2009年 08月 18日
今、いのちがわたしを生きる |

8/13、お盆の墓参りで生まれ故郷の北陸、小松へ。そこで近所のお寺の法話会(?)に参加した。
この町は昔の駅前を破壊し尽くして、新しい地方都市を目差したものの、当然のごとく挫折して無惨な姿をさらしているバブル破綻の田舎町。駅前の道路ばかりがやけに広くて立派なのだ。
それに聴くところでは「小松製作所」の小松工場の撤退が決まった(すでに撤退した?)
とのこと。ますます行く末が心配な町だ。
しかし昔からの大きな真宗のお寺は相変わらず大きくでんと構えている。小さな市内に7つも8つも大きな本堂を並べている。これがある限りは小松は小松でありつづけることができる。
その一つの近所のお寺に朝の9時半に出かけた。
15人ほどの70後半とおぼしき善男善女が読経し住職の法話に傾聴する。
読経といっても心地よい抑揚とテンポで不思議に飽きさせない。
意味より音に魂の安らぎを得るとすれば
世俗を離れた貴重な時間がここにはあるのかもしれない。
住職の法話は8月ということもあって
戦争の話にもおよぶ。
中でも興味深かったのは植木徹成氏の話。
植木等さんのお父さんだ。
部落差別と闘い、戦争には「殺すな、殺されるな」と出征する若者にさとして三年間?も投獄されたという。こんな筋金入りの反戦僧侶がいたのだ。その後は僧侶をやめて極貧の中に市井に生きた人のようだ。ウィキペディアにも出てこないので詳しくはわからないけれど、もっと知られてもいい人ではないだろうか。
「今、いのちがあなたを生きている」という幕が本堂に掲げられていた。
浄土真宗のことも何も分かっていない。もっと知る機会がほしい。
小松の町にはまだ昔の面影が残る通りもないわけではない。やはりそんな通りを歩くと時間を飛び越えて昔がもどってくる。

by halunet
| 2009-08-18 22:28
| スピリチュアリティと平和
























