2009年 11月 20日
なぜ今さら司馬遼太郎なの? |
これは書評ではなく、自分の頭に浮かんだ事を書いたものです。
司馬遼太郎は実はほとんど読んだことがないのです。なぜか「空海の風景」だけは(松岡正剛さんの推薦リストにあったためだと思うんですが)昔読んでいます。 この空海がテーマの、小説というよりNHKの教育TVの番組のようなだなという印象を憶えています。他にはそれこそ教育TVで司馬遼太郎のインタビューや紀行ものはよく観ていました。その中で記憶にのこっているのは「天皇=空論」と「愚劣昭和初期論」です。なんとなくそれを聞いてもそう抵抗感もなく、けっこうリベラルなんだなと思ったり(!)。「明治はりっぱ、日露戦争まではよかった」というのは何か変だとは思いながらもそれ以上は気にしていなかったものです。
こんど岩倉博さんの「異評 司馬遼太郎」を読んでずいぶんと色々なことに気づかされました。実にお恥ずかしいことですが、一つだけ挙ると、司馬史観といわれているものはかなり怪しいものだということ。小説の構成がいわば歴史のドキュメンタリーだと思わせるところから、エンタテイメントを歴史そのものだと勘違する。博学雑学で人はすぐ騙されるんですね。
明治は素晴らしい(祖国防衛)明るい時代だった。それにひきかえ昭和初期はヒドい(侵略戦争)時代。そして戦後はどうなんでしょう?大雑把にこれが司馬史観だとすれば、これはかなりフィクショナルだという気がしてきます。岩倉さんの分析ではこうした歴史観には「天皇制の擁護」をあまり右翼的、時代錯誤的にではなく、合理主義的にスマートにやるこねらいがあったとお考えのようです。
それほど司馬遼太郎は「天皇」にこだわった人とは知らなかったけれど、確かに「天皇制」をどうとらえるかで日本の近現代史の書き方がまったく変わってしまうほどの、大きなポイントだというのは確かだと思う。
「司馬は死してなお生かされ、生かされることで国民に偏頗な歴史だけが残されるのは、我慢がならない。」(本書P21)岩倉さんの言葉ですが、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映の前日に、この小説をテーマに岩倉さんのお話を聞く機会があります。司馬ファンも司馬嫌いの方も、どちらでもない方も、お見逃しなく。
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by halunet
| 2009-11-20 22:20
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