2010年 01月 18日
つながりの中で生きる新たな物語を |
ミュニティを問いなおす――新春雑感
おおえまさのり
ふるさとに帰って新春を迎えた。家の裏手に阿波と讃岐をへだてる阿讃山脈の東端をなす山があり、その谷合にひっそりと薬師堂がある。かつてはそこに、石を焼いて蒸気を発生させるサウナ小屋があり、集落の人々の癒しの場所となっていたものだった。今回帰ってみると、薬師堂のほんとにすぐ裏まで埋め立てられて、高速道路のインターチェンジが作られようとしていた。薬師堂の裏の谷合には清らかな湧水があって、ぼくがこどもの頃には、今際(いまわ)の際には、その薬師の水を頂いてきて、死にゆく人に飲ませたものだった。その谷合がごっそりと埋め立てられて、跡かたさえなかった。もう誰も、そんなことなど思いもしないのだろう。
かつて人は薬師の水を飲むことで、死を受け入れてゆくことができた。そこには生老病死をめぐるコミュニティがあり、それを支える神話があって、それらによって人々は活かされて来たのだった。
それらのコミュニティの崩壊の中から、わたしたちは今再び、新たなコミュニティを立ち上げようとしはじめている。わたしたちはつながりの中で生きる他ないものであり、そのつながりの在り方を再び問いはじめているのだ。
MAIKOさんがアフリカで夢見たコミューン創出への思い、藤田政弘さんが提案しようとしている共生型の宅老所、そして春木良昭さんたちが提言している生を受けたものの基本的な権利として保障されるべきだとする基礎所得「ベーシック・インカム」もまた、すべての人が等しくつながりのコミュニティの中で生きてゆくための、新たな神話(大いなるものがたり)を語り出そうとする営みであり、コミュニティ再創造への大きな意思の表れなのだと思う。
新年に『コミュニティを問いなおす――つながり・都市・日本社会の未来』(広井良典著 ちくま新書・09年大仏次郎論壇賞受賞)を読んだが、資本主義の飽和状態を迎える中で、コミュニティの再発見、再創造ということがわたしたちの社会の中心課題となってきつつあるのがうかがえる。コミュニティというところから世界を再創造しようという試みだ。
個のつながりとしてのコミュニティは、関係の二重性を持っていて、内なるつながりを結んでゆくと共に、つながりの輪を世界に向けて広げてゆく。
個々の多様性が尊重されながら、生命というものの、地球そして宇宙というものの、在るがままの姿(在るがままの姿としての普遍的な価値や原理)の下に、創造的に共生できるようなつながりの輪の世界の姿を求めてだ。
今わたしたちは、つながりの中で生きる新しいものがたり、それが大いなるものがたり(神話)にまで広がりゆくようなものがたりを語り出すべき時なのではなかろうか。
わたしたちの生や世界は神話(大いなるものがたり――世界を指し示す象徴)に支えられてはじめて意味を与えられ、その形を与えられる。人は意味の、ことばの動物だからだ。神話を語り出す力を取り戻すことができなければ、わたしたちは新たな世界を創出することができず、世界を、わたしを失ってしまうという思いを新たにした新年であった。 (わくわく村しんぶん1/15発行から)
おおえまさのり
ふるさとに帰って新春を迎えた。家の裏手に阿波と讃岐をへだてる阿讃山脈の東端をなす山があり、その谷合にひっそりと薬師堂がある。かつてはそこに、石を焼いて蒸気を発生させるサウナ小屋があり、集落の人々の癒しの場所となっていたものだった。今回帰ってみると、薬師堂のほんとにすぐ裏まで埋め立てられて、高速道路のインターチェンジが作られようとしていた。薬師堂の裏の谷合には清らかな湧水があって、ぼくがこどもの頃には、今際(いまわ)の際には、その薬師の水を頂いてきて、死にゆく人に飲ませたものだった。その谷合がごっそりと埋め立てられて、跡かたさえなかった。もう誰も、そんなことなど思いもしないのだろう。
かつて人は薬師の水を飲むことで、死を受け入れてゆくことができた。そこには生老病死をめぐるコミュニティがあり、それを支える神話があって、それらによって人々は活かされて来たのだった。
それらのコミュニティの崩壊の中から、わたしたちは今再び、新たなコミュニティを立ち上げようとしはじめている。わたしたちはつながりの中で生きる他ないものであり、そのつながりの在り方を再び問いはじめているのだ。
MAIKOさんがアフリカで夢見たコミューン創出への思い、藤田政弘さんが提案しようとしている共生型の宅老所、そして春木良昭さんたちが提言している生を受けたものの基本的な権利として保障されるべきだとする基礎所得「ベーシック・インカム」もまた、すべての人が等しくつながりのコミュニティの中で生きてゆくための、新たな神話(大いなるものがたり)を語り出そうとする営みであり、コミュニティ再創造への大きな意思の表れなのだと思う。
新年に『コミュニティを問いなおす――つながり・都市・日本社会の未来』(広井良典著 ちくま新書・09年大仏次郎論壇賞受賞)を読んだが、資本主義の飽和状態を迎える中で、コミュニティの再発見、再創造ということがわたしたちの社会の中心課題となってきつつあるのがうかがえる。コミュニティというところから世界を再創造しようという試みだ。
個のつながりとしてのコミュニティは、関係の二重性を持っていて、内なるつながりを結んでゆくと共に、つながりの輪を世界に向けて広げてゆく。
個々の多様性が尊重されながら、生命というものの、地球そして宇宙というものの、在るがままの姿(在るがままの姿としての普遍的な価値や原理)の下に、創造的に共生できるようなつながりの輪の世界の姿を求めてだ。
今わたしたちは、つながりの中で生きる新しいものがたり、それが大いなるものがたり(神話)にまで広がりゆくようなものがたりを語り出すべき時なのではなかろうか。
わたしたちの生や世界は神話(大いなるものがたり――世界を指し示す象徴)に支えられてはじめて意味を与えられ、その形を与えられる。人は意味の、ことばの動物だからだ。神話を語り出す力を取り戻すことができなければ、わたしたちは新たな世界を創出することができず、世界を、わたしを失ってしまうという思いを新たにした新年であった。 (わくわく村しんぶん1/15発行から)
by halunet
| 2010-01-18 09:18
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