2012年 03月 24日
フクシマ終わらない苦難/3月11日「原発いらない!3・11福島県民大集会」に山梨から参加して |
椎ノ木武志さんからの投稿を掲載します。
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3月11日福島県郡山市開成山野球場で「原発いらない!3・11福島県民大集会」が開催された。県外からも多数の団体、個人が参加した。(主催者発表15000人)
昨年9・19さよなら原発大集会で、大江健三郎さんは、
「私達日本人は、これからもさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗する意思を持っている。その意思を、想像力を持たない政党の幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために、私たちに何が出来るのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないのであります。しっかりやりましょう」と結んだ。
今回大江さんは、何も変わらない福島の現状や、原発再稼働に舵を切る政権にいらだちを感じながら、(私にはそう見えた。余り聞こえなかったので確かではないが)「倫理で立ち向かわねばならない」で結ばれたと思う。大江さんの言う「倫理」とは何かと思い、9・19にも出てきた「想像力」、と「倫理」をキーワードにしてその意味するところを探してみた。これではと思う大江さんのものと思われる(出所不明)文章を記す。
「その私がいま、目の前に大きい手掛かりとして見るのが、南原繁の『倫理的想像力』です。過去に大きいあやまちをおかした、失敗した、その記憶、責任を担いながら、現実に新しくたちむかう。現実をつくりかえ、これはもう動かしがたいという既成観念や制度の決定をひっくり返す。そして、いくらかでも人間らしい現実を、未来に構築しようじゃないかという、とする想像力です。」ずいぶん前の文章のようだけれど、まさに今日を見透していたように思える。
フクシマからの発言は発言と言うより悲鳴に聞こえた。子供と山形県米沢市に避難した女性は、夫は福島に残って働き自分は毎日福島の職場に通っているという。二本松の有機農業者や飯館村の農民は農地を突然奪われた悔しさ、怒りを吐き出した。さらに高校生、漁業者と、叫びは続いた。ここでは農地のからの放射性物質の除去、そしていわゆる「ふるさとに戻るための除染」、今一大キャンペーンが張られているいわゆる瓦礫処理の問題、そして低線量被曝について考える。
農地の再生にはおおくの方が取り組んでいる。たとえば、栃木県の稲葉さん率いる民間稲作研究所(ここは長らく有機稲作の技術の研究、開発に取り組んできた全国有数の機関)の場合。土中で土に吸着しないで水に溶けているセシウムを、春から秋にかけての大豆、ひまわりの栽培収穫、秋から冬、春にかけての菜種の栽培収穫という一連の工程の中で土中のセシウム濃度を下げ、そのサイクルの中に稲、麦の栽培を組み込。さらに水田に引き込む水のセシウム濃度を下げるために取り入れ口に何層にももみ殻ネットを置いて、それにセシウムを吸着させる。
大豆や、ひまわり、菜種は搾油して販売することで、この事業に持続性をもたせる。(セシウムは水に溶けた状態で存在するので油には混入しないことは実証済みのようだ)。また長年遺伝子組み換え作物の問題に取り組んでこられた河田昌東さんは、チェルノブイリでの経験。菜種と他の有用作物との組み合わせでセシウム濃度を下げ菜種油を農業機械の動力に使うということを提唱されている。
彼らは一様に土を剥ぐという工業的発想には反対している。それは長年育てた子供のような存在の土に対する百姓の気持ちを全く解さない発想でしかない。
その他現地では、先の見えない中で、まさに地を這う取り組みがなされている。絶望の淵から立ちあがった人々にただ頭を垂れるしかない。しかしこれも比較的低線量の農地だからこそである。高濃度汚染地帯は手の付けようがない。さらに田や畑から取り除いた放射性物質の処分の問題。本質的には場所の移動でしかない。つまり何も終わらない。放射性物質の拡散、汚染とはこういうことだ。
除染について。確かに緊急避難的に、特に、子供たちに関係するところの放射線量を減らすことは必要だと思う。しかし政府の発表では、帰宅できる目安の20ミリシーベルト以下の地帯で比較的線量の高いところから始め、10ミリシーベルト以下を目指すという。もっとも将来は年間1ミリシーベルトを目指すと付け足してはいるが。この判りにくい基準の問題については、ここではふれない。
福島の浜通り(原発のある海側)と仲通り(福島市や郡山市など)の間は山林地帯が広がっている。対象面積から森林は除かれている。政府は除染作業の前後の数値で効果を強調しているが、雨が降ればいくらでも水に溶けたセシウムが流れてくる。新聞報道では地元の8割の人が「効果なし」と思っている。それが実感だろう。
こんなエピソードも伝えられている。「各自治会に除染費用として50万円が配られたが、効果がないと分かっていたので、自治会として、お金を返すことにした(その決断もすごい!)が、返せないという。だったら何か他のことに使おうと考えたが、除染以外には使えないということで、高圧洗浄機とデッキブラシを買うことになってしまった!」
地域での「除染」の実態が垣間見られる。政府は「避難されている方に1日も早く帰ってもらいたい」とのべ、広野町は早々と役場機能を元の場所に移すという。南相馬市は、2年間で400憶円の除染をゼネコンに一括発注するという。費用は一軒当たり70万~200万。また放射能モニタリングポストの周りだけ除染しているという(飯館村)ような情報もある。為にする行為ほど命をもてあそぶモノはない。ここにあるのは、故郷に帰りたいという人々の気持ちにつけこんだ、原発終息へ幕引きをしようという思惑と、行政機関のための行政だ。
私が最も恐れるのは、除染後出てくるであろう線量についての、いろんなエセ情報だ。それは時に健康被害に直結するからだ。
政府、各自治体に今求められているのは、何よりも命を大切にすること。人々の健康確保ではないだろうか。県外に行きたい人が経済的な負担なく、安心して行けるようなシステム作りこそ急務だ。福島県が消えても、それは仕方のないことではないか。それだけのことが起きた(起こした)のだから。
除染後の膨大な量の汚染水は川を汚染し海に行き、生物を通して戻ってくる。はぎとった大量の汚染土は、仮置き場に30年おいといて県外に出すなどと軽々しく約束している。一体どこへ。ここでもやはり何も終わらないのだ。
瓦礫処理について。今政府、マスコミ一丸となって、震災瓦礫の広域処理に動いている。それに反対するものは非国民と言われそうな、ムードさえ漂わせながら。(今福島では「福島のことを大切に思うなら、原発とか放射能という言葉は口にするな」という締め付けが陰に陽におこなわれ、とても重苦しい状況にあるという。)
その大きな狙いは、第一に原発の現状から国民の眼をそらすことにある。「東北復興」を旗印に掲げ、「絆」を合言葉に国民を総動員する。そして原発に反対する人々との間に対立を作り孤立させ、抑え込む。
―原発の終息宣言を出したものの、メルトダウンした核燃料の把握の目途は立たず、配管からの放射能漏れや汚水漏れ、が続いている。さらに4号機の燃料プールは、地震での崩壊の危険さえある。このことから国民の眼をそらしを、そして原発再稼働の動きを加速させること(大飯原発の再稼働の山が4月に来るのかもしれない)ーこれこそ「震災瓦礫」の広域処理キャンペーンの隠された意図だ。
原発推進や再稼働の主張を展開する石原東京都知事が真っ先に手をあげたのはその象徴だ。東京都は、瓦礫処理を「東京臨海サイクルパワー」と契約した。この会社は東電の95、5パーセント子会社だ。さらに応募条件を満たす会社はその1社というやらせ受注だそうだ。東京都はこの契約をしただけで1億手にし、企業には140憶入るという。費用はすべて税金である。
また鹿島建設を中心とする大手ゼネコン9社が瓦礫処理を2000憶円で受注した。鹿島は東北電力女川原発の1号機~3号機までの建設を請け負った企業だ。
「国民がひとつになっての東北の復興」などという美辞麗句の裏では、政治と金にまつわる利権が渦巻いている。それゆえ、東北の自治体の独自の処理を認めず、細かな分別の中でのリサイクルの動きを封じて、広域処理をしようとしている。これが第2の問題だ。そして第3にばら撒きそのものの問題。
環境省によると8000Bq/㎏とは放射性物質汚染対処特措法に基づく指定基準で、廃棄物を安全に処理するための基準としている。一般的な処理法で(産業廃棄物や家庭ごみと同じように)処理できるとしている。ただ100Bq/㎏まではコンクリートなどの原料としてリサイクルできるが8000Bq/㎏までのものは処理の後、空気中に飛散しないように処分場などの土中にうめるなどの管理が必要としている。しかしこの8000という数字の根拠はほとんど示していない。
ただ以下の文がある。[昨年10月に来日したIAEAのミッションの最終報告書では「放射性セシウム8000Bq/㎏以下のモノについて、追加的な措置なく管理型処分場で埋め立てを実施することについて、既存の国際的な方法論と完全に整合性がとれている。」] つまりIAEA(国際原子力機関)からお墨付きをもらっているというのである。
IAEAとは何なのか。少し見てみる。最近ではいわゆる北朝鮮やイランの核開発疑惑に対して査察に入ったなどとして登場している。しかしおかしなことに国としては認めていないが、事実上核兵器を持っていると言われているイスラエルには入らない。このこと一つみてもその性格は分かる。
元々は軍事目的で開発された核の産業エネルギーとしての利用をうたった1953年のアイゼンハワー米大統領の演説に基づき、国連関連機関として57年に設立された原発推進機関なのだ。原発推進省庁である経産省の中に安全性を管理する保安院があることの問題性が問われてきた。(実際、安全の仮面をかぶって原発を推進してきたことが明らかになっている。)IAEAも同じ性格を持っている。チェルノブイリ原発事故においては、その調査、評価を主導し、特に一貫して被害の過小評価をしてきた組織なのだ。このような組織の「お墨付き」を信用できないのは当然だろう。
ちなみに武田邦彦氏(中部大学)の、ベクレルとシーベルトの関係式によると(もちろんおおよその概算ですが)土壌中のセシウム3000Bqは1μsv/h、10000Bqは2μsv/h。年間に直せばそれぞれおおよそ8.7msv 17.4msvとなる。8000bqという数字は結構高い値なのだ。
ここにも命を大切にしないモノがいる。カレらはすでに述べたような意図を背後に隠しながら、放射性物質を全国(沖縄まで)にばら撒こうとしている。全国いたるところにいわゆるホットスポットが出現する。(幸いにも福島から遠く離れていて汚染されていないところまでも)さらに焼却を原則としている。空気中に放出されるものについてはバグフィルターで100%近く除去できると言っているがそれは机上での話であって、実際の作業現場はおそらく目詰まりその他の問題が発生するだろう。その時果たしてマニュアル通りなされるだろうか。この種の問題はいくらでもある。
しかしこと放射能については取り返しがつかないのだ。ここのところは次の低線量被曝の問題に繋がっていく。
瓦礫の処理についてはいろんな方が提案されている。たとえばたんぽぽ舎の方は
「 海岸線の土地については、特に津波被害の大きかった地区については防災用 地として国が買い上げ、その場所に瓦礫をセメント固化した構造物を作り、そ の上を盛り土し、鉄道用地や道路用地にするというアイディアが、とっくに自治体や専門家などから出されていました。 4月か5月にもそういう方針を地元と協議して決めて、すぐに作業に着手して いれば今頃は相当程度進んでいたはずです。 その遅れの責任を『瓦礫広域焼却処分』に押しつけるなど、到底容認できる わけがありません。 いまからでも、そのような方法に着手すべきです。
まず瓦礫を焼却するのであれば、その施設は地元に作り、原発にあるような 放射性廃棄物を処理する能力を持つ設備を作り、ここから出るセシウムはセメ ント固化して東電に返すことです。 さらに福島県内など高い汚染の瓦礫は、そのままセメント固化して原発内部 の防潮堤などの基礎材に使うことです。
こういう原理原則を実行してもなお、広域処分をせざるを得ないのならば、 東電管内で焼却では無くセメント固化などの安定化処理をすべきと考えます。」と述べている。
また瓦礫の量は阪神大震災に比べてもそれほど多くはないと言われている。地元での処理を原則とし、そのための創意工夫で回りはいろんな形でバックアップしていくということではないだろうか。
一日に何度復興という言葉を聞くだろう。いまその中身を問いなおす必要があると思う。復興庁の復興資金に、金の亡者たちが集まりバッコするようなことにしてはならない。本当に必要な物とそうでないモノとの厳密なより分け。
さらに重要なことは単に元に戻すということでなく、これまでの物質的豊かさ中心の生活(作る側も消費する側も)を見直し、命を大切にし精神的豊かさや自然との共生、そして何より未来につながる生活の、社会の、新たな創造でなければならない。失ってしまったからこそできる新たな創造の形を東北の地から発信することこそなすべきことだと私は思っている。
低線量被曝の問題について。これまで低線量被曝については主に癌発生の可能性の問題として論じられてきた。綿貫礼子さん。肩書きはサイエンス・ライター専門分野は環境学,生化学、平和研究、エコロジーである。綿貫さんはチェルノブイリ以後25年にわたって未来世代への放射線健康影響について女性の視点で追跡調査を続けてきた人だ。
彼女の編・著になる「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」では、まず低線量被曝の問題を癌だけでなく、それ以外の、特に未来に繋がる生殖機能の障害に目を向けるべきだという。
(チェルノブイリの調査で)「汚染地域の女性たちには、甲状腺機能障害、自己免疫疾患、免疫能の低下、月経・ホルモンバランスの乱れ、妊娠時の合併症などが増加していることが判明した」さらにこれらのことの長期にわたる実証的報告が綿密に展開されている。そして今の社会を「未来世代の死をも平然と容認しながら、そのような犠牲を課すことによって、今日の世代が物質的豊かさの甘い汁を吸いえている」「それが、生命の文化とは程遠いものであるのは、当然である」と告発する。
低線量被曝について、「エピジェネティクスは、DNAそのものの損傷とは無関係に、本来はその遺伝情報によって作用すべき遺伝子が作用しなかったり、とんでもない時に作用したりするという、遺伝子発現の撹乱が病気の発生に関係するのではないか」という。「エピジェネティクス」とは「“遺伝子の構造(DNA配列、基本的な遺伝情報)を変えることなく、遺伝子発現(遺伝子の作用のオン/オフ)をコントロールする概念や作用”」低線量被曝においてはDNAが直接損傷しなくても、癌やその他の障害が出る恐れを警告している。
さらにチェルノブイリの経験として次のように述べている。
「繰り返しになるが、チェルノブイリの経験から言えることは、まず実際に起こっている出来事、健康被害の現状を先入観なしに受け止めることが重要であろう。フクシマ後に『放射線専門家』が繰り返し述べていた『100ミリシーベルト以下では影響が無い』『チェルノブイリでは小児甲状腺ガン以外の健康被害は出ていない』といった偏った予備知識を、前提にしては、現実は見えてこない。IAEA、WHO、UNSCEAR(国連科学委員会、注私)などのチェルノブイリ報告書において述べられていることも、『健康悪化の状態は存在しない』というよりは、起こっている健康被害の状態が『放射線の影響とは証明できていない』ということであり、それは『放射線の影響ではない』こととは異なる問題である。子供たちに生じている健康被害の原因について、初めからあらゆる可能性を排除せずに原因を追及しようという姿勢がなければ、見つかるものも見つからない」
少し長かったがとても気にいったのでそのまま引用した。以降は大幅に省略する。以下あとがきから
「本書で述べてきたように、フクシマ事故後に示された日本の政治家、そして原子力技術者や医学者など『専門家』の動きは、チェルノブイリ事故後のそれらの人々の動きを再現したかのようであった。
大震災発生の翌日(3月12に日)には、最も危険視されていた炉心溶融(メルトダウン)がすでに起こっていたことを私達市民は2カ月後の国会討論を通じてしらされた。放射能の雲(ブルーム)がたなびいて行った高線量汚染地域の住民たちは、そのメルトダウンの事実を知らされることなく、日常の暮らしを続けていた。またある人々は、放射線量の低い地域から高い地域へと『避難』させられることになった。旧ソ連邦では、チェルノブイリ事故の直後、放射性物質の舞う5月の春風の中で、子供たちはメーデーのデモに参加していた。そしてより汚染の高い地域へと『避難』させられた人々がいた。」
これが民主主義を標榜する日本の実際の姿なのだ。綿貫さんのこの最後の文を結とする。
「フクシマ以前の世界に私達はもう戻れない。『脱原発』とは、原子力を減らし自然エネルギーを増やしていくという、単なるエネルギー政策上の問題ではないということを、私達は縷縷述べてきた。脱原発を『新しい思想』として根本に据えることは、価値観の転換を意味する。その新しい価値観のもとで未来を設計する中でしか、真の「希望」は生まれてこないだろう」
綿貫礼子さんは、数年前から癌を患っていた。フクシマ事故を受け、病を押していろんな提言を行ってきた。本書の本格的な執筆は2011年11月からでその時はすでに入院中であった。そして本書の最終チェックを終えて2012年1月30日この世を去った。(綿貫礼子さんを悼んで)より
椎ノ木武志 2012.3
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3月11日福島県郡山市開成山野球場で「原発いらない!3・11福島県民大集会」が開催された。県外からも多数の団体、個人が参加した。(主催者発表15000人)
昨年9・19さよなら原発大集会で、大江健三郎さんは、
「私達日本人は、これからもさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗する意思を持っている。その意思を、想像力を持たない政党の幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために、私たちに何が出来るのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないのであります。しっかりやりましょう」と結んだ。
今回大江さんは、何も変わらない福島の現状や、原発再稼働に舵を切る政権にいらだちを感じながら、(私にはそう見えた。余り聞こえなかったので確かではないが)「倫理で立ち向かわねばならない」で結ばれたと思う。大江さんの言う「倫理」とは何かと思い、9・19にも出てきた「想像力」、と「倫理」をキーワードにしてその意味するところを探してみた。これではと思う大江さんのものと思われる(出所不明)文章を記す。
「その私がいま、目の前に大きい手掛かりとして見るのが、南原繁の『倫理的想像力』です。過去に大きいあやまちをおかした、失敗した、その記憶、責任を担いながら、現実に新しくたちむかう。現実をつくりかえ、これはもう動かしがたいという既成観念や制度の決定をひっくり返す。そして、いくらかでも人間らしい現実を、未来に構築しようじゃないかという、とする想像力です。」ずいぶん前の文章のようだけれど、まさに今日を見透していたように思える。
フクシマからの発言は発言と言うより悲鳴に聞こえた。子供と山形県米沢市に避難した女性は、夫は福島に残って働き自分は毎日福島の職場に通っているという。二本松の有機農業者や飯館村の農民は農地を突然奪われた悔しさ、怒りを吐き出した。さらに高校生、漁業者と、叫びは続いた。ここでは農地のからの放射性物質の除去、そしていわゆる「ふるさとに戻るための除染」、今一大キャンペーンが張られているいわゆる瓦礫処理の問題、そして低線量被曝について考える。
農地の再生にはおおくの方が取り組んでいる。たとえば、栃木県の稲葉さん率いる民間稲作研究所(ここは長らく有機稲作の技術の研究、開発に取り組んできた全国有数の機関)の場合。土中で土に吸着しないで水に溶けているセシウムを、春から秋にかけての大豆、ひまわりの栽培収穫、秋から冬、春にかけての菜種の栽培収穫という一連の工程の中で土中のセシウム濃度を下げ、そのサイクルの中に稲、麦の栽培を組み込。さらに水田に引き込む水のセシウム濃度を下げるために取り入れ口に何層にももみ殻ネットを置いて、それにセシウムを吸着させる。
大豆や、ひまわり、菜種は搾油して販売することで、この事業に持続性をもたせる。(セシウムは水に溶けた状態で存在するので油には混入しないことは実証済みのようだ)。また長年遺伝子組み換え作物の問題に取り組んでこられた河田昌東さんは、チェルノブイリでの経験。菜種と他の有用作物との組み合わせでセシウム濃度を下げ菜種油を農業機械の動力に使うということを提唱されている。
彼らは一様に土を剥ぐという工業的発想には反対している。それは長年育てた子供のような存在の土に対する百姓の気持ちを全く解さない発想でしかない。
その他現地では、先の見えない中で、まさに地を這う取り組みがなされている。絶望の淵から立ちあがった人々にただ頭を垂れるしかない。しかしこれも比較的低線量の農地だからこそである。高濃度汚染地帯は手の付けようがない。さらに田や畑から取り除いた放射性物質の処分の問題。本質的には場所の移動でしかない。つまり何も終わらない。放射性物質の拡散、汚染とはこういうことだ。
除染について。確かに緊急避難的に、特に、子供たちに関係するところの放射線量を減らすことは必要だと思う。しかし政府の発表では、帰宅できる目安の20ミリシーベルト以下の地帯で比較的線量の高いところから始め、10ミリシーベルト以下を目指すという。もっとも将来は年間1ミリシーベルトを目指すと付け足してはいるが。この判りにくい基準の問題については、ここではふれない。
福島の浜通り(原発のある海側)と仲通り(福島市や郡山市など)の間は山林地帯が広がっている。対象面積から森林は除かれている。政府は除染作業の前後の数値で効果を強調しているが、雨が降ればいくらでも水に溶けたセシウムが流れてくる。新聞報道では地元の8割の人が「効果なし」と思っている。それが実感だろう。
こんなエピソードも伝えられている。「各自治会に除染費用として50万円が配られたが、効果がないと分かっていたので、自治会として、お金を返すことにした(その決断もすごい!)が、返せないという。だったら何か他のことに使おうと考えたが、除染以外には使えないということで、高圧洗浄機とデッキブラシを買うことになってしまった!」
地域での「除染」の実態が垣間見られる。政府は「避難されている方に1日も早く帰ってもらいたい」とのべ、広野町は早々と役場機能を元の場所に移すという。南相馬市は、2年間で400憶円の除染をゼネコンに一括発注するという。費用は一軒当たり70万~200万。また放射能モニタリングポストの周りだけ除染しているという(飯館村)ような情報もある。為にする行為ほど命をもてあそぶモノはない。ここにあるのは、故郷に帰りたいという人々の気持ちにつけこんだ、原発終息へ幕引きをしようという思惑と、行政機関のための行政だ。
私が最も恐れるのは、除染後出てくるであろう線量についての、いろんなエセ情報だ。それは時に健康被害に直結するからだ。
政府、各自治体に今求められているのは、何よりも命を大切にすること。人々の健康確保ではないだろうか。県外に行きたい人が経済的な負担なく、安心して行けるようなシステム作りこそ急務だ。福島県が消えても、それは仕方のないことではないか。それだけのことが起きた(起こした)のだから。
除染後の膨大な量の汚染水は川を汚染し海に行き、生物を通して戻ってくる。はぎとった大量の汚染土は、仮置き場に30年おいといて県外に出すなどと軽々しく約束している。一体どこへ。ここでもやはり何も終わらないのだ。
瓦礫処理について。今政府、マスコミ一丸となって、震災瓦礫の広域処理に動いている。それに反対するものは非国民と言われそうな、ムードさえ漂わせながら。(今福島では「福島のことを大切に思うなら、原発とか放射能という言葉は口にするな」という締め付けが陰に陽におこなわれ、とても重苦しい状況にあるという。)
その大きな狙いは、第一に原発の現状から国民の眼をそらすことにある。「東北復興」を旗印に掲げ、「絆」を合言葉に国民を総動員する。そして原発に反対する人々との間に対立を作り孤立させ、抑え込む。
―原発の終息宣言を出したものの、メルトダウンした核燃料の把握の目途は立たず、配管からの放射能漏れや汚水漏れ、が続いている。さらに4号機の燃料プールは、地震での崩壊の危険さえある。このことから国民の眼をそらしを、そして原発再稼働の動きを加速させること(大飯原発の再稼働の山が4月に来るのかもしれない)ーこれこそ「震災瓦礫」の広域処理キャンペーンの隠された意図だ。
原発推進や再稼働の主張を展開する石原東京都知事が真っ先に手をあげたのはその象徴だ。東京都は、瓦礫処理を「東京臨海サイクルパワー」と契約した。この会社は東電の95、5パーセント子会社だ。さらに応募条件を満たす会社はその1社というやらせ受注だそうだ。東京都はこの契約をしただけで1億手にし、企業には140憶入るという。費用はすべて税金である。
また鹿島建設を中心とする大手ゼネコン9社が瓦礫処理を2000憶円で受注した。鹿島は東北電力女川原発の1号機~3号機までの建設を請け負った企業だ。
「国民がひとつになっての東北の復興」などという美辞麗句の裏では、政治と金にまつわる利権が渦巻いている。それゆえ、東北の自治体の独自の処理を認めず、細かな分別の中でのリサイクルの動きを封じて、広域処理をしようとしている。これが第2の問題だ。そして第3にばら撒きそのものの問題。
環境省によると8000Bq/㎏とは放射性物質汚染対処特措法に基づく指定基準で、廃棄物を安全に処理するための基準としている。一般的な処理法で(産業廃棄物や家庭ごみと同じように)処理できるとしている。ただ100Bq/㎏まではコンクリートなどの原料としてリサイクルできるが8000Bq/㎏までのものは処理の後、空気中に飛散しないように処分場などの土中にうめるなどの管理が必要としている。しかしこの8000という数字の根拠はほとんど示していない。
ただ以下の文がある。[昨年10月に来日したIAEAのミッションの最終報告書では「放射性セシウム8000Bq/㎏以下のモノについて、追加的な措置なく管理型処分場で埋め立てを実施することについて、既存の国際的な方法論と完全に整合性がとれている。」] つまりIAEA(国際原子力機関)からお墨付きをもらっているというのである。
IAEAとは何なのか。少し見てみる。最近ではいわゆる北朝鮮やイランの核開発疑惑に対して査察に入ったなどとして登場している。しかしおかしなことに国としては認めていないが、事実上核兵器を持っていると言われているイスラエルには入らない。このこと一つみてもその性格は分かる。
元々は軍事目的で開発された核の産業エネルギーとしての利用をうたった1953年のアイゼンハワー米大統領の演説に基づき、国連関連機関として57年に設立された原発推進機関なのだ。原発推進省庁である経産省の中に安全性を管理する保安院があることの問題性が問われてきた。(実際、安全の仮面をかぶって原発を推進してきたことが明らかになっている。)IAEAも同じ性格を持っている。チェルノブイリ原発事故においては、その調査、評価を主導し、特に一貫して被害の過小評価をしてきた組織なのだ。このような組織の「お墨付き」を信用できないのは当然だろう。
ちなみに武田邦彦氏(中部大学)の、ベクレルとシーベルトの関係式によると(もちろんおおよその概算ですが)土壌中のセシウム3000Bqは1μsv/h、10000Bqは2μsv/h。年間に直せばそれぞれおおよそ8.7msv 17.4msvとなる。8000bqという数字は結構高い値なのだ。
ここにも命を大切にしないモノがいる。カレらはすでに述べたような意図を背後に隠しながら、放射性物質を全国(沖縄まで)にばら撒こうとしている。全国いたるところにいわゆるホットスポットが出現する。(幸いにも福島から遠く離れていて汚染されていないところまでも)さらに焼却を原則としている。空気中に放出されるものについてはバグフィルターで100%近く除去できると言っているがそれは机上での話であって、実際の作業現場はおそらく目詰まりその他の問題が発生するだろう。その時果たしてマニュアル通りなされるだろうか。この種の問題はいくらでもある。
しかしこと放射能については取り返しがつかないのだ。ここのところは次の低線量被曝の問題に繋がっていく。
瓦礫の処理についてはいろんな方が提案されている。たとえばたんぽぽ舎の方は
「 海岸線の土地については、特に津波被害の大きかった地区については防災用 地として国が買い上げ、その場所に瓦礫をセメント固化した構造物を作り、そ の上を盛り土し、鉄道用地や道路用地にするというアイディアが、とっくに自治体や専門家などから出されていました。 4月か5月にもそういう方針を地元と協議して決めて、すぐに作業に着手して いれば今頃は相当程度進んでいたはずです。 その遅れの責任を『瓦礫広域焼却処分』に押しつけるなど、到底容認できる わけがありません。 いまからでも、そのような方法に着手すべきです。
まず瓦礫を焼却するのであれば、その施設は地元に作り、原発にあるような 放射性廃棄物を処理する能力を持つ設備を作り、ここから出るセシウムはセメ ント固化して東電に返すことです。 さらに福島県内など高い汚染の瓦礫は、そのままセメント固化して原発内部 の防潮堤などの基礎材に使うことです。
こういう原理原則を実行してもなお、広域処分をせざるを得ないのならば、 東電管内で焼却では無くセメント固化などの安定化処理をすべきと考えます。」と述べている。
また瓦礫の量は阪神大震災に比べてもそれほど多くはないと言われている。地元での処理を原則とし、そのための創意工夫で回りはいろんな形でバックアップしていくということではないだろうか。
一日に何度復興という言葉を聞くだろう。いまその中身を問いなおす必要があると思う。復興庁の復興資金に、金の亡者たちが集まりバッコするようなことにしてはならない。本当に必要な物とそうでないモノとの厳密なより分け。
さらに重要なことは単に元に戻すということでなく、これまでの物質的豊かさ中心の生活(作る側も消費する側も)を見直し、命を大切にし精神的豊かさや自然との共生、そして何より未来につながる生活の、社会の、新たな創造でなければならない。失ってしまったからこそできる新たな創造の形を東北の地から発信することこそなすべきことだと私は思っている。
低線量被曝の問題について。これまで低線量被曝については主に癌発生の可能性の問題として論じられてきた。綿貫礼子さん。肩書きはサイエンス・ライター専門分野は環境学,生化学、平和研究、エコロジーである。綿貫さんはチェルノブイリ以後25年にわたって未来世代への放射線健康影響について女性の視点で追跡調査を続けてきた人だ。
彼女の編・著になる「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」では、まず低線量被曝の問題を癌だけでなく、それ以外の、特に未来に繋がる生殖機能の障害に目を向けるべきだという。
(チェルノブイリの調査で)「汚染地域の女性たちには、甲状腺機能障害、自己免疫疾患、免疫能の低下、月経・ホルモンバランスの乱れ、妊娠時の合併症などが増加していることが判明した」さらにこれらのことの長期にわたる実証的報告が綿密に展開されている。そして今の社会を「未来世代の死をも平然と容認しながら、そのような犠牲を課すことによって、今日の世代が物質的豊かさの甘い汁を吸いえている」「それが、生命の文化とは程遠いものであるのは、当然である」と告発する。
低線量被曝について、「エピジェネティクスは、DNAそのものの損傷とは無関係に、本来はその遺伝情報によって作用すべき遺伝子が作用しなかったり、とんでもない時に作用したりするという、遺伝子発現の撹乱が病気の発生に関係するのではないか」という。「エピジェネティクス」とは「“遺伝子の構造(DNA配列、基本的な遺伝情報)を変えることなく、遺伝子発現(遺伝子の作用のオン/オフ)をコントロールする概念や作用”」低線量被曝においてはDNAが直接損傷しなくても、癌やその他の障害が出る恐れを警告している。
さらにチェルノブイリの経験として次のように述べている。
「繰り返しになるが、チェルノブイリの経験から言えることは、まず実際に起こっている出来事、健康被害の現状を先入観なしに受け止めることが重要であろう。フクシマ後に『放射線専門家』が繰り返し述べていた『100ミリシーベルト以下では影響が無い』『チェルノブイリでは小児甲状腺ガン以外の健康被害は出ていない』といった偏った予備知識を、前提にしては、現実は見えてこない。IAEA、WHO、UNSCEAR(国連科学委員会、注私)などのチェルノブイリ報告書において述べられていることも、『健康悪化の状態は存在しない』というよりは、起こっている健康被害の状態が『放射線の影響とは証明できていない』ということであり、それは『放射線の影響ではない』こととは異なる問題である。子供たちに生じている健康被害の原因について、初めからあらゆる可能性を排除せずに原因を追及しようという姿勢がなければ、見つかるものも見つからない」
少し長かったがとても気にいったのでそのまま引用した。以降は大幅に省略する。以下あとがきから
「本書で述べてきたように、フクシマ事故後に示された日本の政治家、そして原子力技術者や医学者など『専門家』の動きは、チェルノブイリ事故後のそれらの人々の動きを再現したかのようであった。
大震災発生の翌日(3月12に日)には、最も危険視されていた炉心溶融(メルトダウン)がすでに起こっていたことを私達市民は2カ月後の国会討論を通じてしらされた。放射能の雲(ブルーム)がたなびいて行った高線量汚染地域の住民たちは、そのメルトダウンの事実を知らされることなく、日常の暮らしを続けていた。またある人々は、放射線量の低い地域から高い地域へと『避難』させられることになった。旧ソ連邦では、チェルノブイリ事故の直後、放射性物質の舞う5月の春風の中で、子供たちはメーデーのデモに参加していた。そしてより汚染の高い地域へと『避難』させられた人々がいた。」
これが民主主義を標榜する日本の実際の姿なのだ。綿貫さんのこの最後の文を結とする。
「フクシマ以前の世界に私達はもう戻れない。『脱原発』とは、原子力を減らし自然エネルギーを増やしていくという、単なるエネルギー政策上の問題ではないということを、私達は縷縷述べてきた。脱原発を『新しい思想』として根本に据えることは、価値観の転換を意味する。その新しい価値観のもとで未来を設計する中でしか、真の「希望」は生まれてこないだろう」
綿貫礼子さんは、数年前から癌を患っていた。フクシマ事故を受け、病を押していろんな提言を行ってきた。本書の本格的な執筆は2011年11月からでその時はすでに入院中であった。そして本書の最終チェックを終えて2012年1月30日この世を去った。(綿貫礼子さんを悼んで)より
椎ノ木武志 2012.3
by halunet
| 2012-03-24 12:39
| 原発と核