2010年 12月 28日
コザ・沖縄で40年前におきたこと |
海鳴りの島から
沖縄・ヤンバルより…目取真俊ブログから抜粋
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/447e7ec816a13f7e7b7c88affac21a2a
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「コザ騒動」は騒動、暴動、事件、蜂起、決起などいくつもの表現が使われるが、80台以上ともされる米人車両が焼かれ、基地内の学校施設まで放火された事態の大きさを見ると騒動という言葉では軽すぎる。あれほどの騒ぎの中で一定の秩序が保たれていたことを考えると暴動も適切ではない。事前の準備や計画がなく自然発生的に起こったことを見れば蜂起、決起という言葉とも少し違う。既成の言葉ではうまく言い表せない複雑さ、多様性を持っていることが「コザ騒動」の特色であるのだろう。
「コザ騒動」が起こった1970年前後は、安保・沖縄闘争やベトナム反戦闘争、学園紛争が盛んだった時期であり、全国で激しい闘争が行われていた。それらの闘争の担い手は学生や組織労働者が主であったが、「コザ騒動」は違う。米軍資料で7000名とされる参加者はコザの庶民が主であり、ふだんは米兵を相手に商売をしている飲み屋の店員も多かった。多様なウチナンチューが米軍犯罪や高圧的な支配への怒りと同時に、基地に依存して生活している矛盾を抱えながら、一夜の火柱を噴出させた。
その時に放たれた火は、今も多くのウチナンチューの心の底に消えずに残っていて、変わらない基地の現実や傲慢な米軍、日本政府の姿勢をにらみながら燻り続けているように思う。「沖縄のマグマ」ということが言われるとき、それが噴出したイメージとして多くの人が抱くのは、やはり「コザ騒動」だろう。
by halunet
| 2010-12-28 00:45
| 沖縄