天木直人が書いていた |
メルマガ懇親会は、本来はメルマガ読者のオフ会のようなものを全国あちこちで開くということのようですが、間口を広げて誰でも参加できるものになっているようです。山梨県内では以下のようになっています。
日時 8月22日(土) 午後1時—5時
場所 生涯学習センターこぶちざわ
JR小淵沢駅徒歩15分
参加費 無料
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<基本所得が保障される社会>
天木直人
2月17日の毎日新聞の書評欄で「ベーシック・インカムー基本所得のある社会へー」(ゲッツ・W・ヴェルナー 現代書館)という本が紹介されていた。すべての個人にミニマムの所得を保障する社会の実現を訴える書であるという。
書評を書いている中村達也氏は言う。こういう主張は、決して主流的な位置を占めることはなかった。新約聖書の中のパウロの言葉である「働かざる者、食うべからず」という労働倫理が、あまねく世の中に定着しているからである、と。
しかし、同時に中村氏は言う。実はこうした基本所得を社会が保障すべきという考え方は、すでに18世紀末以来、様々に形を変えながら、ヨーロッパではあたかも持続低音の如く語り継がれて来たと。
著者のヴェルナーはこう主張しているという。「所得を得るために不本意な雇用関係の中に身を置くのではなく、基本所得によってミニマムの所得が保障されれば、自らの意思によって自由に仕事を選択できるし、ボランテア活動など雇用以外で自らの役割を見出すこともできる」と。
実はこの考え方こそ、私が漠然と考えてきた理想的な社会の実現を可能にする考えだと思う。それは共産主義的な理想社会ではない。自由主義の社会で、なおかつ最低生活を皆に保障する社会である。
著者のヴェルナーは、ヨーロッパ全土でドラッグストア・チェーン「デーエム」を創業し、近年カールスルーエ工科大学教授に就任した異色の経歴の持ち主であるという。
私が注目したのはここだ。著者のヴェルナーが成功した経営者であるという点だ。利潤を追求して、競争に勝ち抜いた企業成功者が、すべての個人に最低限の所得を社会が保障する事を訴える、そういう社会が理想だと言っているのだ。
すべての個人に国が無条件で基本所得を保障する社会となれば人は怠惰に堕す、不労者による勤労者の逆搾取になる、そもそもその財源を国はどう手当てするのか、などと、議論は尽きないであろう。
私には答えはない。これ以上うまく表現できない。しかし福祉国家の究極の本質はここにあるのではないか。
世の中には成功者を目指して競争社会を勝ち抜こうとする者がいる。努力や運で巨万の富を手にする者がいる。それらを批判するのではなく、そうでない者、富や立身出世を望まなくてよい、そのかわり自由で人間的な生活ができればいい、そういう者たちの生き方をも等しく認める。そういう人が臆することなく生きていける社会、私はそれが理想だと思う。
そのためには強者や成功者が、その富を還元し、本気になって福祉社会の実現のために協力する。国家や世論に強制される事なく、自発的にそれを行う人が増えていく、そういう社会が理想ではないかと、漠然と考えている。