2009年 04月 24日
グローバル経済の破綻を超えるために |
安曇野で農業を営む中から社会と世界を見つめる藤沢雄一郎さんのベーシックインカム論を掲載します。「安曇野文芸」4月発行号に寄稿されたものですが、掲載を承諾していただいたメールで藤沢さんは次のようにおっしゃっていますので一緒に紹介いたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は経済の素人ですし、
けっこういいかげんな人間ですから、
内容もそのつもりで読んで貰う方が
いいでしょう。その辺、一言付けて
いただければ助かります。
耕す日々(三)
恐慌のゆくえ
藤沢雄一郎
「百年に一度の世界同時不況」だそうだ。しかし、何が原因なのかを説明しているものをほとんど見ない。原因がわからなくては対策の立てようがないではないか。戦後教育ではマネー教育と性教育が抜け落ちていた、とよく言われる。先進国でエイズが増加しているのは日本だけである。マネー教育も疎かにされてきたが、アメリカのような投資技術を教えるという意味ではなく、お金に振り回されない生き方を貨幣・金融システムの問題とともに教えることが必要だったと思う。欧米ではすでに恐慌という言葉が使われているが、恐慌は社会全体が巨大な負債を抱え、所得格差が広がり消費がとめどなく落ちることによる。将来に対する不安が原因なのである。
現在進行中の世界恐慌を乗り越えるには、三つの対策が必要だろう。一つは基礎所得保証制度(ベーシック・インカム、以下BIと略)で労働と所得を切り離すこと。
次に、中央銀行制度による利子金融の廃止ないし改革。最後にグローバリズムに対抗する確固とした国民経済の確立であろう。
BIを中心にこれらの問題に触れてみたい。BIは市場の飽和とオートメーション化の進行によって潜在的な失業が増えていること、生活保護の申請もますます増え二百万世帯を超える勢いであること、所得格差の広がりで消費が落ちていることなどを考えると必然的な制度といえよう。今回の恐慌でこれらの問題が一挙に噴出している。
基礎所得額はだいたい子供から老人まで一人平均、月十万円前後という意見が多い。財源はどうするのか。国家財政が破綻寸前なのにできるのか、という疑問は当然おきる。しかし、いままで赤字の情報しかなかったのに、突然「埋蔵金」などという話が出てきている。政府は米国債も大量に持っているというから国家財政が破綻寸前というのはどうもあやしい。赤字だと言っておいた方が国民を操作しやすいという財務官僚の思惑といわれても仕方あるまい。
仮に破綻寸前だとしても国債の日銀引き受けという手段もある。今はデフレで値下げしても物もサービスも売れない時代である。これは一般市民にマネーが充分行き渡っていないからである。現金の出回る量が増えることはデフレ下においては有効な政策である。国債という形では一般市民には届かないし、金融機関や投資機関が税金を利子という形で貰うだけだ。バブルの再燃という懸念もあるが、ならば投機的な融資を禁止すればいい。生産能力には充分余力があるのだからインフレで物価が上昇する心配もほとんどない。
要は年収二百万円以下の人が一千万人以上いる。こうした層にマネーが回らなければ景気の回復は望めないのだ。また、金融界は常に市場が資金不足であることを望む。貨幣の価値が上がり利子を取れるからである。こうした思惑と圧力の下で政府は国債の日銀引き受けという有効なデフレ対策が取れない。しかし、戦前の世界恐慌の時、ダルマ蔵相・高橋是清はデフレをこの手法と積極財政で見事に乗り切り、日本のケインズと呼ばれ世界からも賞賛されるほどであった。二・二六事件で軍部に暗殺されたが、官僚支配は現在でもこの国を呪縛している。
BIの財源で一番いい方法は、政府が直接紙幣を発行することである。現に硬貨は財務省造幣局が作っている。実は政府紙幣の発行は明治二年に太政官札という形で行われ財政支出の九割をまかなったがインフレにはならなかった。世界的にもケインズ派の学者を中心に以前から提案されてきたもので特殊な理論ではない。
日銀のような中央銀行システムは十七世紀終わりにイギリスのイングランド銀行が始めたもので、当時は金本位制でイギリス政府が戦費調達のために国債を発行してイングランド銀行に引き受けてもらいその銀行券を使ったことから始まった。初めから紙幣そのものが負債だったのだ。とはいえ、今更金本位制に戻ることはできない。管理通貨制度でやるしかないし、貨幣は人間が作った「制度」以外の何物でもない。だったら、マネーほど公共性の高い制度はないのだから国家が直接発行すべきではないか。利子の付かない減価する紙幣で所得保証を実施すればいい。月〇・五パーセントくらいの循環促進税という形で減価させれば消費やカンパに回りやすくなり市場も活
性化する。中央銀行制度が負債の経済とすれば、これは贈与の経済と呼べるだろう。円との並行通貨、一国ニ通貨制度でもいいではないか。
税収は消費税でもいいと思うが、今の議論は乱暴すぎる。生活必需品と高価なブランド品が一律十パーセントでいいのだろうか。取引の度に税がかかれば最後は途方もない税率になってしまう。最終消費のみにすべきではないか。また、戦略的な消費財、例えば国産の農林水産物や自然エネルギーにはマイナスの消費税も有効ではないか。価格の十パーセントは返還される仕組みである。
余談だがスウェーデンでは交通違反の罰金まで所得や地位によって変えている。刑罰も地位によって高くなるのだ。例えば、戦争などに国民を誘導した者には例外的に死刑は適用されるべきではないか。死刑制度そのものは排除によって物事を解決しようとし、学び成長する社会を否定する。
では、どういうルートでBIは実現可能なのだろうか。超党派でもいいが、むしろ過疎地の首長を中心とした地方自治体の連携によって政府に要求していくという道筋が一番有効と思われる。過疎や高齢化により地方は苦悩しているが、これはグローバリズムによる農林業や地場産業の衰退と人口の大都市への集中が原因である。戦後、国土の均衡ある発展という名目で公共事業がばら撒かれたが、むしろ逆に過疎を促進してきたことが皮肉にも実証されてしまった。道路や橋や様々な箱物があっても人がいなければ意味がない。各省庁や族議員の縄張りと権力強化がこのようなバラマキの真の目的であって、所得保証とは正反対のものである。BIはこうしたバラマキ福祉を
廃止できるし、各省庁の補助金や特別会計もすべてゼロ予算からリセットし直すこと
が可能になる。
実際、長野県中川村の曽我村長は村のホームページでBIに全面的賛意を示している。地方の首長はよく勉強するのに総理大臣は漫画しか読まないという、なんという皮肉なこの国の現実。
BIの実施方法としては、まずは食料とエネルギー自給を目的として、人口分布の適正化に配慮しながら段階的に行うのがベストであろう。まず過疎地、次にその他の地方、最後に大都市圏というように。
食料とエネルギーの自給を何故目標とするのか。これは効果的な温暖化対策でもあるが基軸通貨ドルの暴落が秒読みに入ってきたことによる。この文章が発表される頃にはひょっとすると新ドルに切り替わり中国や日本の持っている莫大なドル資産が紙くずになっているかもしれない。アメリカが債務不履行宣言をしても同じ結果になる。グローバル経済は完全に破綻する。その時、食料とエネルギーの自給率があまりに低いこの国は致命的である。食料と再生可能な自然エネルギーは国土に広く薄く分布し生産されるしかないのだから、人口分布の適正化は必須条件である。
また、「自由貿易」の破綻は米国型の生活様式の終焉でもある。これは一九三〇年代の恐慌とは全く違う要素であり今回の恐慌の原因でもある。「自由貿易」は基軸通貨ドルの力でアメリカがIMFや世界銀行、WTOなどを通して世界に押し付けたものである。それは庭付きマイホームやマイカーに代表される資源浪費型アメリカン・ライフスタイルの世界への押し付けでもあった。ドルを稼ぐことが各国の課題とされた戦後世界経済においては、アメリカ人の好むものやライフスタイルにあった製品を作らねばならず、それが世界の経済・人々の生活様式までアメリカ化することになった。日本全国、世界の大都市がほとんど同じ特色のない殺風景なものになっていった。サブプライム問題での住宅金融の破綻とGMなどのビックスリーの経営危機は米国型ライフスタイルの終焉を象徴していたのだ。
ニューディール政策があまりうまくいかなかったアメリカは、第二次世界大戦でようやく復興したが、恐慌の対策としてその後は戦争経済と自国の有り余った製品を「自由貿易」の名の下に世界に押し付けることで解決しようとした。原子力発電やコンピューター・冷凍食品も戦争経済の副産物である。グローバリズムの実態とは、貨幣・金融制度の根本問題に目をつむり、そこに自ずと内在する恐慌の問題を世界に押し付けることによって解決しようとした米国のエゴなのである。
さて、BIの実施でその他に問題とされるのは、皆が働かなくなるのではないか、という意見や高額所得者にまで支給する必要があるのか、などがある。曽我村長がこれらに適切に応えている。BIがあれば給与体系が変えられる。例えば公務員給与もBIの分だけ引いても変わらないか家族の分だけ増える可能性もある。労働の定義が狭すぎるというのも全くその通りである。家事・育児・村の役や祭りなどの伝統文化の継承もその範疇に入っていない。農家の畦草刈や水路維持なども景観を保つ重要な仕事であるのに全く支払われない。民間の芸術・文化活動・学問研究なども自腹を切って行われているのが実情である。
失敗した共産主義的な制度だ、という意見にはBIが実施されても自由主義的な競争までなくなるわけではないと指摘されている。若干付け加えれば、資本主義も共産主義も生産力を揚げるという目標は共通しており、その方法として資本主義は市場に資本を集中させ、共産主義は国家に集中させた。どちらが効率的であったかは判明しているが、どちらも資本を集中させる集産主義という点では共通であった。そして、衣食住がある程度充足した時点でどちらの集産主義も歴史的役割を終えてしまっていたのだ。市場が飽和して投資機会が減少しているのはその証拠である。そして巨大な遊休資本が世界を飛び回り経済のギャンブル・犯罪化を招き今回の恐慌にいたった。
BIは資本を徹底して社会に分散化させるためのポスト集産主義の一つの方法なのである。生活必需品を中心にした堅実な需要により、成長はない替わりにデフレもインフレもない安定した経済になるだろう。
貿易は人類史という観点から見ると、特産物などに限られ、生活に必要な基本的なものは全て地域で生産するのが当たり前であった。食料やエネルギーという必需品まで海外に依存すること自体この数十年に限った異常なものなのだ。本来生活様式とは、土地の資源を最大に生かした持続可能でローカルなものなのだ。
恐慌のゆくえは誰にもわからないが、究極的には将来に対する不安が原因である。一時的な給付金では解決しない。基本的な所得保障制度なくして不安は解消できない。しかし、恐慌でグローバル経済が破綻すること自体は地球環境にとっては最良である。物と金と人が大量かつ高速で地球上を飛び回ること、つまり経済の規模が巨大になりすぎたことが環境破壊のそもそもの原因だからである。土地を中心にした多様でローカルな生活様式を取り戻す絶好の機会でもある。
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私は経済の素人ですし、
けっこういいかげんな人間ですから、
内容もそのつもりで読んで貰う方が
いいでしょう。その辺、一言付けて
いただければ助かります。
耕す日々(三)
恐慌のゆくえ
藤沢雄一郎
「百年に一度の世界同時不況」だそうだ。しかし、何が原因なのかを説明しているものをほとんど見ない。原因がわからなくては対策の立てようがないではないか。戦後教育ではマネー教育と性教育が抜け落ちていた、とよく言われる。先進国でエイズが増加しているのは日本だけである。マネー教育も疎かにされてきたが、アメリカのような投資技術を教えるという意味ではなく、お金に振り回されない生き方を貨幣・金融システムの問題とともに教えることが必要だったと思う。欧米ではすでに恐慌という言葉が使われているが、恐慌は社会全体が巨大な負債を抱え、所得格差が広がり消費がとめどなく落ちることによる。将来に対する不安が原因なのである。
現在進行中の世界恐慌を乗り越えるには、三つの対策が必要だろう。一つは基礎所得保証制度(ベーシック・インカム、以下BIと略)で労働と所得を切り離すこと。
次に、中央銀行制度による利子金融の廃止ないし改革。最後にグローバリズムに対抗する確固とした国民経済の確立であろう。
BIを中心にこれらの問題に触れてみたい。BIは市場の飽和とオートメーション化の進行によって潜在的な失業が増えていること、生活保護の申請もますます増え二百万世帯を超える勢いであること、所得格差の広がりで消費が落ちていることなどを考えると必然的な制度といえよう。今回の恐慌でこれらの問題が一挙に噴出している。
基礎所得額はだいたい子供から老人まで一人平均、月十万円前後という意見が多い。財源はどうするのか。国家財政が破綻寸前なのにできるのか、という疑問は当然おきる。しかし、いままで赤字の情報しかなかったのに、突然「埋蔵金」などという話が出てきている。政府は米国債も大量に持っているというから国家財政が破綻寸前というのはどうもあやしい。赤字だと言っておいた方が国民を操作しやすいという財務官僚の思惑といわれても仕方あるまい。
仮に破綻寸前だとしても国債の日銀引き受けという手段もある。今はデフレで値下げしても物もサービスも売れない時代である。これは一般市民にマネーが充分行き渡っていないからである。現金の出回る量が増えることはデフレ下においては有効な政策である。国債という形では一般市民には届かないし、金融機関や投資機関が税金を利子という形で貰うだけだ。バブルの再燃という懸念もあるが、ならば投機的な融資を禁止すればいい。生産能力には充分余力があるのだからインフレで物価が上昇する心配もほとんどない。
要は年収二百万円以下の人が一千万人以上いる。こうした層にマネーが回らなければ景気の回復は望めないのだ。また、金融界は常に市場が資金不足であることを望む。貨幣の価値が上がり利子を取れるからである。こうした思惑と圧力の下で政府は国債の日銀引き受けという有効なデフレ対策が取れない。しかし、戦前の世界恐慌の時、ダルマ蔵相・高橋是清はデフレをこの手法と積極財政で見事に乗り切り、日本のケインズと呼ばれ世界からも賞賛されるほどであった。二・二六事件で軍部に暗殺されたが、官僚支配は現在でもこの国を呪縛している。
BIの財源で一番いい方法は、政府が直接紙幣を発行することである。現に硬貨は財務省造幣局が作っている。実は政府紙幣の発行は明治二年に太政官札という形で行われ財政支出の九割をまかなったがインフレにはならなかった。世界的にもケインズ派の学者を中心に以前から提案されてきたもので特殊な理論ではない。
日銀のような中央銀行システムは十七世紀終わりにイギリスのイングランド銀行が始めたもので、当時は金本位制でイギリス政府が戦費調達のために国債を発行してイングランド銀行に引き受けてもらいその銀行券を使ったことから始まった。初めから紙幣そのものが負債だったのだ。とはいえ、今更金本位制に戻ることはできない。管理通貨制度でやるしかないし、貨幣は人間が作った「制度」以外の何物でもない。だったら、マネーほど公共性の高い制度はないのだから国家が直接発行すべきではないか。利子の付かない減価する紙幣で所得保証を実施すればいい。月〇・五パーセントくらいの循環促進税という形で減価させれば消費やカンパに回りやすくなり市場も活
性化する。中央銀行制度が負債の経済とすれば、これは贈与の経済と呼べるだろう。円との並行通貨、一国ニ通貨制度でもいいではないか。
税収は消費税でもいいと思うが、今の議論は乱暴すぎる。生活必需品と高価なブランド品が一律十パーセントでいいのだろうか。取引の度に税がかかれば最後は途方もない税率になってしまう。最終消費のみにすべきではないか。また、戦略的な消費財、例えば国産の農林水産物や自然エネルギーにはマイナスの消費税も有効ではないか。価格の十パーセントは返還される仕組みである。
余談だがスウェーデンでは交通違反の罰金まで所得や地位によって変えている。刑罰も地位によって高くなるのだ。例えば、戦争などに国民を誘導した者には例外的に死刑は適用されるべきではないか。死刑制度そのものは排除によって物事を解決しようとし、学び成長する社会を否定する。
では、どういうルートでBIは実現可能なのだろうか。超党派でもいいが、むしろ過疎地の首長を中心とした地方自治体の連携によって政府に要求していくという道筋が一番有効と思われる。過疎や高齢化により地方は苦悩しているが、これはグローバリズムによる農林業や地場産業の衰退と人口の大都市への集中が原因である。戦後、国土の均衡ある発展という名目で公共事業がばら撒かれたが、むしろ逆に過疎を促進してきたことが皮肉にも実証されてしまった。道路や橋や様々な箱物があっても人がいなければ意味がない。各省庁や族議員の縄張りと権力強化がこのようなバラマキの真の目的であって、所得保証とは正反対のものである。BIはこうしたバラマキ福祉を
廃止できるし、各省庁の補助金や特別会計もすべてゼロ予算からリセットし直すこと
が可能になる。
実際、長野県中川村の曽我村長は村のホームページでBIに全面的賛意を示している。地方の首長はよく勉強するのに総理大臣は漫画しか読まないという、なんという皮肉なこの国の現実。
BIの実施方法としては、まずは食料とエネルギー自給を目的として、人口分布の適正化に配慮しながら段階的に行うのがベストであろう。まず過疎地、次にその他の地方、最後に大都市圏というように。
食料とエネルギーの自給を何故目標とするのか。これは効果的な温暖化対策でもあるが基軸通貨ドルの暴落が秒読みに入ってきたことによる。この文章が発表される頃にはひょっとすると新ドルに切り替わり中国や日本の持っている莫大なドル資産が紙くずになっているかもしれない。アメリカが債務不履行宣言をしても同じ結果になる。グローバル経済は完全に破綻する。その時、食料とエネルギーの自給率があまりに低いこの国は致命的である。食料と再生可能な自然エネルギーは国土に広く薄く分布し生産されるしかないのだから、人口分布の適正化は必須条件である。
また、「自由貿易」の破綻は米国型の生活様式の終焉でもある。これは一九三〇年代の恐慌とは全く違う要素であり今回の恐慌の原因でもある。「自由貿易」は基軸通貨ドルの力でアメリカがIMFや世界銀行、WTOなどを通して世界に押し付けたものである。それは庭付きマイホームやマイカーに代表される資源浪費型アメリカン・ライフスタイルの世界への押し付けでもあった。ドルを稼ぐことが各国の課題とされた戦後世界経済においては、アメリカ人の好むものやライフスタイルにあった製品を作らねばならず、それが世界の経済・人々の生活様式までアメリカ化することになった。日本全国、世界の大都市がほとんど同じ特色のない殺風景なものになっていった。サブプライム問題での住宅金融の破綻とGMなどのビックスリーの経営危機は米国型ライフスタイルの終焉を象徴していたのだ。
ニューディール政策があまりうまくいかなかったアメリカは、第二次世界大戦でようやく復興したが、恐慌の対策としてその後は戦争経済と自国の有り余った製品を「自由貿易」の名の下に世界に押し付けることで解決しようとした。原子力発電やコンピューター・冷凍食品も戦争経済の副産物である。グローバリズムの実態とは、貨幣・金融制度の根本問題に目をつむり、そこに自ずと内在する恐慌の問題を世界に押し付けることによって解決しようとした米国のエゴなのである。
さて、BIの実施でその他に問題とされるのは、皆が働かなくなるのではないか、という意見や高額所得者にまで支給する必要があるのか、などがある。曽我村長がこれらに適切に応えている。BIがあれば給与体系が変えられる。例えば公務員給与もBIの分だけ引いても変わらないか家族の分だけ増える可能性もある。労働の定義が狭すぎるというのも全くその通りである。家事・育児・村の役や祭りなどの伝統文化の継承もその範疇に入っていない。農家の畦草刈や水路維持なども景観を保つ重要な仕事であるのに全く支払われない。民間の芸術・文化活動・学問研究なども自腹を切って行われているのが実情である。
失敗した共産主義的な制度だ、という意見にはBIが実施されても自由主義的な競争までなくなるわけではないと指摘されている。若干付け加えれば、資本主義も共産主義も生産力を揚げるという目標は共通しており、その方法として資本主義は市場に資本を集中させ、共産主義は国家に集中させた。どちらが効率的であったかは判明しているが、どちらも資本を集中させる集産主義という点では共通であった。そして、衣食住がある程度充足した時点でどちらの集産主義も歴史的役割を終えてしまっていたのだ。市場が飽和して投資機会が減少しているのはその証拠である。そして巨大な遊休資本が世界を飛び回り経済のギャンブル・犯罪化を招き今回の恐慌にいたった。
BIは資本を徹底して社会に分散化させるためのポスト集産主義の一つの方法なのである。生活必需品を中心にした堅実な需要により、成長はない替わりにデフレもインフレもない安定した経済になるだろう。
貿易は人類史という観点から見ると、特産物などに限られ、生活に必要な基本的なものは全て地域で生産するのが当たり前であった。食料やエネルギーという必需品まで海外に依存すること自体この数十年に限った異常なものなのだ。本来生活様式とは、土地の資源を最大に生かした持続可能でローカルなものなのだ。
恐慌のゆくえは誰にもわからないが、究極的には将来に対する不安が原因である。一時的な給付金では解決しない。基本的な所得保障制度なくして不安は解消できない。しかし、恐慌でグローバル経済が破綻すること自体は地球環境にとっては最良である。物と金と人が大量かつ高速で地球上を飛び回ること、つまり経済の規模が巨大になりすぎたことが環境破壊のそもそもの原因だからである。土地を中心にした多様でローカルな生活様式を取り戻す絶好の機会でもある。
by halunet
| 2009-04-24 12:29
| ベーシックインカム
























