2009年 05月 22日
イスラエルに未来があるとすれば… |
山梨の久松です。先日のユダヤ平和ニュースで、ナクバを追悼すると処罰するという法案が提出されたことを、紹介しましたが、そのとき、「ナクバ」の事実をイスラエル人に知らせようと設立された「ゾッホロート」(本当に発音は、これでいいのかわかりませんが?)というNGOのサイトのことが紹介されていました。そこでその「ゾッホロート」から、「平和と和解のための条件としてナクバを学ぶこと」というノーマ・ムーシさん(発音が分かりませんので、仮表記)の文章読んでみました。とても興味深かったので、訳してみました。もしイスラエルに未来があるとすれば、そして和解が可能とすれば、ノーマさんのいう方向しか、ありえないように思います。イスラエル
でどのくらい読まれているのか、わかりませんが、アミラ・ハスさんの報道記事や「ゾッホロート」の活動は、とても貴重なもので、紹介する価値があると思いました。富める国の「不寛容」と軍国主義化を止めなければ、世界の平和はないように思えます。ゾッホロートは、「思い出すこと」という意味のヘブライ語の女性形であるとのこと。これも、僕にはとても示唆的でした。
ゾッホロートのサイト↓
http://www.zochrot.org/index.php?lang=english
平和と和解のための条件としてナクバを学ぶこと
ノーマ・ムーシ
イスラエルのユダヤ人、あるいは少なくとも彼らのうちのほとんどは、1948年に起こったパレスチナ人の大惨事、ナクバについて、まったく知らずに暮らしているか、あるいはそれを否定さえして暮らしている。ナクバは、イスラエルでは、その言葉、風景、環境そしてユダヤ共同体の記憶のなかで、まったく存在する余地がない。
イスラエルを旅すれば、人は、イスラエルのユダヤ人の物語り(ナラティブ)を作り出し、支持する道路標識や史跡や記念碑を目にするだろう。2000年以上前に起こったイスラエルのユダヤ人の出来事は、これらの記念碑で、褒め称えられている一方、パレスチナ人の記念碑は、どこにも見当たらない。さらには、この記憶を集合的意識や風景から消し去ろうとする企てがある。ユダヤ人は、砂漠を花咲く国に変えるためにイスラエルにやってきた。なぜなら私たちは、民なき土地に帰ってきた土地なき民なのだから、と私たち、ユダヤ人は、学校で教えられている。
ゾッホロートは、イスラエルのユダヤ人にパレスチナ人のナクバを紹介し、ナクバをヘブライ語で表現し、言葉と環境のなかに、ナクバのための場所を可能にすることを目的とするNGOである。これは、主導権を握っているシオニストの記憶に対抗してオルタナティブの記憶を促すためである。ナクバとは、村や町の破壊、殺戮、排除、パレスチナ人の文化の抹消といった、パレスチナの人々が受けた大惨事のことである。しかし、ナクバは、イスラエルに住み、「勝者」であることの特権を享受している、私たち、ユダヤ人の物語でもある。
ゾッホロートは、2002年の初頭に設立され、その主な目標は、パレスチナ人のナクバの知識をイスラエルのユダヤ人に授けることである。私たちの仕事の基本的前提のひとつは、ナクバは、ユダヤ-パレスチナ紛争の「グラウンド・ゼロ=爆心地」であるということである。イスラエルのユダヤ人が、ナクバに気づき、認め、そしてこの悲劇に対して責任をとることは、パレスチナとイスラエルの人々の間の闘争を終わらせ、和解のプロセスを始めるためには、不可欠なことである」
ゾッホロートは、この目標に近づくために、たくさんのやり方で活動している。そのすべての活動のうちで、もっともユニークで人目を惹く活動は、ユダヤ人とアラブ人のために1948年に破壊されたパレスチナの村へのツァーを組んだことである。これらのツァーの間、私たちは、破壊された村々のさまざまな現場を記念する証拠を示し、それらの一つ一つについてより詳しい説明を行う。村の歴史の知識は、難民やその家族によって提供され、廃墟と化した村についてできるだけ多くのことを明るみに出すような試みがなされる。その村は、どんな様子だったのか、またそこでの暮らしはどんなものだったのか、を参加者がわかるのは、こうした物語を通してなのである。このイベントは、その土地の歴史的・集合的記憶を確立するうえでも重要なのである。
そのツァーは、パレスチナ人とユダヤ人では、異なった意味を持っている。パレスチナ人にとっては、このイベントは、彼らがかつて住んでいた場所へと時を遡る旅である。ユダヤ人にとっては、そのツァーと現場での追悼は、視界から隠されていた記憶を明るみに出す。暴かれた記憶は、しばしばその場所についての流布しているシオニストの記憶と衝突する。もうひとつのユニークな活動は、各々のツァーごとに、ヘブライ語とアラビア語でで、特別の小冊子を作ることである。これらの小冊子は、ゾッホロートの学びのプロセスを反映している。それらは、難民による証言、村の写真、異なった資料からの歴史的背景の掲載を特色としている。
ヘブライ語でナクバを再現すること、言い換えれば、ヘブライ語で、ナクバが、語られ,書かれ得る空間を可能にすることが、ゾッホロートの野心である。この目的のために、1948年以来破壊されたすべてのパレスチナ人の村と彼らの土地の上に建てられたイスラエルの地名のデータベースを載せたウェブ・サイトが、作成された。また破壊された村々の詳しい地図や、それらの村のひとつひとつについての異なった詳細説明も載っている。そのサイトでは、ゾッホロートのさまざまな活動も紹介している。このサイトの重要性は、ウェブサーフィンをするヘブライ語読者のバーチャルな空間の中に、パレスチナ人のナクバを焼きつけることである。
私たちが、イスラエルの公衆に伝えるもうひとつの方法は、ナクバについて学びたいと思っている学生、教師、社会活動家等々のさまざまグループと一緒に、ワークショップや講演会を主催することである。これらの集会は、正確な情報を求める要求とか自分自身の無知に対する怒りとか、否定したり、誤解したり、といった参加者の異なった多くの要求を呼び起こす。参加者のこれまでの知識や価値観に挑むようなことに出会い、難しい問いが持ち上がる。われわれは、またパレスチナ難民と彼らの土地の上に住んでいるイスラエル人との出会いに取り組んできた。そうした出会いを重ねるうちに、1948年についての異なった物語り(ナラティブ)は共有され、そして双方の要求
を叶えることができる空間を創造するための機会についての討論も試みられている。
ゾッホロートとは、聞きなれない名前である。それはヘブライ語で「思い出すこと」という意味の女性形である。私立ちは、なぜ男性形のゾッホリムでなくて、ゾッホロートなのか、とよく聞かれた。シオニストの演説に見られるように、「思い出すこと」の男性形は、暴力的で、国家主義的である。ゾッホロートは、「思い出すこと」の別の形態、つまりしばしば沈黙を保ってきた別の記憶に、表現を与えるようなオルタナティブな形態を促進しようとしている。さらに、ゾッホロートは、パレスチナ人のナクバでの、女性の記憶のための空間を創造するように努めている。「ゾッホロート」という名前は、こうしたことすべてを暗示している。
ナクバを学ぶことは、イスラエルに住むユダヤ人にとって重要な道程である。それは、しばしば、知り、そして理解するという純粋な関心を反映している。しかし学びだけでは十分ではない。ナクバは、どこか他所で起きた他の人々の物語ではない。それは、イスラエルのユダヤ人としての、私たちに、責任がある物語である。責任を取ることなく学ぶことは、私には十分ではない。
私は、責任を取るという言葉で何を言おうとしているのか?起こった悲劇を認め、深く理解し、この悲劇における私たちの側の責任を取ることを言っている。つまり、追い出されたすべての難民のために、個人と集団の帰還権を認め、そして土地への帰還、補償の支払いあるいは実際の帰還の実現によって、この権利を実現することを希望すること。これらは、ナクバを学ぶことを、和解への実行可能な足がかりにする。
この立場は、イスラエルのユダヤ人にとっては分かりにくい。私たちにとって、ユダヤ人民主国家としてのイスラエルのイメージを放棄することは難しいが、危険にさらされるだろうイメージを、私たちは、帰還権を認めるために選ぶべきなのである。帰還権を認めるということは、イスラエルにおける人口バランスを変えるだろう。イスラエル国家は、現在の形態では、存続しないだろうが、この新しい状況で、生は、この土地に生きているパレスチナ人とイスラエル人の双方にとってもより良いものになるだろう、と私は信じている。
でどのくらい読まれているのか、わかりませんが、アミラ・ハスさんの報道記事や「ゾッホロート」の活動は、とても貴重なもので、紹介する価値があると思いました。富める国の「不寛容」と軍国主義化を止めなければ、世界の平和はないように思えます。ゾッホロートは、「思い出すこと」という意味のヘブライ語の女性形であるとのこと。これも、僕にはとても示唆的でした。
ゾッホロートのサイト↓
http://www.zochrot.org/index.php?lang=english
平和と和解のための条件としてナクバを学ぶこと
ノーマ・ムーシ
イスラエルのユダヤ人、あるいは少なくとも彼らのうちのほとんどは、1948年に起こったパレスチナ人の大惨事、ナクバについて、まったく知らずに暮らしているか、あるいはそれを否定さえして暮らしている。ナクバは、イスラエルでは、その言葉、風景、環境そしてユダヤ共同体の記憶のなかで、まったく存在する余地がない。
イスラエルを旅すれば、人は、イスラエルのユダヤ人の物語り(ナラティブ)を作り出し、支持する道路標識や史跡や記念碑を目にするだろう。2000年以上前に起こったイスラエルのユダヤ人の出来事は、これらの記念碑で、褒め称えられている一方、パレスチナ人の記念碑は、どこにも見当たらない。さらには、この記憶を集合的意識や風景から消し去ろうとする企てがある。ユダヤ人は、砂漠を花咲く国に変えるためにイスラエルにやってきた。なぜなら私たちは、民なき土地に帰ってきた土地なき民なのだから、と私たち、ユダヤ人は、学校で教えられている。
ゾッホロートは、イスラエルのユダヤ人にパレスチナ人のナクバを紹介し、ナクバをヘブライ語で表現し、言葉と環境のなかに、ナクバのための場所を可能にすることを目的とするNGOである。これは、主導権を握っているシオニストの記憶に対抗してオルタナティブの記憶を促すためである。ナクバとは、村や町の破壊、殺戮、排除、パレスチナ人の文化の抹消といった、パレスチナの人々が受けた大惨事のことである。しかし、ナクバは、イスラエルに住み、「勝者」であることの特権を享受している、私たち、ユダヤ人の物語でもある。
ゾッホロートは、2002年の初頭に設立され、その主な目標は、パレスチナ人のナクバの知識をイスラエルのユダヤ人に授けることである。私たちの仕事の基本的前提のひとつは、ナクバは、ユダヤ-パレスチナ紛争の「グラウンド・ゼロ=爆心地」であるということである。イスラエルのユダヤ人が、ナクバに気づき、認め、そしてこの悲劇に対して責任をとることは、パレスチナとイスラエルの人々の間の闘争を終わらせ、和解のプロセスを始めるためには、不可欠なことである」
ゾッホロートは、この目標に近づくために、たくさんのやり方で活動している。そのすべての活動のうちで、もっともユニークで人目を惹く活動は、ユダヤ人とアラブ人のために1948年に破壊されたパレスチナの村へのツァーを組んだことである。これらのツァーの間、私たちは、破壊された村々のさまざまな現場を記念する証拠を示し、それらの一つ一つについてより詳しい説明を行う。村の歴史の知識は、難民やその家族によって提供され、廃墟と化した村についてできるだけ多くのことを明るみに出すような試みがなされる。その村は、どんな様子だったのか、またそこでの暮らしはどんなものだったのか、を参加者がわかるのは、こうした物語を通してなのである。このイベントは、その土地の歴史的・集合的記憶を確立するうえでも重要なのである。
そのツァーは、パレスチナ人とユダヤ人では、異なった意味を持っている。パレスチナ人にとっては、このイベントは、彼らがかつて住んでいた場所へと時を遡る旅である。ユダヤ人にとっては、そのツァーと現場での追悼は、視界から隠されていた記憶を明るみに出す。暴かれた記憶は、しばしばその場所についての流布しているシオニストの記憶と衝突する。もうひとつのユニークな活動は、各々のツァーごとに、ヘブライ語とアラビア語でで、特別の小冊子を作ることである。これらの小冊子は、ゾッホロートの学びのプロセスを反映している。それらは、難民による証言、村の写真、異なった資料からの歴史的背景の掲載を特色としている。
ヘブライ語でナクバを再現すること、言い換えれば、ヘブライ語で、ナクバが、語られ,書かれ得る空間を可能にすることが、ゾッホロートの野心である。この目的のために、1948年以来破壊されたすべてのパレスチナ人の村と彼らの土地の上に建てられたイスラエルの地名のデータベースを載せたウェブ・サイトが、作成された。また破壊された村々の詳しい地図や、それらの村のひとつひとつについての異なった詳細説明も載っている。そのサイトでは、ゾッホロートのさまざまな活動も紹介している。このサイトの重要性は、ウェブサーフィンをするヘブライ語読者のバーチャルな空間の中に、パレスチナ人のナクバを焼きつけることである。
私たちが、イスラエルの公衆に伝えるもうひとつの方法は、ナクバについて学びたいと思っている学生、教師、社会活動家等々のさまざまグループと一緒に、ワークショップや講演会を主催することである。これらの集会は、正確な情報を求める要求とか自分自身の無知に対する怒りとか、否定したり、誤解したり、といった参加者の異なった多くの要求を呼び起こす。参加者のこれまでの知識や価値観に挑むようなことに出会い、難しい問いが持ち上がる。われわれは、またパレスチナ難民と彼らの土地の上に住んでいるイスラエル人との出会いに取り組んできた。そうした出会いを重ねるうちに、1948年についての異なった物語り(ナラティブ)は共有され、そして双方の要求
を叶えることができる空間を創造するための機会についての討論も試みられている。
ゾッホロートとは、聞きなれない名前である。それはヘブライ語で「思い出すこと」という意味の女性形である。私立ちは、なぜ男性形のゾッホリムでなくて、ゾッホロートなのか、とよく聞かれた。シオニストの演説に見られるように、「思い出すこと」の男性形は、暴力的で、国家主義的である。ゾッホロートは、「思い出すこと」の別の形態、つまりしばしば沈黙を保ってきた別の記憶に、表現を与えるようなオルタナティブな形態を促進しようとしている。さらに、ゾッホロートは、パレスチナ人のナクバでの、女性の記憶のための空間を創造するように努めている。「ゾッホロート」という名前は、こうしたことすべてを暗示している。
ナクバを学ぶことは、イスラエルに住むユダヤ人にとって重要な道程である。それは、しばしば、知り、そして理解するという純粋な関心を反映している。しかし学びだけでは十分ではない。ナクバは、どこか他所で起きた他の人々の物語ではない。それは、イスラエルのユダヤ人としての、私たちに、責任がある物語である。責任を取ることなく学ぶことは、私には十分ではない。
私は、責任を取るという言葉で何を言おうとしているのか?起こった悲劇を認め、深く理解し、この悲劇における私たちの側の責任を取ることを言っている。つまり、追い出されたすべての難民のために、個人と集団の帰還権を認め、そして土地への帰還、補償の支払いあるいは実際の帰還の実現によって、この権利を実現することを希望すること。これらは、ナクバを学ぶことを、和解への実行可能な足がかりにする。
この立場は、イスラエルのユダヤ人にとっては分かりにくい。私たちにとって、ユダヤ人民主国家としてのイスラエルのイメージを放棄することは難しいが、危険にさらされるだろうイメージを、私たちは、帰還権を認めるために選ぶべきなのである。帰還権を認めるということは、イスラエルにおける人口バランスを変えるだろう。イスラエル国家は、現在の形態では、存続しないだろうが、この新しい状況で、生は、この土地に生きているパレスチナ人とイスラエル人の双方にとってもより良いものになるだろう、と私は信じている。
by halunet
| 2009-05-22 07:24
| パレスチナの平和