2009年 05月 08日
井原勝介前岩国市長講演会を聞いて |
久松重光
5月3日の憲法記念日に諏訪に行って井原勝介前岩国市長の講演を聞き、その後いろいろお話を聞いてきました。
井原さんは、1700票差で負けた岩国の選挙の際、岩国に米軍基地を持ってきて、金儲けを目論んでいる連中と米軍への絶対追従の政府の「井原市長だとお金がこなくなるぞ」と言った脅しと、デマと嘘のうわさが流され、それを自分が早いうちに封じる手を講じることができず、定見のない中間層が、不安に駆られて与党に入れたのが、敗因であるといっていました。
井原さんのお話をお聞きしていて、これは、岩国だけの問題ではなく、ほぼ全国に蔓延している現代日本人のメンタリティと思いました。それでも諦めず、めげずに、市民自治を作ってゆこうとする伊原前市長に尊敬の念を感じました。
最後に伊原さんを勇気つけたのは、子供たちから寄せられたくさんの激励の手紙だったといいます。「私たちの未来は、お金では換えられません。」というのが、子供たちからの伊原さんヘのメッセージだったといいます。少数かもしれませんが、日本人にもこういう人がいるということは、とても貴重なことで、シニシズムに陥りがちな心を鼓舞してくれます。
僕は、自分の心にとって一番の敵は、シニシズムだと思っています。僕たちが、違憲裁判をやったとき、大方の裁判官たちは、門前払いするだろうとことは、予想していました。鎌倉の知り合いの弁護士に相談したら、そんなことやったって徒労である、といわれました。でも僕たちは、イラク派兵は、決定的に違憲なのだから正面きって愚直に提訴しました。
確かに司法も何もかも腐っているかもしれないが、司法に判断を仰ぐという行為は、司法の権威を最大限に認めた行為でした。多くの弁護士や市民は、提訴なんてしたってわかりきっていると考え、協力もしませんでした。
問題は、裏切られる公算が強いときにこそ、「相手」を信頼するということではないでしょうか?「信頼」できる人を、信頼するのは容易い。これは、対北朝鮮の問題に対しても、同じように思えます。確かに北朝鮮はろくな国ではない。そのろくでもない北朝鮮にしても、日本を非難しようと思えば、その理由は山ほどあると思います。人間は、自分を棚に上げて正義を振りかざし勝ちです。その挙句の果ては、この世界が悪いのは、自分以外の他者が悪いからだという不信の無限地獄に落ちてゆくと思います。
「このままでは日本は、舐められるから、核武装すべきだ」という田母神のような人もいます。日本が舐められる真の原因は、何の定見もない無節操にあると思います。
「武装」したギャングは、確かに舐められず、恐れられるかもしれないが、その末路は惨めです。「剣を持つものは、剣に滅ぶ」は、条理のように思えます。ブッシュは、イラク侵攻のときに、この言葉をフセインに投げつけましたが、自分のことには考えが及ばなかったようです。
では裏切られる可能性が多いのに、どうして「信頼」できるのか?三国志の諸葛孔明は、裏切った部下を7回許したといいます。そして最後に、その人は、忠実な部下になったと言われています。「信頼」するというのは、相手に期待するということではないように僕には思えます。そうではなくて、相手に何も望まないということではないでしょうか?孔明の部下も、それに気づいて最後に本当の自分に帰っていったのでないでしょうか?
by halunet
| 2009-05-08 17:15
| 安全保障