へとマネーの使われ方は替わる。さらには、わずかな利子により、税金を基本的に廃止することもできるだろう。デフレ不況時の徴税や公共料金の値上げは人々から購買力を奪う愚かでマクロ経済オンチがすることである。■
財政規律=デフレ・インフレ規律、なのですが・・・・。
こんな発想で公共通貨を出したら、アルゼンチンのペロン政権のように、豊かだった国をいっぺんに混乱させるでしょう。
『国家』が通貨を出せるならば、財源の問題がなくなるのは当然です。(領主のそういった勝手な行動をチェックするために民主主義は生まれました)。
しかし、どれだけ出すかをどう決めるか・・・・・たとえば世界で最も民主的な北欧の政府であっても、非常に難しい問題です。出しすぎれば、「通貨の信用」がなくなる、すなわちインフレになりますから。
マクロ経済のイロハを無視して、「マクロ経済を知らない政治家は不要になる」と書いたのでは、苦笑されるだけでしょう。(BIL)
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■から■までが藤沢さんの文章です。(長いところを簡略化した部分もあります)
■ ダグラスは企業会計を調べている内に近代経済の矛盾に気づき、解決策を考えた。現在でもその理論は充分通用するし、理論的・系統的な批判は知らない。エンジニアらしくマクロ経済をシステムとして捕らえている。■
理論的・系統的な批判はたくさんあります。藤沢さんが知らないだけです。
ただし、「マクロ経済をシステムとして捕らえている」というのは重要な指摘で、今の経済学に決定的に欠けています。
■ 近代経済の根本的な問題。
<②> 企業会計。
(「企業利益」は割合では意外に少なく、無視して考えている)。
「人件費」=人々の所得に繋がる労賃や報酬・配当など。
「諸経費」=原材料費や設備投資・研究開発や利払いなどの経費。
この会計はあらゆる企業に当てはまるから、『雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能』。■
『雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能』には全面的に賛成します。僕もずっとそのことを考えてきましたが、経済全体の中でどういう意味を持つのか? 残念ですが、まだよく分かりません。
ただし、A社が支払った原材料費はB社の売上げとなり、その一定部分は労賃になります。
あえて言えば、ダグラスが無視しているらしい「企業利益」が購買力に結びつかないと思います。
そして、一番大きいのが「貯蓄」です。企業がすべての貯蓄を借りて(設備)投資に回さない限り、生産されたモノやサービスの一部は売れ残ります。これこそケインズが最も重要視したものです。
■ ・・・・下請け企業も銀行マネーで運営しているから最終製品の価格には莫大な利子がつくことになる。『価格の3分の1から半分は利子であると言われている』。■
個人と企業の付加価値はほぼGDPに相当し、政府が「国民経済計算」として発表しています。(古山さんは日本経済を知るにはこれを調べなくてはと思い、厚くて重い年鑑を買いました)。
また、法人企業統計にも企業の利払い費用が載っています。その額は金利が高かった1990年代初めは30兆円くらい、最近は超低金利のため10兆円くらいです。(よって、企業には20兆円ものコストダウンになっています)。
家計(個人企業を含む)の住宅ローンなどの金利支払いは今は5兆円程度です。
(家計の「利子受取-利子支払い=純受取」は、1990年代初めは「38-22=15兆円」でしたが、最近は「5-14=▼9兆円」と、何と大きなマイナス、すなわち、支払い超過になっています)。
日本の企業の売上高は約1.500兆円なので、『価格の3分の1から半分は利子であると言われている』の根拠が分かりません。価格でなく、「付加価値の3分の1」としても、分かりません。
ここまで思い込みで書かれると、これから先を読む気がなくなります。
「国民配当という解決法」
■ 設備投資や研究開発、原材料や部品などは国民が幾世代も営々と築いてきた「共有財産」とみなし、人々はその配当を受ける権利がある。■
いいですね。素晴らしい考え方だと思います。
■ (2) パブリック・カレンシー(公共通貨)
現代は利子付き銀行マネーによって動く負債経済であり、社会全体が負債に覆われてしまう。しかし、逆に考えれば、『国が信用創造と通貨発行の権限を取り戻しさえすれば、簡単に問題は解決してしまう』。
戦前に高橋是清がやった「国債の日銀直接引き受け」は実質的には「国による貨幣発行」と同じである。これによって世界で最も早く恐慌から脱することができた。ダグラスも自分の考えた公共通貨と似ていると言ったそうである。
また、ドイツのシャハト国立銀行総裁は「労働財務証券という政府通貨」を発行して3年で、『破綻していたドイツ経済を西欧最強にした』。
「国民配当」や「国の信用創造による企業への融資」は、それによって生産される財が国民によって消費されることで、企業から国立銀行に戻り循環するので、インフレの心配はない。さらに、『ほとんど利子なしで融資されるので製品価格は半値近くになる可能性もある』。■
論理的に何を言いたいのか僕には理解できません。あえて推論すると、「政府通貨を出せば、誰も借金を負わないし、不況はなくなる」ということでしょうか。
なんというか、結論が先にあって、その結論を言うために、いろいろなところから都合のいい話を持ってきている、という印象です。
■ (3) 適正価格
国民配当だけでは生産と消費のバランスが取れない場合、すべての製品やサービスを一律に割り引く制度である。小売店に割り引いた分の代金を国立銀行が直接支払う。古典経済では、需要と供給のバランスにより、市場で自動的に価格が決まるが、近代工業化経済においては、人件費や諸経費により、正当な価格はかなり高く固定的になる。そこで「国が一律に割り引く」という発想ではなかろうか。■
昨年の関広野さんの講演で、僕が全く分からなかったところです。やはり、これに対して質問した人がいましたが、関さんは「大丈夫、うまくいきます」と言うだけで、ちゃんとした説明をしてくれませんでした。
■ 以上がダグラスのマクロ経済の改革案である。今でも基本的には通用する理論であろう。『ケインズ経済のユニークな所はほとんどこのダグラスの理論から導いたものではなかろうか』 ■
とにかく信じられない見解です。どこに書いてあるのか教えて欲しいです。ここまで思いつきで書かれていると、全部が思いつきで書かれていると思われて、せっかくの藤沢さんの良い部分が色あせてしまいます。
■ 『通貨と信用創造を公共制度とすると、財源の問題は全くなくなる』。財政規律とか歳入・歳出といった言葉は無意味になる。デフレ・インフレ規律が主要な論点となるから、極言すれば、「無限の財源がある」のだから、国民配当は言うに及ばず、その他の政策も公共通貨で行うことができるので、財務省や各省庁に政治家や国会が牛耳られることもなくなる。教育や医療・福祉の無料化も充分可能であるし、将来の不安が少なくなれば、貯蓄や投資から消費へとマネーの使われ方は替わる。さらには、わずかな利子により、税金を基本的に廃止することもできるだろう。デフレ不況時の徴税や公共料金の値上げは人々から購買力を奪う愚かでマクロ経済オンチがすることである。■
財政規律=デフレ・インフレ規律、なのですが・・・・。
こんな発想で公共通貨を出したら、アルゼンチンのペロン政権のように、豊かだった国をいっぺんに混乱させるでしょう。
『国家』が通貨を出せるならば、財源の問題がなくなるのは当然です。(領主のそういった勝手な行動をチェックするために民主主義は生まれました)。
しかし、どれだけ出すかをどう決めるか・・・・・たとえば世界で最も民主的な北欧の政府であっても、非常に難しい問題です。出しすぎれば、「通貨の信用」がなくなる、すなわちインフレになりますから。
マクロ経済のイロハを無視して、「マクロ経済を知らない政治家は不要になる」と書いたのでは、苦笑されるだけでしょう。(BIL)
by halunet
| 2010-04-13 20:37
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