2009年 06月 01日
「わくわく」祭りとベーシックインカムのこと |
きのう31日、朝から雨が降ってどうなることか、と思いましたが、森の中は別世界のお祭り広場になっていきました。夕方からBIをテーマにしたトークイベントを敢行。たぶんこうした形でBIが話されるのは山梨県では初めての事かも知れません。BIは専門的な知識がなくても話したり考えたりできるのがいいところだと、ボクは思うんですが(知識がいらないということではないですよ)。できればもっとみんなの感じている事を聞きたかったです。
それに先んじて、月1で発行している「わくわく村しんぶん」5月号に投稿したものを転載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
BIカフェへようこそ!
はるきよしあき
ベーシックインカムとは何ぞや?それを実行するとボクらの生活はどうなる? まだ日本のメジャーな争点には登場してきていませんが、これは遅かれ早かれ日本や世界が抱えた様々な難問を解決するための糸口として、注目せざるを得ない構想だろうと思います。
BIのことを知ってる人も知らない人も、お茶でも飲みながらしばらく話の輪をつくってみませんか。
(小淵沢/蔵屋グリーンズの森がお祭りの会場)
まず言葉の説明から。BIとはベーシックインカムのことです。Basic Income、基礎となる収入/所得ということですが、Wikipediaによると「最低限所得保障。すべての個人にベーシックニーズを満たす
一定額の所得を給付する制度・構想」とあります。
要するに、食べていく、生きていくために必要なお金を政府が保障しようということですが、そんなの既にお墓にはいった社会主義の亡霊じゃないの、と思う人がいるかもしれません。ボク自身、右に向いていた頭をいきなり左に向けさせられたような(左と右は逆でもいいんですが)軽いめまいのようなものを、BIを紹介する文章を読んだ時感じたものでした。でも理想主義者の時代遅れのたわごととは思えない。これこそみんなが待っていたものかもしれないとだんだん思えて来ました。
この考えにはかなり歴史があるようで、ポッと思いつきで言い始めたわけではないようです。ボク自身は一年ほど前に知ったことですが、1986年にBI欧州ネットワークがスタートしています。いまはBI地球ネットワーク(BIEN)となって発展しています。
そのBIENのベーシックインカムの定義を見てみましょう。
「ベーシックインカムとは、無条件で全員に対して個人単位で交付される所得であって、交付にあたっては資力調査や就労要件がない」
この中にBIのポイントが二つあるのが分かります。
・無条件
・個人単位
昔流行った言葉にマルビ・マルキンとかいうのがありましたが、ビなのか金なのかは問わない。失業しているとかしていないとかも問わない。だからそうした調査もしない。
そして個人単位と世帯単位が混在しているのが今の日本の給付制度だけれど、これは徹底して個人単位で行うということ。
しかし、なぜ無条件なのか?それは生きてその場所(国)に存在しているということがBI支給の唯一の条件だからです。お金を稼ぐ仕事をしているかどうかも条件には入らないわけですから、いい歳して就職しない人にもこれは支給されるものなわけです。
自分で汗流して働いてお金をもらって生活するのが一番まっとうな人間の道だとみんな信じているこの国で、これはとんでもない考えと思われてしまうか、それとも案外そうだそうだとなるか、これは面白いポイントだろうと思います。
この辺を「すべての人にベーシックインカムを」の著者のゲッツ・ヴェルナーはこう言っています。
<私たちの基本的人権の依拠するところはまったく単純です。それは、額に汗して働くことにあるのではなく、この世に生存していること、唯一それだけにもとづくのです。>
豊かな社会なのに、基本的な生活のお金を稼いでいくのがとても難しい社会になっているのかもしれないのです。それを格差社会というのかもしれませんが、雇用によってそれを解消できるという段階はとおに過ぎたのだとすれば…これをやるしかない。BIです。
それに先んじて、月1で発行している「わくわく村しんぶん」5月号に投稿したものを転載します。
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BIカフェへようこそ!
はるきよしあき
ベーシックインカムとは何ぞや?それを実行するとボクらの生活はどうなる? まだ日本のメジャーな争点には登場してきていませんが、これは遅かれ早かれ日本や世界が抱えた様々な難問を解決するための糸口として、注目せざるを得ない構想だろうと思います。
BIのことを知ってる人も知らない人も、お茶でも飲みながらしばらく話の輪をつくってみませんか。
(小淵沢/蔵屋グリーンズの森がお祭りの会場)
まず言葉の説明から。BIとはベーシックインカムのことです。Basic Income、基礎となる収入/所得ということですが、Wikipediaによると「最低限所得保障。すべての個人にベーシックニーズを満たす
一定額の所得を給付する制度・構想」とあります。
要するに、食べていく、生きていくために必要なお金を政府が保障しようということですが、そんなの既にお墓にはいった社会主義の亡霊じゃないの、と思う人がいるかもしれません。ボク自身、右に向いていた頭をいきなり左に向けさせられたような(左と右は逆でもいいんですが)軽いめまいのようなものを、BIを紹介する文章を読んだ時感じたものでした。でも理想主義者の時代遅れのたわごととは思えない。これこそみんなが待っていたものかもしれないとだんだん思えて来ました。
この考えにはかなり歴史があるようで、ポッと思いつきで言い始めたわけではないようです。ボク自身は一年ほど前に知ったことですが、1986年にBI欧州ネットワークがスタートしています。いまはBI地球ネットワーク(BIEN)となって発展しています。
そのBIENのベーシックインカムの定義を見てみましょう。
「ベーシックインカムとは、無条件で全員に対して個人単位で交付される所得であって、交付にあたっては資力調査や就労要件がない」
この中にBIのポイントが二つあるのが分かります。
・無条件
・個人単位
昔流行った言葉にマルビ・マルキンとかいうのがありましたが、ビなのか金なのかは問わない。失業しているとかしていないとかも問わない。だからそうした調査もしない。
そして個人単位と世帯単位が混在しているのが今の日本の給付制度だけれど、これは徹底して個人単位で行うということ。
しかし、なぜ無条件なのか?それは生きてその場所(国)に存在しているということがBI支給の唯一の条件だからです。お金を稼ぐ仕事をしているかどうかも条件には入らないわけですから、いい歳して就職しない人にもこれは支給されるものなわけです。
自分で汗流して働いてお金をもらって生活するのが一番まっとうな人間の道だとみんな信じているこの国で、これはとんでもない考えと思われてしまうか、それとも案外そうだそうだとなるか、これは面白いポイントだろうと思います。
この辺を「すべての人にベーシックインカムを」の著者のゲッツ・ヴェルナーはこう言っています。
<私たちの基本的人権の依拠するところはまったく単純です。それは、額に汗して働くことにあるのではなく、この世に生存していること、唯一それだけにもとづくのです。>
豊かな社会なのに、基本的な生活のお金を稼いでいくのがとても難しい社会になっているのかもしれないのです。それを格差社会というのかもしれませんが、雇用によってそれを解消できるという段階はとおに過ぎたのだとすれば…これをやるしかない。BIです。
by halunet
| 2009-06-01 22:28
| ベーシックインカム