2010年 03月 30日
BIJN設立集会で思ったこと〜不信と恐れからの解放 |
久松重光
ベーシック・インカム日本ネットワーク(BIJN)設立集会に参加するために、京都に行って来ました。青春18切符を駆使し、一泊2500円のゲストハウスに泊まり、夜は無料のおいしい食事にもありつけ、とてもエコノミカルな旅でした。20日の日は、雪かと思えば、陽が差し、そうかと思えば、ぱらぱらと小雨が降ったり、ころころ変わる肌寒い陽気でしたが、次の日からは、晴天にも恵まれ、桜の花もほころび始め、日曜日には40年ぶりに奈良まで見物できて楽しい旅でした。久しぶりに見る京都や奈良は、何十年も前に訪れた同じ場所とは思えないほど変貌を遂げ、僕の記憶に残る昔日の佇まいは行き場を失い、まさに光陰矢の如しの感を深くしました。
さて本題のベーシック・インカム日本ネットワーク設立集会は400人もの老若男女が集い、講演やらシンポジウムやら分科会やらで、随分活気のある面白いものでした。その講演の内容は、あほねんさんという方が、ブログに書いてくれていますから、そちらをご覧ください。
http://www.hyocom.jp/blog/blog.php?key=126132
僕は、常々どんな経緯を経て、ブラジルでBIが憲法にまで盛り込まれたのだろうか、と不思議に思っていましたので、世界ベーシック・インカム・ネットワーク議長のガイ・スタンディングさんが、涙が出てしまうかもしれないと言い添えながら、語ってくれたブラジルでのBI導入までのエピソードは、とりわけ興味深いものでした。はじめブラジルで、BIを紹介した時には、ほとんどの人が、《それは不可能なことだ》と思っていたそうです。その中で、障害者でもある、ある街の女性の市長さんが、強くBIを支持してくれて、BIの思想の普及に努めてくれた
そうです。ところが、その女性の市長さんは右翼の凶弾に倒れ、その夢は費えたかに見えましたが、それから10年後、彼女の夢は、多くの人の夢となり、憲法にまで盛り込まれることになったそうです。ブラジルにおけるBI受容までの前史をお聞きし、彼女もまたBIに「道」を見出だした人のように思いました。
長いこと、経済成長という脅迫観念に突き動かされ、ワーカホリックが習性となってしまった現代の日本人にとっても、BIの思想を受け入れることは、そんなに容易いことではないのかもしれません。ベーシック・インカムといえば、それが実現した社会をイメージするより先に、財源のことを考えてしまうのも、現代日本人に条件付けられた思考パターンの現れなのかもしれません。また反対論者の口からすぐ漏れてくる「フリー・ライダー」論は、実は自由への「恐れ」なのかもしれません。BIの思想を拒んでいる本当に原因は、実は他者への「不信」と未知への「恐れ」なのかもしれません。僕たちの感情が、不信と恐れから解放されたときには、全くこれまでとは違った世界が、広がるように思いました。
桜の花もほころび、ぽかぽか陽気のなかを、ぼーっとした頭で東大寺への参道を歩きながら、ベーシック・インカムへの道の条件にマイナスの意味でもプラスの意味でも、世界中で一番近くにいるのは、日本であるように思いました。
集会では、多くのスピーカーが、BIは万能ではなく、単なる変化への端緒にすぎないと強調されていましたが、BIは、社会を変容させる物凄く大きな力を秘めているようにも思えました。人々が、他者への《恐れ》ではなく《信頼》を学び、変容への《恐れ》ではなく、変容への《喜び》を感じることさえできれば・・・。全て移ろいゆくものは、比喩に過ぎず、というゲーテの言葉を肌身で感じるとともに、新しい時代を予感させる旅でした。
ベーシック・インカム日本ネットワーク(BIJN)設立集会に参加するために、京都に行って来ました。青春18切符を駆使し、一泊2500円のゲストハウスに泊まり、夜は無料のおいしい食事にもありつけ、とてもエコノミカルな旅でした。20日の日は、雪かと思えば、陽が差し、そうかと思えば、ぱらぱらと小雨が降ったり、ころころ変わる肌寒い陽気でしたが、次の日からは、晴天にも恵まれ、桜の花もほころび始め、日曜日には40年ぶりに奈良まで見物できて楽しい旅でした。久しぶりに見る京都や奈良は、何十年も前に訪れた同じ場所とは思えないほど変貌を遂げ、僕の記憶に残る昔日の佇まいは行き場を失い、まさに光陰矢の如しの感を深くしました。
さて本題のベーシック・インカム日本ネットワーク設立集会は400人もの老若男女が集い、講演やらシンポジウムやら分科会やらで、随分活気のある面白いものでした。その講演の内容は、あほねんさんという方が、ブログに書いてくれていますから、そちらをご覧ください。
http://www.hyocom.jp/blog/blog.php?key=126132
僕は、常々どんな経緯を経て、ブラジルでBIが憲法にまで盛り込まれたのだろうか、と不思議に思っていましたので、世界ベーシック・インカム・ネットワーク議長のガイ・スタンディングさんが、涙が出てしまうかもしれないと言い添えながら、語ってくれたブラジルでのBI導入までのエピソードは、とりわけ興味深いものでした。はじめブラジルで、BIを紹介した時には、ほとんどの人が、《それは不可能なことだ》と思っていたそうです。その中で、障害者でもある、ある街の女性の市長さんが、強くBIを支持してくれて、BIの思想の普及に努めてくれた
そうです。ところが、その女性の市長さんは右翼の凶弾に倒れ、その夢は費えたかに見えましたが、それから10年後、彼女の夢は、多くの人の夢となり、憲法にまで盛り込まれることになったそうです。ブラジルにおけるBI受容までの前史をお聞きし、彼女もまたBIに「道」を見出だした人のように思いました。
長いこと、経済成長という脅迫観念に突き動かされ、ワーカホリックが習性となってしまった現代の日本人にとっても、BIの思想を受け入れることは、そんなに容易いことではないのかもしれません。ベーシック・インカムといえば、それが実現した社会をイメージするより先に、財源のことを考えてしまうのも、現代日本人に条件付けられた思考パターンの現れなのかもしれません。また反対論者の口からすぐ漏れてくる「フリー・ライダー」論は、実は自由への「恐れ」なのかもしれません。BIの思想を拒んでいる本当に原因は、実は他者への「不信」と未知への「恐れ」なのかもしれません。僕たちの感情が、不信と恐れから解放されたときには、全くこれまでとは違った世界が、広がるように思いました。
桜の花もほころび、ぽかぽか陽気のなかを、ぼーっとした頭で東大寺への参道を歩きながら、ベーシック・インカムへの道の条件にマイナスの意味でもプラスの意味でも、世界中で一番近くにいるのは、日本であるように思いました。
集会では、多くのスピーカーが、BIは万能ではなく、単なる変化への端緒にすぎないと強調されていましたが、BIは、社会を変容させる物凄く大きな力を秘めているようにも思えました。人々が、他者への《恐れ》ではなく《信頼》を学び、変容への《恐れ》ではなく、変容への《喜び》を感じることさえできれば・・・。全て移ろいゆくものは、比喩に過ぎず、というゲーテの言葉を肌身で感じるとともに、新しい時代を予感させる旅でした。
by halunet
| 2010-03-30 12:08
| ベーシックインカム