2009年 12月 07日
共に生きて行く道はないのか? |
12/4の第5回の板垣塾は映画「ガーダ」などの監督の古居みずえさんをゲストにお迎えしました。前半はパレスチナの民衆の中に入り込んで、女性や子どもたちの現状を見つめる古居さん映像を見てお話を聞き、後半は板垣先生が古居さん受講生やのお話を引き出しながら進行しました。パレスチナ問題はイスラエル軍の侵攻や自爆テロになどに報道の重点がおかれて、私たちには遠いどこかの世界のことだと思わされていいます。しかしこの無惨で不条理な日常は私たちの世界と深くつながっているのだ、という気持ちを今回、共有(共通認識)できたかな?と思います。
これであと一月の最終回を残すだけとなりました。『<不在者>たちのイスラエル』の著者である田浪亜央江さんがゲストで参加する予定です。「われわれに何ができるか、何をなすべきか」考え議論しあう場になることをきたいしています。
次の文は初回からずっと熱心に参加された方がメーリングリストに投稿されたものを本人の諒解でここに転載しました。5回を終わっての総括的な感想です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さとうけいこ
良い機会を作っていただいたので、パレスチナも大事だけど毎日の生活も大変という人と一緒に、あと1回を残して5回参加しました。これまでの内容を私なりに簡単に報告をさせていただきます。パレスチナ問題は多くの日本人と同じように私にとっても、原因も終結もよく分からない手に負えない問題でした。展望については来月の勉強会に希望をつなぐとして、原因については少し分かってきました。それを書いてみたいと思います。
パレスチナの地は古来から、いろんな民族や文化の交流地点であり、また新しい文化を数多く作り出してきた地域でもあります。またユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の聖地でもあります。オスマン帝国の統治下、西欧やロシアなどでユダヤ人やアラブ人が迫害される中、ここパレスチナ地方では、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラーム教徒も仲良く暮らしていたのです。
ところが、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界中からユダヤ教徒を集めて聖地にユダヤ人の国を作ろうとするシオニズム運動が生まれました。ユダヤ人をのけ者にしたいヨーロッパの国などの思惑がこれと一致して、協力してユダヤ人のパレスチナへの入植運動が始まります。その後の経過については、新聞やテレビでの報道を見てきましたが、戦後の憲法のもとで育った私たちにとっては、どうしてまだ戦争をしているのか理解の出来ないことでした。軍事力では何の解決も出来ないことを学んだのではなかったのかと…
1948年にイスラエル国家を宣言し、飛躍的に軍事力を強化させて現在にいたっているイスラエル。パレスチナ地方のほとんどを占領し、逃げないで残っているパレスチナ人をガザとヨルダン川西側に追いやって、やりたい放題の支配をしています。しかし国連もどこの国もそうしたイスラエルに対して有効な対策を打ち出せないままにいます。
軍隊をもつ国はどこの国もそうだと思うけれど、その国の人々の内面を目に見えない紐で多かれ少なかれ縛っているのだと思う。イスラエルに住んでいるユダヤ人もだまされてやってきたと思っている人も少なくない。かれらは事態をよく承知している。「自由」なユダヤ人にも本当の内面の自由は無いと思う。軍隊を持っている国はどこでも基本的には軍隊にたてつく意見を持っている人は抹殺されていくというのが常識です。内部から変えていくのは命がけです。
では誰が、破滅に向かっているパレスチナとイスラエルのこの事態を解決できるのか?
イブラーヒーム・スースは、『ユダヤ人への手紙』という著書の中で、(彼自身は、1948年パレスチナの地を3才で家族と共に追われ、現在フランスでピアニスト・詩人・外交官・作家として知られているキリスト教徒。) イスラエルがパレスチナ人に対する植民地支配をやめて、イスラエル人もパレスチナ人も共に力を合わせて共存できる地域にしていくしかほかに双方生き残る道は無いと世界の人々に言明しています。いまさらユダヤ人に出て行けとは言ってないのです。ただ占領支配をやめて、共に共存のための道を探ろうと言っているのです。私もこれ以外に解決方法は無いと思います。
西欧キリスト教徒がなぜユダヤ人を弾圧したのかというと、(私が考えるのには、彼らが賢く妬まれたからだろうと思うのですが…) キリストをユダヤ人が殺したからという理由で迫害したのだそうです。社会の中産階級の人たちよりも、支配者階級や最下層の貧しい人々により差別を受けたことを考えると、ユダヤ人とレッテルをつけられた人々を差別することによって貧しい人々の不満をそらし、支配者は体制を維持する必要があったのでしょう。
ユダヤ教/キリスト教/イスラーム教と神は同じ一神教だけれども、預言者によって微妙に違う宗教として確立してきたわけです。イスラーム教でいわれる利子を取らない考え方というのは、資本主義が行き詰まった今日ではとても需要な示唆に富む考え方のように見えます。
オバマ氏がアフガンへの増派を発表せざるを得なかったようですが、テロと戦うと言いながらテロリストを生み出す今のやり方を抜本的に変えるためには、利子を取らないで分かち合うという、平和憲法をもつ日本の国民が持たねばならないイスラームと同じ民主的道徳を、世界に広めていく必要があるのではないでしょうか。資本主義的な考え方では戦争はなくならないように思います。自分たちだけが選ばれた民と考えるユダヤ教の考え方は幼稚だと私は思いますが、本当のキリスト教徒は、イブラーヒーム・スースのように、ユダヤ人だからと差別しない人たちなのではないでしょうか。
差別は良くないし、分かち合いの心が大切と学びました。来月の一回を残して八ヶ岳板垣塾は終了ですが、世界に少し目を開いてくれたと感謝です。歴史的経過について詳しくかけなかったので、本がいっぱい出ているので読んでください。図書館にもあります。
これであと一月の最終回を残すだけとなりました。『<不在者>たちのイスラエル』の著者である田浪亜央江さんがゲストで参加する予定です。「われわれに何ができるか、何をなすべきか」考え議論しあう場になることをきたいしています。
次の文は初回からずっと熱心に参加された方がメーリングリストに投稿されたものを本人の諒解でここに転載しました。5回を終わっての総括的な感想です。
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さとうけいこ
良い機会を作っていただいたので、パレスチナも大事だけど毎日の生活も大変という人と一緒に、あと1回を残して5回参加しました。これまでの内容を私なりに簡単に報告をさせていただきます。パレスチナ問題は多くの日本人と同じように私にとっても、原因も終結もよく分からない手に負えない問題でした。展望については来月の勉強会に希望をつなぐとして、原因については少し分かってきました。それを書いてみたいと思います。
パレスチナの地は古来から、いろんな民族や文化の交流地点であり、また新しい文化を数多く作り出してきた地域でもあります。またユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の聖地でもあります。オスマン帝国の統治下、西欧やロシアなどでユダヤ人やアラブ人が迫害される中、ここパレスチナ地方では、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラーム教徒も仲良く暮らしていたのです。
ところが、19世紀末から20世紀初めにかけて、世界中からユダヤ教徒を集めて聖地にユダヤ人の国を作ろうとするシオニズム運動が生まれました。ユダヤ人をのけ者にしたいヨーロッパの国などの思惑がこれと一致して、協力してユダヤ人のパレスチナへの入植運動が始まります。その後の経過については、新聞やテレビでの報道を見てきましたが、戦後の憲法のもとで育った私たちにとっては、どうしてまだ戦争をしているのか理解の出来ないことでした。軍事力では何の解決も出来ないことを学んだのではなかったのかと…
1948年にイスラエル国家を宣言し、飛躍的に軍事力を強化させて現在にいたっているイスラエル。パレスチナ地方のほとんどを占領し、逃げないで残っているパレスチナ人をガザとヨルダン川西側に追いやって、やりたい放題の支配をしています。しかし国連もどこの国もそうしたイスラエルに対して有効な対策を打ち出せないままにいます。
軍隊をもつ国はどこの国もそうだと思うけれど、その国の人々の内面を目に見えない紐で多かれ少なかれ縛っているのだと思う。イスラエルに住んでいるユダヤ人もだまされてやってきたと思っている人も少なくない。かれらは事態をよく承知している。「自由」なユダヤ人にも本当の内面の自由は無いと思う。軍隊を持っている国はどこでも基本的には軍隊にたてつく意見を持っている人は抹殺されていくというのが常識です。内部から変えていくのは命がけです。
では誰が、破滅に向かっているパレスチナとイスラエルのこの事態を解決できるのか?
イブラーヒーム・スースは、『ユダヤ人への手紙』という著書の中で、(彼自身は、1948年パレスチナの地を3才で家族と共に追われ、現在フランスでピアニスト・詩人・外交官・作家として知られているキリスト教徒。) イスラエルがパレスチナ人に対する植民地支配をやめて、イスラエル人もパレスチナ人も共に力を合わせて共存できる地域にしていくしかほかに双方生き残る道は無いと世界の人々に言明しています。いまさらユダヤ人に出て行けとは言ってないのです。ただ占領支配をやめて、共に共存のための道を探ろうと言っているのです。私もこれ以外に解決方法は無いと思います。
西欧キリスト教徒がなぜユダヤ人を弾圧したのかというと、(私が考えるのには、彼らが賢く妬まれたからだろうと思うのですが…) キリストをユダヤ人が殺したからという理由で迫害したのだそうです。社会の中産階級の人たちよりも、支配者階級や最下層の貧しい人々により差別を受けたことを考えると、ユダヤ人とレッテルをつけられた人々を差別することによって貧しい人々の不満をそらし、支配者は体制を維持する必要があったのでしょう。
ユダヤ教/キリスト教/イスラーム教と神は同じ一神教だけれども、預言者によって微妙に違う宗教として確立してきたわけです。イスラーム教でいわれる利子を取らない考え方というのは、資本主義が行き詰まった今日ではとても需要な示唆に富む考え方のように見えます。
オバマ氏がアフガンへの増派を発表せざるを得なかったようですが、テロと戦うと言いながらテロリストを生み出す今のやり方を抜本的に変えるためには、利子を取らないで分かち合うという、平和憲法をもつ日本の国民が持たねばならないイスラームと同じ民主的道徳を、世界に広めていく必要があるのではないでしょうか。資本主義的な考え方では戦争はなくならないように思います。自分たちだけが選ばれた民と考えるユダヤ教の考え方は幼稚だと私は思いますが、本当のキリスト教徒は、イブラーヒーム・スースのように、ユダヤ人だからと差別しない人たちなのではないでしょうか。
差別は良くないし、分かち合いの心が大切と学びました。来月の一回を残して八ヶ岳板垣塾は終了ですが、世界に少し目を開いてくれたと感謝です。歴史的経過について詳しくかけなかったので、本がいっぱい出ているので読んでください。図書館にもあります。
by halunet
| 2009-12-07 18:06
| 板垣塾
























