2010年 07月 16日
市民力アップの自治講座に向けて思うこと |
はるきよしあき
人は1人だったら自分のおもうままに、好き なようにふるまっていてもなにも問題がない。しかし2人だったらそうはいかない。お互いの気持 ちや考えの違いはたちまちあらわになって、それ を調整しなくては何事もうまくいかない。喧嘩になることも時にはある。夫婦の ことを思えば実感ですね(笑)。それが3人にな ると更にそれは複雑に、難しく...。4人、5人、 10人、100人、1000人と人が暮らすのが地域社 会だとすると、その複雑さは考えてみると恐ろしいほどです。しかしそれをなんとか平穏のう ちに暮らしているのがボクたちです。 なぜ酷い争いにならないで暮らしていけるのかか、ちょっと不思議なくらいです。
きっとそこには様々 な秩序維持の装置が張り巡らされているのでしょう。いったいその装置とは何なのでしょう。人間が長い 歴史の中で戦争や犯罪や様々な失敗のなから学んできて、その中から少しずつ編み上げたものであるのは確かでしょう。
力の強い者が弱い者を押さえつける力の秩序が長く続いてきました。腕力から武力に発展
し、経済力も加わって新自由主義の信仰者が多い今も続いているのです。
力のあるものが秩序を作り上げる世界が続くと人類は、どうなるのか?地球はこれ以上の環境の悪化に地球は耐えられるのか。格安石油エネルギーのぐい飲みで成り立つ 経済はすでに行き止まり直面している。戦争がこれ以上つづけば人類の自滅は避けられない。
平穏な暮らしに見えて、実はボクらはいつの間にかそんな場所に立っている。そうした中で
「力への信仰」に未来はないことを人間は理解しはじめています。
自分の利益を最優先にしては、自分の利益も守れない。生き延びるためには公共性をもと
に、自分のことを、「私」を殺さないで、その中にどうやって組み込むかを考える時代になっ
ているような気がします。「財政危機」とか「財政健全化」という言葉の裏には、これまでの
政治や経済のパラダイム(思考の枠組み)ではどうにも動きの取れなくなった現実が見えてき ます。
6月19日の市民シンポジウムには100名ほどの市民が参加してくれましたが、そうしたパラダ イムシフトをあからさまに意図して行なったわけではありません。しかし共同体から解き放た れたはいいけれど、きたるべき共同体や公共性を見つけあぐねるボクたち市民が、新しい繋が りのきっかけを探す一つの試みだったのだと思います。ここから自治体のパラダイムスフトが 始まったことは確かではないでしょうか。市民が主人公であるためには市民が主権者として自 覚的でなくてはならないし、行政や議会に依存しないでも済むだけの、ほどほどの知識や情報 が必要です。それを市民力とボクらは呼びます。そんなに生やさしくはないだろうと思われる 未来を生き延びる力です。
そしていま「市民力アップの自治講座」の企画検討に入っています。毎月一回の専門講師によ る勉強会を中心に、世代や地域を超えて、柔軟に幅広く市民が繋がっていける議論や交流の広 場となっていければな、と考えています。みなさんの参加をお待ちしています。
(わくわく村新聞 7月15日発行からの転載)
人は1人だったら自分のおもうままに、好き なようにふるまっていてもなにも問題がない。しかし2人だったらそうはいかない。お互いの気持 ちや考えの違いはたちまちあらわになって、それ を調整しなくては何事もうまくいかない。喧嘩になることも時にはある。夫婦の ことを思えば実感ですね(笑)。それが3人にな ると更にそれは複雑に、難しく...。4人、5人、 10人、100人、1000人と人が暮らすのが地域社 会だとすると、その複雑さは考えてみると恐ろしいほどです。しかしそれをなんとか平穏のう ちに暮らしているのがボクたちです。 なぜ酷い争いにならないで暮らしていけるのかか、ちょっと不思議なくらいです。
きっとそこには様々 な秩序維持の装置が張り巡らされているのでしょう。いったいその装置とは何なのでしょう。人間が長い 歴史の中で戦争や犯罪や様々な失敗のなから学んできて、その中から少しずつ編み上げたものであるのは確かでしょう。
力の強い者が弱い者を押さえつける力の秩序が長く続いてきました。腕力から武力に発展
し、経済力も加わって新自由主義の信仰者が多い今も続いているのです。
力のあるものが秩序を作り上げる世界が続くと人類は、どうなるのか?地球はこれ以上の環境の悪化に地球は耐えられるのか。格安石油エネルギーのぐい飲みで成り立つ 経済はすでに行き止まり直面している。戦争がこれ以上つづけば人類の自滅は避けられない。
平穏な暮らしに見えて、実はボクらはいつの間にかそんな場所に立っている。そうした中で
「力への信仰」に未来はないことを人間は理解しはじめています。
自分の利益を最優先にしては、自分の利益も守れない。生き延びるためには公共性をもと
に、自分のことを、「私」を殺さないで、その中にどうやって組み込むかを考える時代になっ
ているような気がします。「財政危機」とか「財政健全化」という言葉の裏には、これまでの
政治や経済のパラダイム(思考の枠組み)ではどうにも動きの取れなくなった現実が見えてき ます。
6月19日の市民シンポジウムには100名ほどの市民が参加してくれましたが、そうしたパラダ イムシフトをあからさまに意図して行なったわけではありません。しかし共同体から解き放た れたはいいけれど、きたるべき共同体や公共性を見つけあぐねるボクたち市民が、新しい繋が りのきっかけを探す一つの試みだったのだと思います。ここから自治体のパラダイムスフトが 始まったことは確かではないでしょうか。市民が主人公であるためには市民が主権者として自 覚的でなくてはならないし、行政や議会に依存しないでも済むだけの、ほどほどの知識や情報 が必要です。それを市民力とボクらは呼びます。そんなに生やさしくはないだろうと思われる 未来を生き延びる力です。
そしていま「市民力アップの自治講座」の企画検討に入っています。毎月一回の専門講師によ る勉強会を中心に、世代や地域を超えて、柔軟に幅広く市民が繋がっていける議論や交流の広 場となっていければな、と考えています。みなさんの参加をお待ちしています。
(わくわく村新聞 7月15日発行からの転載)
by halunet
| 2010-07-16 20:53
| 北杜市